医療あれこれ

医療の歴史(9) 血液循環の発見

 今では血管の中を流れている血液が心臓から送り出されてまた心臓へ帰ってくる「血液循環」を知らない人はいないと思います。しかし1628年、ウィリアム・ハーヴェイが血液循環論を確立するまで、世の医療者たちはこのことを知りませんでした。

 医療の歴史(4)でご紹介したローマ時代の医師ガレノスが唱えた血液の流れについての生理学が17世紀になるまで信じ続けられていたのです。ガレノスの考えは、口から食べた食物の栄養分は腸で吸収され、それが肝臓で血液として調整され(つまり肝臓で血液が作られ)血管を通って全身へ運ばれるというものです。そして全身に運ばれた血液は「精気()」となって全身の生命活動に利用される・・・つまりその血液がまた心臓や肝臓へ戻ってくるとは考えていませんでした。しかし16世紀になって、前回ご紹介したヴェサリウスの詳しい解剖学(医療の歴史8)からすると、ガレノスの説はやはり矛盾する点が多いことが徐々に分かってきていました。しかしこれを実証し意見を述べた画期的な報告は、ハーヴェイの血液循環論が登場するまでありませんでした。

 ハーヴェイは1578年、イギリスの裕福な商人の家に生まれました。ケンブリッジの専門学校を卒業した後、その当時、繁栄の絶頂にあったイタリアのパドヴァ大学に入学します。ここで彼は数学や天文学を、地動説を唱えてローマ教会から火あぶりに処せられたガリレオ・ガリレイから学び、科学的な思考を身に着けていきました。またパドヴァ大学は16世紀にはヴェサリウスが解剖学を教えていたところで、ハーヴェイはヴェサリウスの流れをくむ解剖学を直接学んだことになり、このことが後の血液循環論につながっていきます。

vein.jpg 心臓のポンプ作用で送り出された血液は、動脈を通って全身へ運ばれます。そして静脈を通って心臓へ帰ってきます。動脈は心臓から全身へ高い圧力で血液が送りだされます。その圧力を測定したのがご存じの「血圧」です。一方、静脈は動脈に比べて非常に圧が低くなっていて、心臓に帰り着く手前には0になります。このため静脈には血液が逆流することがないように所々に弁がついていますが、このことを証明したのもハーヴェイです。(右の図)しかし彼は、動脈と静脈がどのようにつながっているのかは明確に解らなかったようです。毛細血管という非常に細い網目状の血管が動脈と静脈の間にあるのですが、これを直接確認するのは肉眼では難しく、ハーヴェイの生きた時代からもう少し時間が経って、顕微鏡が発達してから確認されたのでした。