奈良東大寺を建立した聖武天皇は、それまでも病気がちでしたが756年、その病状は思わしくなく崩御されました。忌明けの四十九日に、遺詔により生前に愛用されていた品々など600点が光明皇后によって東大寺に奉納されました。それが校倉造りで有名な正倉院の御物となって今日に伝わっていますが、服飾、調度品、楽器、武具などがあり、唐ばかりでなく、遠くシルクロードを経た西アジアや南アジア渡来の品々が含まれています。御物それぞれの由来が明確にされており、管理が厳重で保存状態がよいことから、校倉造りという建築物そのものと共に、国際的な美術品として知られています。
また正倉院には60種の薬物が保存されているのですが、その目録である「種々薬帳」が残されています。桂心、甘草、人参、大黄など今日でも漢方薬としてよく用いられる薬物を含めて60種の薬品名と、その下にそれぞれの分量が記載されてあるそうです。薬帳の最後に、「献納した薬物は盧舎那仏(るしゃなぶつ:大仏)を供養するためのものであり、これを使った者は万病がことごとく治り、寿命を全うすることを願う」という意味のことが記されているといいます。つまり奉納された薬物は、他の御物とは異なり施薬を目的として大仏の供養のためのものでした。またこれら薬物の一部は、光明皇后の施薬院で使用するために随時、出庫されたことが記録に残されています。しかし60種の薬物のうち、実際に施薬院へ出庫されたものは、上述の桂心、甘草、人参、大黄の4種類に限られていました。この4種類の薬物は当時から一般に最もよく使用されていたことがうかがえます。
現代になって、昭和23年から24年と平成6年から7年の2回にわたって御物の調査が行われました。その結果、種々薬帳に記載される60種の薬物のうち、39種が現存していることが判ったそうです。さらに科学的検証によりこれらの薬物のほとんどが外国産であることが明らかとなりました。多くの美術・工芸品としての御物とともに、これらの薬物は当時、わが国では予想以上に世界的交流が広かったことを示していると考えられます。