仏教は538年、百済から伝えられたとされています。百済の聖明王の使者が難波津(現在の大阪府)から大和川を船で上り、初瀬川畔の交易地であり「しきしまの大和」と呼ばれる大和朝廷の中心地であった海柘榴市(つばいち:奈良県桜井市)に上陸し、経典と仏像(釈迦仏金銅像)を献上しました。
古来、日本の民族信仰は神道でした。そこへもたらされた仏教は人の苦しみである「生老病死」という「四苦」の一つの病を救うとされます。仏のもつ高い治癒能力への期待が仏教を広く受け入れ、またたく間に国中に広がっていったのでした。奈良薬師寺の仏足石歌碑に、今までの医療職者より、新しい仏(薬師如来)による治病の方が優れているという意味の歌がきざまれているそうです。医療における仏教に対する期待の大きさが表現されているものと思います。
さらに仏教の進展については、推古天皇のとき「三法興隆の詔(みことのり)」が発布されたことが大きく影響します。三法とは、仏、法、僧で、この詔は仏教を興隆させることが国の政策であることを宣言したことになります。こうして全国に寺院が建立され仏教は国民的宗教となっていきます。仏教の説話集にも、治病の大切さを説いているものが多くみられます。また医療従事者としても祈療を専門とする僧(僧医)が多く輩出され、近世に西洋医学が入ってくるまで僧医が医療の主流を占めるようになります。このように仏教は日本における医療の世界に大きく影響を及ぼしていったのでした。