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糖尿病は、よくのどが渇く、よく水をのむ、そして尿量が多い、などの症状があり、合併症として眼底の網膜が障害される糖尿病性網膜症や腎機能が低下する糖尿病性腎症、手足の感覚がなくなってしまう糖尿病性神経障害といった三大合併症のほか、白内障や心筋梗塞や脳梗塞などの大血管障害が発生します。昔はその症状から「飲水病」とか「口渇病」などと呼ばれていました。基本的に乱れた生活習慣が糖尿病発症を引き起こす生活習慣病ですが、発症しやすいか否かについては遺伝的素因が大きく関与します。
平安時代、国の政治はいわゆる摂関政治で摂政・関白により動かされていることが長く続きました。この中で「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることも無しと思へば」と詠んだことで有名な最高権力者の藤原道長(966~1027)は糖尿病であったことはよく知られています。遺伝的素因としては、道長の父である藤原兼家の兄、摂政の藤原伊尹(これただ)は重症の糖尿病に悩まされ49歳で亡くなっています。また道長は兼家の四男でしたが、長男の摂政関白 藤原道隆も糖尿病で酒の飲みすぎによる病気で死亡したとされています。
このように道長には糖尿病の遺伝的素因があり、その上、贅沢三昧の生活をしていたのでしょう。過飲過食、運動不足、上の絵でわかるように肥満があり、その地位からストレスもあったことが想定されます。これらはすべて糖尿病を悪化させる要因でした。50歳を過ぎてから、「昼夜なく水を飲みたくなる、口が渇いて脱力感がある。しかし食欲は以前と変わりはない」などと、同時代の公卿であった藤原実資(さねすけ)の残した日記「小右記」に記されています。同じく「小右記」に道長の目が見えなくなったことが書かれており、顔を近づけても相手が誰かわからなくなっていたということです。おそらく糖尿病合併症の白内障が相当進行していたのでしょう。また背中に膿がたまる腫れ物が何度もできたことなどが記録されています。欠けたることのない我が世を謳歌した藤原道長は1027年12月4日、62歳でその生涯を閉じたのでした。