医療の歴史(119) 夏目漱石の病気 その2

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医療の歴史(119) 夏目漱石の病気 その2

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 明治時代の文豪 夏目漱石はもともと食事では脂っこいものが好きで、こってりした肉類などを食べていたそうです。しかし30歳を超えたころから胃弱で悩まされていたといいます。吐血したことも何度かあり死の一歩手前にも至ったこともありました。その疾患名は胃潰瘍だったのでしょう。10年以上の経過があったわけですから悪性疾患である胃癌ではなかったことが想像されます。そして最終的に胃出血が原因で49歳に亡くなっていますが、死亡原因は今で言うと出血性胃潰瘍ということになるのでしょうか。漱石の親友、正岡子規を初めとして二人の兄など周囲は結核が原因で若くして亡くなっていたこともあり、結核に罹患することを恐れていたとされますが、自身の死亡原因は結核という感染症ではなく胃潰瘍でした。

 それでは、その胃潰瘍を発症してくる要因は何だったのか。山崎光夫氏(引用文献参照)によると若い頃の漱石は自身の病気のことをミザンスロピック病と述べているそうです。ミサンスロピック病は、現在の臨床医学の診断名として用いられることはありませんが、厭世(えんせい)病、人間嫌いと訳されるといい、引きこもりのような症状があったのでしょうか。1896(明治29)、医師で貴族院書記官長の中根重一氏の長女鏡子と結婚していますが、鏡子によると、愛媛県松山尋常中学、熊本第五高校の教員を経て、イギリス(ロンドン)留学中に強い神経衰弱に陥ったと言います。留学は文部省の推薦によるものでしたが、ロンドンでは孤独な下宿生活のなかで閉塞感から精神的に圧迫されていたようで、日本に宛てた手紙で頭が悪くなったと悩みを綴っています。「夏目は精神に異状あり」と文部省の指示により1903(明治36)1月に帰国しました。

 帰国後しばらくは東京帝国大学や明治大学の大学教員であり、この間に「我が輩は猫である」「坊ちゃん」を初めとした文芸作品を多数発表し、当代一の人気作家になっていました。しかし収入は漱石が満足できるようなものではなかったようです。1907(明治40)、新聞の連載長編小説を定期的に発表するという契約で朝日新聞に入社しました。これで高収入が約束され生活上の悩みは解消されたはずでしたが、逆に定期的な小説連載の締めつけは漱石の気持ちを圧迫しました。この精神的な重圧により、以前より持病であった胃病が悪化したことが考えられます。新聞社主催の各地での講演会へ出向中に、日本各地で大吐血を起こし緊急に入院・治療を受けています。

 最近はあまり重要視されていませんが、胃潰瘍はいわゆる「心身症」と呼ばれるものの代表です。その発症は精神的ストレスや抑うつ状態などにより胃液分泌が異常となり、胃液中の消化酵素により胃壁が消化されることにより潰瘍が発生することから、消化性潰瘍とも言われます。漱石の精神状態等は胃潰瘍発症の要因になることが十分想定されます。

胃潰瘍に伴う出血は大量であれば吐血あるいは赤色便を見る下血となりますが、少量持続出血では血便ではなく黒色便(タール便)の症状となります。胃出血中のヘモグロビンが大腸に至った時には黒色になっているからです。漱石の場合は、以前より何度か大吐血を経験していますので大量の胃出血だったのでしょう。1916(大正5)11月頃から吐血をくり返すようになり、129日おそらく出血性ショックに死亡が確認されました。死後、家族からの希望により病理解剖が施行され、胃の幽門部(胃の出口の所)5cm×1.5cm大の潰瘍と小腸以下の出血塊が認められたそうです。

(引用文献:山崎光夫 胃弱・癇癪・夏目漱石 講談社)