医療あれこれ

医療の歴史(73) 武田信玄と上杉謙信

 織田信長、豊臣秀吉の天下統一までしばらく続いた戦国時代の武将たちは、戦で命を落とすこともあれば、何らかの急性~慢性疾患が原因で病死することも少なくありませんでした。

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 有名なものとして、甲斐の武田信玄(15211573)の病死があります。越後の上杉謙信と5度にわたって北信濃の川中島で戦いましたが、最終的に信濃をほぼ制圧し駿河の一部なども手中に収めました。そして天下統一のため大軍を率いて上京を始め、三方ヶ原の戦いで織田信長、徳川家康連合軍に勝利し、入京直前のころから喀血するようになりました。武田軍は甲斐に撤退をして行きましたが三河街道で病没しました。遺言で死後3年間は秘匿するように言われていたことから、影武者という物語が生まれました。死因は喀血を繰り返していたことから、肺結核など呼吸器疾患が疑われるという話がよく見られますが、実は食道ガンあるいは胃ガンではなかったのかと考えられています。信玄の戦術を記した「甲陽軍艦」に胃ガン説を裏付ける記述があるそうです。そうすると、「喀血」を繰り返したというのは誤りで、実は「吐血」ではないかと思います。同じように血を吐くことですが、肺や気管などの呼吸器からの出血を「喀血」といい、食道・胃からの出血は「吐血」と呼ぶのが正確だからです。

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 武田信玄のライバル、上杉謙信(15301578)も居城である春日山城内で死去したのですが、享年48歳で病死が強く疑われます。死因は脳出血であったようです。ドラマなどで謙信は若い頃は曹洞宗を、晩年には真言宗を崇拝する清廉潔白な人物として描かれていることが多いですが、実は大酒飲みで、それもタンパク質をほとんど摂らず塩や梅干などを酒の肴にするというような典型的な乱れた食習慣でした。米沢の上杉神社には謙信愛用の大盃が残されているといいます。また若い頃から体に腫れ物ができたり、周期的に高熱を出すマラリアと思えるような病気にも罹患しています。武術や戦略に優れた武将であっても、こと健康管理に関する考え方は現在では考えられないような未熟なものであったようです。しかし下克上の戦国時代を生き抜くことは精神的ストレスもかなりのものであったのではないかとも思います。