医療あれこれ

医療の歴史(11) 床屋外科
2012年5月28日
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 以前にも少しふれましたが、内科医の祖先は神々の仕業によって発生した病気を「祈とう」によって病気を治そうとする「祈とう師」であったのに対して、外科医の祖先は刃物を使って仕事をする散髪屋さんでした。そこで床屋外科という呼び名が生まれてくるのです。本当のことは定かではありませんが、散髪屋さんの三色のサインポールは理髪師が外科医を兼ねていた名残だと言われたりします。つまり赤は動脈、青は静脈、白は包帯をあらわしているというのです。しかしこの説は少し矛盾があります。血管には動脈と静脈があることが明らかとなってきたのは、医療の歴史(9)で説明したウィリアム・ハーヴェイが血液循環を明らかにした17世紀になってからのことです。一方、三色のサインポールができたのは13世紀のイギリスだとも言われており、歴史的に一致しないことがいくつかあります。

 ところで中世には、理髪師兼外科医が職業化されてきました。当時、病気の原因となる悪い血液を取り去ってしまうという目的で瀉血(しゃけつ)という治療法が行われていました。体から血液を抜き取るためには刃物で体に傷をつけて出血させることが必要で、これは正しく外科医の仕事だったのです。しかし時代の経過とともに、このように内科医の下働きのような仕事だけをする外科医ではなく、次第に簡単な手術をしたり、骨折の治療や出産の介助などをするなど、専門的な外科医が生まれてきます。

 そもそも今の医学・医療を考えると、「外科」と「内科」はその名前の「内」と「外」が逆ではないのかと思われないですか。つまり内科医は自分で刃物を使って病気の人の内側を見ることなく治療を行います。つまり外側から治療をしているにもかかわらず治療法の名前は「内科的」治療といわれます。それに対して、外科医は刃物を使った手術で直接、病気の人の内側を見て、悪い部分を切り取ったりつないだりして病気を治します。内側に直接手を下しているにもかかわらず、その治療法の名前は「外科的」治療といわれているという矛盾があります。これは歴史的な事実によるものだと思います。それは大昔、刃物を使って治療をする治療はとても体の内側の病気に対応できなかった。刃物は体の外側にできた腫瘍を切り取ったり、傷の治療にしか使うことができなかったのです。体の内側から発生したと「診断された」病気は、外科医ではなく内科医の担当でした。昔は、ほとんどの病気治療は内科医の仕事だったと思われます。

 いずれにしろ、手術という外科医の仕事が科学的、安全に行われるようになり、外科と内科が対等になるのは、もう少し時代が下ってからになります。





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