医療あれこれ

血液と血管(6)ツンドラ地帯住民の血栓症

 北極圏のシベリア極東部やアラスカ・カナダ北部さらにグリーンランドに至るまでの地帯はツンドラ地帯と呼ばれています。以前からこの地方に住む人たちには脳梗塞や心筋梗塞の発症が少ない、逆に脳出血が多いことが知られていました。その原因として民族特有の遺伝的要因があるのではないかなど色々な意見がありましたが、実はもっと単純な、しかし血栓止血学的には興味深いものであったのです。

 ツンドラ地帯は低温地帯で一年のうち多くの期間が氷に包まれた生活環境です。そこでの食べ物というと私たち日本人が口にしているような温帯で育成される野菜などはほとんどなく、アザラシの肉を主食としてよく食べていたそうです。アザラシは魚肉をよく食べているので、その体を構成する筋肉は魚肉のタンパク質が主成分ということになります。つまりツンドラ地帯の先住民は極端にいうと魚肉のタンパク質しか食べない民族であったと想像され、彼らの体も魚類と同じ種類の物質で構成されていることが想像されます。

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魚類とくに青魚のタンパク質はエイコサペンタエン酸(EPA)で構成されています。前回、この項で(血液と血管5、血小板ではアラキドン酸からトロンボキサンが合成されて、血小板を活性化すると説明しましたが、このトロンボキサンは詳しく言うとトロンボキサンA2という代謝産物です。上述のようにツンドラ地帯民族の体はアラキドン酸ではなくエイコサペンタエン酸(EPA)が主成分となっているのですが、EPAからはトロンボキサンA2ではなく、トロンボキサンA3が合成されてくるのです。そしてこのトロンボキサンA3にはA2のように血小板を活性化する作用はありません。そのためツンドラ地帯住民の血液中の血小板ではトロンボキサンA2は合成されず血小板活性化作用のないA3しか合成されないため、血小板が塊を形成して血栓症を発症することが少ないことが明らかになりました。

 現在、エイコサペンタエン酸(EPA)を製剤とした抗血栓薬が作られています。この薬の作用の一部は代謝産物がトロンボキサンA3であって、トロンボキサンA2ではないことも関係しているのです。そして青魚は体に良いと言われているのも、その主成分が人の血小板ではトロンボキサンA3を合成するので血栓症がおこりにくいことが関与しています。しかし少しぐらい青魚を食べていても、その人の体中のアラキドン酸がEPAに置き換わってしまうことは考えられないので、出血を心配するほどのものではないとご理解下さい。