平安時代には、身分の上下にかかわらず人々は病気の原因は怨霊の仕わざと信じられていました。当時、急病人がでるとそれに対応するのは怨霊、物怪(もののけ)を退治する加持祈祷が最も重要な医療行為だったのです。枕草子には急病人があるので験者(げんざ)を探し回り、やっとのことで加持祈祷により治癒した様子が記されています。また宇津保物語などには、験者による加持祈祷で物怪の調伏させたのち、医師による後治療がおこなわれたことが描かれています。つまり当時の人々にとって病気の治療には、薬の内服より験者による加持祈祷の方がはるかに大切であったことがうかがえます。
一方、都で身分の高い人たちは、病気になると呪術や祭祀をおこなう陰陽師(おんみょうじ)に疫神を退治させるようになりました。陰陽師は、養老律令で中務省に属する官職の1つで、本来は陰陽五行に基づいた陰陽道により占術を専門とする職でしたが、怨霊や疫神の退治をもおこなう職業となってきたのです。前回、医療の歴史(53)でふれたように藤原氏の陰謀で九州の太宰府に左遷された菅原道真のように政争に敗れて失脚したり、暗殺された人の怨霊が疫病を引き起こすと信じられ、これに対応することが必要だったのです。
陰陽師として一躍有名になったのが、小説、映画、テレビドラマに登場する安倍晴明です。