ヒポクラテスが自ら医療者としてどうあるべきかを示した「ヒポクラテスの誓い」は20世紀の半ばまで、医療者の道徳律とされていました。
(1) 患者さんの利益を第一にする
(2) 自殺や安楽死に加担しない
(3) 患者さんの身分や貧富の差なく医療をする
(4) 患者さんと職業上の関係を悪用しない
(5) 患者さんの秘密を守る
(6) 自分の師や同業者に礼をつくす
などですが、これらはすべて現代では当然のことばかりです。特に「(5)秘密を守る」については、我が国で一般に「個人の秘密は守られるべきである」ことをしめした「個人情報保護法」が施行されたのが2003年ですから、それより2000年以上前から医療者にとっては当然の義務だとされていたのには興味深いものがあります。
一方で、ヒポクラテスは「医療において、これからおこる事態や、現在ある状況は何一つ患者本人に明かしてはならない」「素人である患者にはいかなる時も、何事につけても決して決定権を与えてはならない」と述べたとされています。この二つのことは、すでにお気づきのように、現在の考え方とは全く逆です。現在では患者さんが自分の病気のことはすべて知る権利がありますし、これに対してどのように医療をするのかは患者さんと医療者が話し合って決めていくことが当たり前なのはよくご存知の通りです。
この二つのことに代表されるヒポクラテスの考え方を「親権主義」あるいは「家父長主義」(パターナリズム)といいます。つまり親が子を思う気持ちで、子供のことは親にまかせておきなさい、ということと同じだということからこのように呼ばれているのです。現在の医療の在り方とは正反対であることから、ヒポクラテスの考えは過去のもの、とも言われたりします。しかしヒポクラテスが本当に言いたいことは、「医療のことは医療者にまかせておけ」ではなくて、「医療者は常に患者さんから信頼されるように修養をかさねることが大切だ」ということではないかと思います。
「自分の身を律して常に修養・努力する」そして「愛情を持って医療を行うべし」というヒポクラテス思いは医療者の心の中に生き続けているのです。エーゲ海のコス島のプラタナスの木の下でヒポクラテスは弟子たちに医学を講義したと伝えられています。そのプラタナスは今もコス島に「ヒポクラテスの木」として残されており、さらにその苗木は世界中の医療施設や医療系大学に移植されています。
また「ヒポクラテスの誓い」は1948年、ジュネーブで開かれた第二回世界医師会で、医療専門職のあるべき姿として「ジュネーブ宣言」という形でまとめられました。現在でも「医療の倫理」の原点と考えらえれ、国際規定として引用される機会が多くみられるものです。
日本でも 「ヒポクラテスの誓い」を記した場所を医療施設や大学などで見かけます。写真は兵庫医療大学のホールの壁に書かれたものです。