医療あれこれ
医療の歴史(95) 脚気論争~その3
白米ではなく麦飯を食べると脚気にならない機序は何なのかを学問的に初めて公表したのはオランダの医師、衛生学者のクリスティアーン・エイクマンでした。オランダ領の東インド諸島は日本と同じように米飯を食べる地域で、脚気の発生に悩まされていました。オランダ政府は1886年(明治19年)当地へ調査団を派遣して脚気の原因究明をすることになったのです。初め調査団は脚気の原因となる脚気菌を発見したとして本国へ引き上げていきました。脚気は何らかの病原体が感染することにより発病する感染症説を主張する研究者は日本にもいましたが、ドイツ留学中の北里柴三郎はこれら脚気菌の存在を全面的に否定していました。同じ理由でオランダ調査団の結論に対しても批判を受けることが予想され、調査団のうちエイクマンという若い軍医を現地に残し、調査を続けさせたのです。
そのエイクマンは1896年(明治29年)、注目すべき発見をし報告したのでした。それは、ニワトリに白米を与え続けると人間の脚気に似た病気になるということと、その病気のニワトリに今度は玄米または米ぬかを与えただけで治るというものでした。この実験に対して日本の研究者たちはどのように対応したのかというと、人間の脚気とニワトリの脚気は異なるものだとして、追試つまり同じ実験をやり直してみることすらしなかったのでした。この時はすでに、1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて起こった日清戦争は終っていました。この戦争では、その後の日露戦争ほどではないにしろ陸軍では多くの脚気患者をだしたのに対して、麦飯を食べていた海軍ではほとんど発病者がいなかったという苦い経験をしているにも関わらずエイクマンの説を無視したのです。当時、日本の医学界はドイツ学派である東京大学医学部が頂点にあり、彼らの主張が主流を占めていたことが原因にあると思います。森林太郎もその主流派の一人でした。
高木兼寛が海軍兵士に食べさせていた麦飯と玄米の成分を比較すると、炭水化物の含有量は両者ほとんど同じですが、タンパク質、脂質、そして重要なビタミン類は麦より玄米のほうが圧倒的に多いのです。ビタミン類を多く含む玄米やさらに米ぬかを用いたエイクマンは、その後ビタミンの存在を発見し、ノーベル生理学・医学賞を受賞したのです。