ローマでの医療の特色は、病気がおこった時これを治すより、病気の発生を予防することに重点をおいたことです。つまり健康法や公衆衛生のような考え方が一般に普及していたのでした。具体的には、今でも遺構が残っている上水道・下水道の整備、公共浴場の建設、さらに集中暖房設備や公衆トイレの設置などローマはまさしく健康都市をめざして発展していったと考えられています。
ところでローマ時代の医学・医療を語るとき外すことができない人物がガレノスです。(右はギリシアで発行されたガレノスが描かれた切手です。)16世紀、近世の医学が確立されるまでの千年以上にわたって、彼の理論が医学を支配していました。130年頃、現在のトルコにある古代都市ペルガモンに生まれたガレノスは、ギリシア各地で医学を学び、一度故郷に戻った後、ローマに移りました。彼はローマで名医としての頭角を現し、宮廷の典医にまでのぼりつめたのです。
前回までにご紹介したヒポクラテスの四つの体液理論などが今に知られているのは、ガレノスが残した多くの著作の中に体系化された理論として紹介されているためだとされています。また解剖学や動物実験などにも力を注ぎました。水分を多く摂取すると尿量が増加すること、豚の脊髄神経を切断すると麻痺がおこること、さらに大脳を傷つけると体の反対側に障害がおこることなど、今では当たり前のことを実験的に発見していったのです。これらのことからガレノスは実験医学の創始者といわれています。
16世紀になってヴェサリウスという人が「人体構造論」を出版し、現代の解剖学に通じた近代医学の夜明けが訪れるまで、ガレノスの解剖学・生理学が医学の理論を支配していました。今では誰もが知っている血管の中を流れている血液は循環していることさえ、16世紀になるまで医学者の誰もが知りませんでした。ガレノスの名声はある意味で当時の腕利きの医療者というより長年にわたって医学の世界に与えた影響の方が大きかったと言われています。