マラリアは古来、「瘧疾(ぎゃくしつ)」、「わらはやみ」あるいは「えやみ」と呼ばれていたものです。マラリア原虫の感染症で、熱帯地方に多く生息するハマダラ蚊が媒介して感染します。周期的に40℃にもおよぶ戦慄(体の震え)をともなう高熱が出て、4~5時間続いたあと突然平熱に戻りますが、3~4日後再び高熱が出るという状態を繰り返します。高熱がでる周期により「三日熱マラリア」「四日熱マラリア」などの種類があります。昔はそのまま放置すると貧血をともない全身衰弱で死亡してしまうという恐ろしい感染症でした。昭和に入ってからでも太平洋戦争の南方戦線においてマラリアのため多くの兵士が戦病死したことはよく知られています。しかし現在ではキニーネなどの治療薬があり死に至ることはまずありません。
古代には、大宝律令の「医疾令」に「瘧疾」の記載があり、当時はごくありふれた、しかし重体におちいる病気であったようです。平安時代では「源氏物語」に「わらはやみ」にかかった人に加持祈祷で治療したが効果がなかったなどのことが書かれています。皇族では敦良親王、そのほか貴族では九条兼実や藤原定家など多くの有名人が瘧疾にかかった記録があります。なかでも伝説になっている
有名人でマラリアのため死亡したと推測される人物は平清盛(右の絵)です。
平安時代末期の保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)で、源義朝を統領とする源氏との戦いに勝利した平家の統領、平清盛(1118~1181)ですが、実は白河上皇の落胤だったと言われています。そのため異例の出世を果たし、右大臣、左大臣を飛び越えて従一位・太政大臣になりました。娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、その子を安徳天皇として皇位につけ権力を誇りました。しかし1181年、頭痛から始まった高熱発作で意識不明となり死亡したと記録されています。直前には身体の熱さは火をたいたようで、比叡山から取り寄せた冷水をかけるとたちまち熱湯になったといいます。発熱の原因疾患は猩紅熱だったという説もありますが、マラリアに罹患したのだという説が有力です。