医療あれこれ

医療の歴史(120)「白い巨塔」にみる医療の進歩

 白い巨塔は1963年から1965年に発表された山崎豊子著の長編小説です。外科医財前五郎と内科医里見脩二という対照的な二人が主人公で、財前五郎が大阪大学をモデルと思われる浪速大学の助教授(当時)がドロドロとした大学医学部内の腐敗に満ちた教授選の末、第一外科教授になるまで、胃ガン患者の佐々木庸平が財前の執刀した手術直後に見落としとも思われる肺転移が原因で術直後に死亡し医療訴訟となり財前が控訴審で敗訴する様子、さらに財前自身が進行胃ガンで死亡するまでを描いた社会派小説です。小説の発表直後に田宮二郎主演で映画化された他、何度もテレビドラマ化され、1967年に財前:佐藤慶、里見:根上淳などのキャストでNETテレビ(現在のテレビ朝日)で放送された白黒映画を始めとして、1978年に財前:田宮二郎、里見:山本學が出演したフジテレビのドラマ、さらに2003年フジテレビ開局45周年記念として財前:唐沢寿明、里見:江口洋介で作成されたもの、そして先月、テレビ朝日開局60年として財前:岡田准一、里見:松山ケンイチにより5夜連続で放送された最新版などがあります。なかでも田宮版、唐沢版、岡田版はいずれも視聴率も高く、現代の赤穂浪士のようなスタンダード作品といわれています。

 医療界を取り扱ったものですから、田宮版、唐沢版、岡田版における医療事情を比較すると興味深い進歩がみられます。患者:佐々木庸平が患った疾患は田宮版においては、当時日本においてガン死亡率が最も高かった胃ガンでした。唐沢版では消化器ガンのうち早期発見が比較的難しく予後がよいとはいえない食道ガン、直近の岡田版における疾患は早期発見が最も難しい膵臓ガンということになっています。

これら疾患の診断法も田宮版では、バリウムによる上部消化管造影X線検査が主力であったという今から思えば、当時はそうだったなという歴史的なものでした。さらに手術直前に新米の主治医が、佐々木庸平の胸部X線写真で肺に影があるので肺の断層写真を撮った方がよいのではと述べたのに対して田宮(財前)は古い病気の瘢痕だからその必要はないと一蹴したことが誤診だと裁判で追及されることになってしまいます。ここでいう断層写真とは、おそらく今のCTスキャンではなく旧来の胸部断層撮影によるX線検査と思われ歴史を感じます。唐沢版では同じく肺転移を調べるのにCTMRI検査をしたかしなかったのかが問題とされました。直近版では研修医が転移を調べるためにPET検査を施行しては?といったことを「PETは(医療保険で通らないから)病院の持ち出しになる」からと否定したことが岡田:財前教授の控訴審敗訴原因のひとつになっています。手術法についても田宮、唐沢の財前は開腹手術をしているようすが映し出されていますが、岡田財前は近年進歩が著しい腹腔鏡手術の名手として描かれています。記録媒体でも田宮、唐沢版は当然のように紙カルテが用いられていましたが、岡田版は現在ほとんどの大病院がそうであるように電子カルテにかわっています。

 一方、財前五郎が罹患した疾患についても田宮二郎の財前は胃ガンの肝転移、唐沢寿明の財前は肺ガンの脳など全身転移、岡田准一の財前は膵臓ガンの腹膜転移でした。いずれも手術的摘出が試みられ、その執刀医が財前の前任教授ですが教授選の時の確執が残っていた東貞蔵でした。もう一つ興味深い点はいずれのシリーズも財前教授の病状が末期ガンであったことは本人には告げられていません。田宮二郎の時代はともかく、現代版財前教授にも本人告知がなされていないことは、その病状が手の付けられない進行したものであることを物語っています。

これら3シリーズはDVDやインターネットでも視聴することができますので興味ある方は一度ご覧になって下さい。