医療あれこれ

医療の歴史(105) 戦後日本の医学教育

 敗戦後の日本における医療事情は劣悪なものであったことはすでにご紹介しました(医療の歴史103)。このためGHQでは医療制度とともに医学教育の改革も推進しました。その責任を担ったのはアメリカ軍の軍医であったGHQ公衆衛生福祉局長のクロフォード.F.サムスでした。江戸から明治にかけてドイツ式医学導入に関わったミュルレルやホフマンはそれぞれドイツ陸軍軍医、海軍軍医であったことを想起すると、今度もアメリカ軍軍医サムスがアメリカ式医学導入に深く関わったことは興味深いものです。

さてサムスは戦時中に軍医養成の必要性から設置されていた医学専門学校を大学に昇格させるもの以外を廃校にして医学教育レベルを向上させると同時に、大学の医学部教育を6年生としました。そして医師資格を付与されるものは国家試験を合格する必要があること、および医学部卒業後、国家試験受験までの1年間は医師資格を持たないで医学実地研修をするいわゆるインターン制度を導入したのです。このインターン制度はその後、インターンの地位や身分が不明確で生活基盤が保証されていないこと、また臨床研修病院の指導体制が整っていないことなどの問題点を含んだままGHQは日本を去っていきました。各臨床研修病院は制度的根拠がないのをいいことに無給で使い捨ての医療労働者として酷使するようになってきました。1960年代になってインターン制度を完全に廃止すべきとの学生運動が活発となりました。そして1968年の医師法改正によりこのインターン制度は廃止され、医学部卒業と同時に医師国家試験を受験することができるようになったのです。このインターン制度に代わって医学部卒業後の医師養成課程として研修医制度が始まりました。医師免許を受けたあとも2年間臨床研修をおこなうことが求められるようになったのです。

今世紀になってさらに各大学間の医学教育レベルを一律に保つ必要性から、医学教育モデル・コア・カリキュラムが設けられ教育レベルの高水準化が図られるようになりました。さらにこのカリキュラムの到達目標を評価する方法として、6年間の医学部教育期間中、4年目には到達目標に準拠した全国統一の標準試験である共用試験(CBTOSCE)が実施されることになりました。OSCE (objective structured clinical examination)はペーパーテストではなく、技術・技能、態度などを客観的に評価するもので、CBT (computer based testing) は学生の基礎的能力についてコンピューターを用いて多肢選択式問題により客観的に評価するものです。医学部生たちはこれらの試験に合格したのち、臨床実習を経て医師国家試験を受験するのです。ちなみに共用試験は医学部の他、歯学部、薬学部さらに獣医学部にも取り入れられています。

 昔のインターンを経験した医師の数は少なくなってきましたが、生涯教育制度や専門医制度などが導入されるなど、医師は常に新しい知見や技術を身に付けて医療に貢献するべく努力を積み重ねているところです。