医療あれこれ

医療の歴史(45) 古来からの薬物2:牛乳

mokkan3.jpg 牛乳はカルシウムを多く含み良質のタンパクであるなどと現在では大切な健康飲料ですが、昔から牛乳を治療薬物として用いることがおこなわれていました。古代、上流階層の人々が牛乳を飲んでいた証拠として、天武天皇の孫で、藤原氏との勢力争いに敗れて自害した長屋王の邸宅跡(奈良県二条市)から多く出土した木簡(文字が書かれた細長い板)に右に示す写真のように、牛乳を運んできた人にコメを渡したことが記載されているものがあります。ことに病気で虚弱となった身体に牛乳を与えることは現在でも理にかなった治療ということができるでしょう。牛乳をそのまま飲むだけではなく、現在のチーズのような「蘇(そ)」や「酪(らく)」といった乳製品が作られ、食品として以外に薬として用いられていたようです。

 また日本書紀には安閑2年(525年)「牛を難波大隅島、媛島松原(現在の大阪市東淀川区あたり)に放つ」という記載があり、古来この辺りは乳牛の放牧に適した土地であったようです。律令制度の中でも、典薬寮(医療の歴史42 参照)の付属施設として乳牛院が設置され、東淀川区周辺のこの土地は乳牛牧(ちちうしまき)として毎年、牛乳や乳製品を献上することが義務付けられていたそうです。大阪市教育委員会によると、20世紀の初めまで、現在の大阪市東淀川区には乳牛牧村という地名が存在し、大隅東・西小学校は「乳牛牧尋常小学校」と称していました。大阪市東淀川区大桐5丁目には「乳牛牧跡」の石碑が建てられており、近隣の大隅神社の境内には牛の像があります(下の写真)。

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