医療あれこれ

医療の歴史(90) ウィリスによる英国医学教育

Wilis.jpg

 東京医学校でドイツ医学採用が決まったことから、大病院の教員となっていた英国公使館付き医師ウィリアム・ウィリスは教員の職を1年間で辞職に追い込まれました。そこで以前より交流のあった西郷隆盛らの斡旋によりウィリスは鹿児島医学校に教員として招聘されました。以後、鹿児島では中央政府管轄のドイツ医学教育とは異なり、英語教育と英国医学による医学教育が始まりました。鹿児島医学校を卒業した者はイギリスに留学し、帰国後日本で医師として活動することになったのです。

 明治以降、政府の方針により当然のことながら日本の医学はドイツ医学が主流でほとんどの医師が使用した専門用語はドイツ語でした。ドイツ医学と英国医学の相違がどのようなものかというと、ドイツ医学は研究室医学ともいわれ、実験結果に基づいて実際の医療をおこなうのが基本です。これに対して、英国医学はあくまで臨床に基づく医学で、医学実験による理論よりも実際の症例を集めた事実に基づく医学と言われます。現代におきかえると、英国医学は米国式医学ということになります。

 第二次大戦後、日本では次第にドイツ医学から米国式医学が中心となり、ドイツ語を用いる医師は少なく、専門用語や論文もその中心は英語です。ウィリスによる英国医学は当時では少数派でしたが、ある意味で現代医学に通じるものではないかと考えることができます。医療の実践においても、現代医学・医療の基本は「根拠に基づく医療」です。つまり医療を実践するにあたって、適切な方法により導かれた根拠に基づいてなされます。この根拠とは、医師の裁量や著明な個人の意見ではなく、大多数の臨床症例から導き出される結果であるべきなのです。現代の医学は、明治初期でいうとドイツ医学ではなく、英国医学であると言えます。

 また興味深いことに、日本陸軍は主流であったドイツ医学を学んだ軍医が主体でしたが、英国方式をとる日本海軍は軍医も英国医学を学んだ医師が就任していきました。日本で陸軍と海軍はその立ち位置や考え方がことなるといわれます。陸軍と海軍で医学的に対立をみた典型的な例が、後に大論争となる脚気問題でした。