医療あれこれ

医療の歴史(123) アインシュタインの脳

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 アルベルト・アインシュタイン(右写真)は紹介するまでもなく相対性理論で知られる類まれな天才です。1879年ドイツに生まれ少年時代から時間と空間が変化するのではないかという発想を育んでいたとされ、26歳の時に物質が光を吸収し電子を放出する現象を発見してノーベル賞を受賞しています。科学、医学、哲学などさまざまな方面で世界中から意見を求められていましたが、その理論が原子爆弾の開発につながったと晩年は世界平和のために身を捧げました。1949年に日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士がアメリカでアインシュタインと面会した時、自らの考えから作られた原爆が広島、長崎に投下されたことに対して湯川博士に抱き着き涙を流して謝ったといわれています。

 1955年、腹部大動脈瘤の破裂によりアメリカのニュージャージー州のプリンストン病院で死亡しています。享年76歳でした。遺志により火葬されていますが、その前に通常通り遺体解剖(剖検)がおこなわれました。執刀したのは同病院の病理担当トマス・ハーベイ医師でした。通常、病理解剖は本人の遺志、または遺族の同意のもとにおこなわれるのですが、アインシュタインの病理解剖の場合、遺族は解剖には同意していましたが、頭部の解剖は承諾していませんでした。解剖台に立ったハーベイは、目の前にあるのは世界的天才アインシュタインの遺体であることから、この病理解剖を担当することになった自分は大きな幸福を手に入れたと考えたのでしょうか。天才の脳はどのような構造になっているのか解明する絶好の機会に恵まれたとの思いから、遺族の承諾なしに脳の解剖を実施してしまいました。当初、天才の脳は普通の人のそれより重量が重いのではないかと想像していました。しかし秤量するとアインシュタインの脳は平均よりもやや軽いという結果でした。普通人に比べて天才の脳はさまざまなことを着想することから重いとの予想通りなら単純な新事実の発見で済んだところでしたが、結末は全くの逆だったのです。必ずしも神経の病理解剖に精通していなかったハーベイですが、詳細な検討を自らおこなうとの覚悟から、切り取ったアインシュタインの脳をホルマリン入りの容器に収めたのです。

ハーベイは、有名な天才の死というビッグニュースを取材する新聞記者たちにアインシュタインの脳は自分が持っていると告げて回ったため脳解剖が新聞に公表されることになりました。これを知った遺族は大激怒しました。しかしどのように説得したのかは明らかではありませんが、ハーベイは遺族から、学術的に十分な研究をおこない結果を速やかに公表するという条件でアインシュタインの脳を譲り受けました。今ではあり得ない事が60年以上前には堂々とおこなわれていたのです。

 所属先の病院を解雇されたハーベイは区域ごとに番号を付けた脳の詳細なスケッチとブロックごとに切り分けられたアインシュタインの脳を自らの調査研究のために携えてアメリカ各地を移動することになります。しかし自らの研究では成果を出すことはできません。世界中の神経病理の専門家35人に脳のブロックを送りつけていったのでした。天才アインシュタインの脳はこのため分散され所在の全容が不明となってしまいました。先日のNHK スペシャルで放送されていましたが、この脳を1つに集めて全体的な研究をすることが画策されているそうです。