医療あれこれ
医療の歴史(70) 南蛮医学の伝道者アルメイダ
日本に渡来した西洋人は、1543年、種子島に到着したポルトガル人が最初で鉄砲伝来はこの時とされています。その6年後、1549年フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教のため来日したことは日本史上有名な事柄ですが、医学・医療の歴史で重要な事柄として初めて南蛮医学を伝えたのはルイス・デ・アルメイダです。南蛮あるいは南蛮人とは16世紀に日本と交易したスペイン、ポルトガルとその国の人々のことです。
アルメイダは1525年ごろポルトガルのリスボンに生まれ、1546年にポルトガルの外科医の免許を取得しました。その後、貿易商としてインドへ渡航したり、イエズス会に入会しキリスト教の布教活動をしたりしていました。1552年、初めて日本へ来た時も貿易商としてのものでしたが、日本の地でイエズス会と再びめぐり逢い、貿易で得た利益を資金として布教活動に専念していました。その後、キリスト教の精神に則って人々を救済するには医療活動が必要不可欠ということで、初めに豊後(現在の大分市)府内というところに乳児院を開きました。乳牛二頭と乳母一人をおいて、孤児を収容し診療したのですが、次第にその噂が拡まり治療を求めて多くの人々が集まってくるようになりました。そして1557年、豊後府内病院と呼ばれる日本で最初の西洋式病院を開設したのです。この敷地はキリスト教の布教を奨めていた豊後のキリシタン大名であった大友宗麟が宣教師に与えたものですが、内科系病棟、外科系病棟を有し、かなり規模の大きなものだったようです。また多くの日本人に西洋式医術を教授していったのでした。
日本人の後継者が育ってきたことと、1560年にイエズス会の本部から医療事業禁止が通達されたこともあり、アルメイダは医療から身を引き日本各地で布教活動行いました。時には求めに応じて医療をすることもありましたが、1584年に天草で亡くなっています。時代が少し下って16世紀末、豊臣秀吉のバテレン追放令の後は、西洋医学というとアルメイダが伝えた南蛮医学ではなく、江戸時代の鎖国中も交易のあったオランダ医学に代わっていったのでした。