平安時代は、王朝貴族が政権を握り優雅な社会情勢がイメージとして浮かびますが、実際は毎年のように異常気象や疫病の流行が繰り返されていました。なかでもそれまでに藤原一族が次々と罹患し命を落としていった天然痘(痘瘡)(医療の歴史47、医療の歴史48参照)は、全国的な大流行を繰り返していました。中央政府は限られた地方の流行であれば食料などをふるまうなどの対策が立てられますが、全国的な広がりとなると、医療はもちろん公衆衛生的な施策をすることは不可能で、神仏に頼ることしかできませんでした。
また861年における赤痢の流行は病名が記録に残っています。赤痢にはアメーバ赤痢という寄生虫が原因で発症するものと、赤痢菌が原因の細菌性赤痢がありますが、多くは細菌性赤痢だったのでしょう。食物や水から消化管に感染する食中毒で、高熱、激しい腹痛、下痢、血便が続きます。京やその周辺の村で大流行し、多くの子供が亡くなったといいます。
冬季になると、高熱と咳が続く咳逆(しはぶき)という一種の流行性感冒がたびたび流行しました。インフルエンザだったかも知れません。おびただしい数の死者があり、1011年には時の一条天皇が32歳でこの「しはぶき」により亡くなったことが平安後期の歴史書「大鏡」に記されています。
その他のウイルス性疾患としては麻疹の流行もたびたび発生しました。なお麻疹を「はしか」と称するようになったのは鎌倉時代になってからのことです。平安時代で記録に残る大流行は歴史書「扶桑略記」などによると1077年で、白河天皇やその皇后が麻疹に罹患し、多くの皇族や公家が死亡したそうです。
これらの病気は現在ではあらかたの正体が判りますが、当時はこれに対して例えば高熱や下痢による脱水に対して十分な水分を与えるなどの医療法は考えられていなかったようです。薬物療法についても抗菌薬などはもちろん存在しませんが、漢方薬など当時からあった薬物が使用された記録はありません。やはり加持・祈祷という治療法しか考えられなかったのでしょう。