医療あれこれ

医療の歴史(61) 鎌倉幕府を開いた源頼朝の死
2015年4月 5日

 平清盛は生前、後白河法皇を幽閉し、平家の専制政権を築き上げましたが、貴族や地方武士たちの平家に対する不満は強く、そのうちでも強大な勢力だったのは源氏の統領にあたる源頼朝(114799)でした。平家との争いの平治の乱(1159)で討たれた源義朝の三男で、本来なら一族すべて死罪となるところをまぬがれ伊豆へ流罪となっていました。後白河法皇の第2皇子である以仁王(もちひとおう)の平家討伐の令旨を受け、妻北条政子(11571225)の父北条時政(11381215)らと挙兵しました。頼朝の弟源義経(11591189)の活躍により平家を西国へ追い立て、長門国壇ノ浦の海戦で滅亡させたのでした。この時、ともに海中に没した幼帝安徳天皇(11781185)とともに天皇家の三種の神器のうち鏡と勾玉(まがたま)および草薙の剣も海中に没し、鏡と勾玉は回収されましたが、剣は見つからず後に伊勢神宮より奉られたといいます。

MinamotoYoritomo2.jpg

 頼朝は平家と違って、都の政治にこだわらず征夷大将軍として東国に鎌倉幕府を開き武家を中心とした国を形成していくのですが、53歳で亡くなっています。死因は言い伝えによると相模川橋供養の帰路、落馬したことによるとなっていますが、吾妻鏡などの歴史書にも正確な情報は書かれていません。もともと武家の統領として担がれて幕府を開きましたが、弟源義経や従兄弟の木曽義仲など一族をことごとく死に追いやり真の味方がいなかったこともあり北条時政に暗殺されたなどとも言われています。

 しかし落馬が本当だったとすれば、武士が簡単に落馬するものかなど考えると、何らかの原因疾患があったと想像できます。明治時代の医学史家・富士川游氏は頼朝の死因を脳出血であったとしています。脳出血の症状は比較的早く現れ、手足が麻痺してこれが原因で落馬したのではないかというのです。他方、脳血管疾患のうち脳出血以外に、以前より脳梗塞などがあり、これが原因で軽度の脳血管性認知症を患っていたのではないかと想像できます。さらに脳梗塞の原因として糖尿病を想定します。関白・近衛実家の日記に「前右大将頼朝卿、飲水に依り重病」という記載があるそうで、医療の歴史(53)で述べた藤原道長と同じくその当時の「飲水病」すなわち糖尿病の存在を考えるとつじつまが合います。脳血管性あるいは前回ご紹介した糖尿病性認知症の症状により衝動の抑制ができず、自分の兄弟に対しても懐疑心が強くなり、最終的に血縁をすべて殺害していったのではないかとすると幕府を開く前後の頼朝の行動が理解できると思います。



糖尿病性認知症
2015年3月29日
ninchisyou.png

 糖尿病は、アルツハイマー型認知症や血管性認知症の危険因子であることを以前にご紹介しました。(医療あれこれ 2012318)最近、糖尿病が危険因子となってアルツハイマー型認知症を合併したと診断されている例や、同じく糖尿病が原因の脳血管性認知症とされているもののなかに、アルツハイマーや血管性認知症とは異なる「糖尿病性認知症」と呼ぶべき病態のあることが明らかとなってきました。血管性認知症では、脳血流検査で大脳のある部分に血流障害が証明されますし、アルツハイマーではアミロイドという異常タンパクが集積されているのですが、これらの変化が全く認められない糖尿病に合併した認知症なのです。これも以前に老化物質としての糖化反応最終産物(AGE)についてご紹介しましたが(医療あれこれ2013113)、この糖尿病性認知症では、AGEの一つであるカルボキシルメチルリジン(CML)の血中濃度が上昇している特徴があります。

 この糖尿病性認知症の臨床的特徴は、高齢の患者さんで、ヘモグロビンA1cが特に高値である、インスリン治療を受けている、糖尿病を発症してからの期間が長い、進行がゆるやかである、などの特徴があります。このため治療としては、食後の高血糖を下げ、血糖値の日内変動を抑制し、治療の効きすぎによる低血糖を避けることなどが求められます。

 今後されに検討が必要ですが、より厳密な糖尿病コントロールを行い、そのために必要な新薬を含めた適切な使用が重要になってくると思われます。

文献:羽生春夫他:日本内科学会誌、2014; 103: 1831-8.



医療の歴史(60)平安時代のマラリア
2015年3月22日

 マラリアは古来、「瘧疾(ぎゃくしつ)」、「わらはやみ」あるいは「えやみ」と呼ばれていたものです。マラリア原虫の感染症で、熱帯地方に多く生息するハマダラ蚊が媒介して感染します。周期的に40℃にもおよぶ戦慄(体の震え)をともなう高熱が出て、45時間続いたあと突然平熱に戻りますが、34日後再び高熱が出るという状態を繰り返します。高熱がでる周期により「三日熱マラリア」「四日熱マラリア」などの種類があります。昔はそのまま放置すると貧血をともない全身衰弱で死亡してしまうという恐ろしい感染症でした。昭和に入ってからでも太平洋戦争の南方戦線においてマラリアのため多くの兵士が戦病死したことはよく知られています。しかし現在ではキニーネなどの治療薬があり死に至ることはまずありません。

 古代には、大宝律令の「医疾令」に「瘧疾」の記載があり、当時はごくありふれた、しかし重体におちいる病気であったようです。平安時代では「源氏物語」に「わらはやみ」にかかった人に加持祈祷で治療したが効果がなかったなどのことが書かれています。皇族では敦良親王、そのほか貴族では九条兼実や藤原定家など多くの有名人が瘧疾にかかった記録があります。なかでも伝説になっている

Taira_no_Kiyomori.jpg

有名人でマラリアのため死亡したと推測される人物は平清盛(右の絵)です。

 平安時代末期の保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)で、源義朝を統領とする源氏との戦いに勝利した平家の統領、平清盛(11181181)ですが、実は白河上皇の落胤だったと言われています。そのため異例の出世を果たし、右大臣、左大臣を飛び越えて従一位・太政大臣になりました。娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、その子を安徳天皇として皇位につけ権力を誇りました。しかし1181年、頭痛から始まった高熱発作で意識不明となり死亡したと記録されています。直前には身体の熱さは火をたいたようで、比叡山から取り寄せた冷水をかけるとたちまち熱湯になったといいます。発熱の原因疾患は猩紅熱だったという説もありますが、マラリアに罹患したのだという説が有力です。



痛風の人は認知症になりにくい?
2015年3月14日

 痛風は血液中の尿酸値が高くて、関節包内に結晶となって沈着します。それが原因で急性関節炎を発症すると、関節が痛く、腫れてくるのですが、その痛みが激しいことから風にあたっても痛いというので痛風という名前で呼ばれています。

 最近、この痛風の原因となる尿酸に抗酸化作用のあることが解ってきました(2014629「尿酸には強力な抗酸化作用がある」参照)。抗酸化作用は、酸化ストレスとして、神経細胞が障害されてくる変性疾患を助長することが知られていますが、尿酸の抗酸化作用はこれを抑制するというのです。つまり血液中の尿酸値がある程度存在することにより、酸化ストレスが抑制され、神経細胞の変性が抑制され、これが原因で発症するアルツハイマー型認知症の発症が抑制されることが想定されます。

 この度これについて、米国ハーバード大学から、大規模臨床試験の成績が発表されました。それによると、痛風患者約5万のうち300人が、痛風でない人24万人のうち1940人が新たにアルツハイマー病になったというものでした。これを統計学的に解析すると、痛風になるとアルツハイマー病になるリスクが24%低下することになります。

 今回の結果から考えられることは、血液中の尿酸値が高いと、アルツハイマー病にはなりにくいが、痛風の関節炎を発症してしまいます。逆に尿酸値が低すぎると、抗酸化作用の不足からアルツハイマー病などが発症しやすくなるということを推測させるものです。抗酸化物質としてよく知られているものに例えばビタミンCなどがありますが、これらに比べて尿酸の血中濃度ははるかに高いことから、尿酸値のわずかな変動が抗酸化作用を大きく変化させ、酸化ストレスに影響を与えることが大きいと想像されます。しかし、両方のバランスを考えるとやはり血液中の尿酸値は適切な治療などにより正常範囲を保っておくことが重要だと思います。

引用文献:Na.Lu et al. Ann Rheum Dis (2015.3.4. オンライン版)



医療の歴史(59) 平安時代の疫病
2015年3月 8日

 平安時代は、王朝貴族が政権を握り優雅な社会情勢がイメージとして浮かびますが、実際は毎年のように異常気象や疫病の流行が繰り返されていました。なかでもそれまでに藤原一族が次々と罹患し命を落としていった天然痘(痘瘡)(医療の歴史47医療の歴史48参照)は、全国的な大流行を繰り返していました。中央政府は限られた地方の流行であれば食料などをふるまうなどの対策が立てられますが、全国的な広がりとなると、医療はもちろん公衆衛生的な施策をすることは不可能で、神仏に頼ることしかできませんでした。

 また861年における赤痢の流行は病名が記録に残っています。赤痢にはアメーバ赤痢という寄生虫が原因で発症するものと、赤痢菌が原因の細菌性赤痢がありますが、多くは細菌性赤痢だったのでしょう。食物や水から消化管に感染する食中毒で、高熱、激しい腹痛、下痢、血便が続きます。京やその周辺の村で大流行し、多くの子供が亡くなったといいます。

Ichijou_tennnou2.jpg

 冬季になると、高熱と咳が続く咳逆(しはぶき)という一種の流行性感冒がたびたび流行しました。インフルエンザだったかも知れません。おびただしい数の死者があり、1011年には時の一条天皇が32歳でこの「しはぶき」により亡くなったことが平安後期の歴史書「大鏡」に記されています。

 その他のウイルス性疾患としては麻疹の流行もたびたび発生しました。なお麻疹を「はしか」と称するようになったのは鎌倉時代になってからのことです。平安時代で記録に残る大流行は歴史書「扶桑略記」などによると1077年で、白河天皇やその皇后が麻疹に罹患し、多くの皇族や公家が死亡したそうです。

 これらの病気は現在ではあらかたの正体が判りますが、当時はこれに対して例えば高熱や下痢による脱水に対して十分な水分を与えるなどの医療法は考えられていなかったようです。薬物療法についても抗菌薬などはもちろん存在しませんが、漢方薬など当時からあった薬物が使用された記録はありません。やはり加持・祈祷という治療法しか考えられなかったのでしょう。



牛乳の飲みすぎで骨折?
2015年3月 1日
milk2.jpg

 年齢を重ねるにつれ、骨粗鬆症のように骨の成分が低下して、少しの荷重負荷でも骨折が起こりやすくなります。これを予防するため骨の主成分であるカルシウムを多く摂取することが重要であり、牛乳を毎日飲むことは重要だということが一般的に信じられています。しかし最近マスコミでも取り上げられていますが、牛乳を飲み過ぎると骨折や死亡の危険度が上昇するという報告があり、問題となっています。

 ことの発端はスウェーデンの研究者から発表された大規模研究です。(BMJ, 2014,349: g6015

これは39歳~74歳の女性約9万人を対象として約20年間追跡調査したものと、45歳~79歳の男性約10万人を約11年間追跡調査した結果をまとめて報告したものです。結果は女性対象の研究では、期間中に17,252人が骨折を経験し、5,278人が心臓血管疾患で、3,283人がガンで死亡した一方、男性では5,379人が骨折を経験し4,568人が心臓血管疾患で、2,881人がガンで死亡したというものでした。牛乳の摂取量などの検討を併せて統計学的に解析すると、「牛乳を多く摂取した群では、骨折および死亡リスクが有意に上昇し、特に女性でこの傾向が著明であった」というものでした。

 この原因として研究者らは、牛乳に含まれる乳糖の代謝産物であるD-ガラクトースが関与していると考察しています。D-ガラクトースは、老化の原因となる酸化ストレスや慢性炎症、免疫能の低下、神経系への影響があり、これが結果として現れたものといいます。D-ガラクトースは通常の食品に多く含まれるものですが、牛乳での含有量に比べると微々たるものだそうです。

 これに対して、牛乳以外の乳製品、例えばヨーグルトなどの発酵乳製品やチーズなどでは、牛乳そのものの影響とは全く逆の効果があったといいます。つまりチーズや発酵乳製品は骨折リスクや全死亡率を低下させるというものです。

 しかし「これらのことだけで骨折予防に牛乳を飲んでも意味がないと言い切るには、さらに慎重な検討をする必要がある」と論文の著者らは述べています。



医療の歴史(58) 病草紙
2015年2月22日

 平安時代の末期に「病草紙(やまいのそうし)」という絵巻物が作られました。これは当時の特にめずらしい病気や治療法などを集めて描いたもので、京都国立博物館など各地の博物館・美術館に保管されており、現在21の病態を描いたものが伝えられています。そのうち、現代病にも見られるいくつかをご紹介します。

yamai_sleep.JPG不眠の女

 不眠症には、寝付けない、夜中に覚醒する、早朝に起きてしまうなど色々ありますが、この絵の説明は「夜になれども寝入らるることなし。」となっていますので、入眠障害というタイプの不眠症と思われます。原因についての記載はありません。しかし何らかのストレスが原因にあり不眠症に陥っているのでしょう。不眠症は抑うつ状態など精神神経疾患の基本的な症状の1つで、当時からさまざまな精神的ストレスがあったことも想像されます。


yamai_cataract2.jpeg

眼病の男

 眼が見えなくなった人に対して治療を行っている図です。おそらく白内障で視野が白濁して視力低下した人の水晶体(眼のレンズ)に針をさして治療しているところと思われます。この種の眼科的治療は当時からよく行われていたようですが、この絵に描かれた患者は最終的に視力を失ったという説明があり、にせ医療者の処置を受けてしまった可能性も考えられます。

yamai_obesity.JPG

肥満の女

 両脇の人に支えてもらわないと歩けないほど太ってしまった女の絵です。何らかのホルモンの異常があった可能性がありますが、おそらく裕福な家の女性とみうけられますので、いわゆる生活習慣病で食べ過ぎや運動不足が原因となったとも考えられます。




食生活がよくないとCOPDになる
2015年2月15日
COPD.jpg

 COPD(慢性閉塞性肺疾患)は、以前にもご紹介しましたが(20121119日医療あれこれ)、慢性的な喫煙などが原因となり、左の図のように肺胞が潰れていく病気で,息をすぐにはき出せなくなるという呼吸機能の低下(一秒率の低下)が発生します。教科書的には喫煙が最も重要な危険因子とされています。しかしタバコを吸ったことがない、あるいは周囲にタバコを吸う人がいないにもかかわらずCOPDに罹患してしまう人もおり、喫煙以外の生活習慣との関連が想定されていました。その1つが食生活の影響です。

 今回米国ボストンのマサチューセッツ総合病院などが中心となり、約12万人の看護師などの医療従事者を対象として1984年~2000年の期間にわたって新たに何人の人がCOPDと診断されるに至ったかを調査した大規模臨床研究の結果が発表されました。この間における食生活の指標としてAHEI-2010(Alternate Healthy Eating Index 2010)が用いられましたがこれは、野菜・全粒穀物(未精白の穀物)・多価不飽和脂肪酸(オメガ3脂肪酸など)・ナッツ類を多く摂り、飲酒は適度にして、赤身肉・加工肉(ハムやソーセージなど)・精白穀物・糖分を控えるなどをしているとスコアがよくなるというものです。

 その結果、女性で723 人が、男性で167人がCOPDを発症したのですが、AHEI-2010スコアとの関連をみると、AHEI-2010スコアの高い人ほど、つまりよい食生活をしている人ほど有意にCOPDが発症しにくいというものでした。この食生活の影響は、喫煙や運動、肥満度など他の要因とは独立した別の要因であることが判りました。

 これらの結果は、COPD発症の予防に禁煙はもちろんのことですが、健康的な食生活も重要であることを示しているものと思われます。

 

引用文献:BMJ 2015; 350 doi: http://dx.doi.org/10.1136/bmj.h286 (Published 03 February 2015)

Cite this as: BMJ 2015;350:h286



医療の歴史(57) 藤原道長の糖尿病
2015年2月 8日

 糖尿病は、よくのどが渇く、よく水をのむ、そして尿量が多い、などの症状があり、合併症として眼底の網膜が障害される糖尿病性網膜症や腎機能が低下する糖尿病性腎症、手足の感覚がなくなってしまう糖尿病性神経障害といった三大合併症のほか、白内障や心筋梗塞や脳梗塞などの大血管障害が発生します。昔はその症状から「飲水病」とか「口渇病」などと呼ばれていました。基本的に乱れた生活習慣が糖尿病発症を引き起こす生活習慣病ですが、発症しやすいか否かについては遺伝的素因が大きく関与します。

Fujiwara_Michinaga2.jpg

 平安時代、国の政治はいわゆる摂関政治で摂政・関白により動かされていることが長く続きました。この中で「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることも無しと思へば」と詠んだことで有名な最高権力者の藤原道長(9661027)は糖尿病であったことはよく知られています。遺伝的素因としては、道長の父である藤原兼家の兄、摂政の藤原伊尹(これただ)は重症の糖尿病に悩まされ49歳で亡くなっています。また道長は兼家の四男でしたが、長男の摂政関白 藤原道隆も糖尿病で酒の飲みすぎによる病気で死亡したとされています。

 このように道長には糖尿病の遺伝的素因があり、その上、贅沢三昧の生活をしていたのでしょう。過飲過食、運動不足、上の絵でわかるように肥満があり、その地位からストレスもあったことが想定されます。これらはすべて糖尿病を悪化させる要因でした。50歳を過ぎてから、「昼夜なく水を飲みたくなる、口が渇いて脱力感がある。しかし食欲は以前と変わりはない」などと、同時代の公卿であった藤原実資(さねすけ)の残した日記「小右記」に記されています。同じく「小右記」に道長の目が見えなくなったことが書かれており、顔を近づけても相手が誰かわからなくなっていたということです。おそらく糖尿病合併症の白内障が相当進行していたのでしょう。また背中に膿がたまる腫れ物が何度もできたことなどが記録されています。欠けたることのない我が世を謳歌した藤原道長は1027124日、62歳でその生涯を閉じたのでした。



20秒間片足立ちができますか?
2015年2月 1日
standingononeleg2.jpg

 脳血管疾患のなかには、CTスキャンなどの検査で小さい脳梗塞(ラクナ梗塞)があったとしても症状が現れない無症候性脳血管病変があります。またこれらは認知症と関連することが知られています。

この度、目を開けたまま片足立ちで20秒間保持できるかどうかによって、これらの病変の可能性と関連することが京都大学ゲノム医学センターと愛媛大学老年神経総合心療内科の共同研究により明らかにされました。

 研究対象者は平均年齢が67歳の男性546名、女性841名で、開眼片足立ち保持時間を最長60秒まで測定しました。結果は1030名の人が最長の60秒に達し、89名が60秒未満、120名が40秒未満、148名が20秒未満でした。ラクナ梗塞の数は片足立ち20秒未満の人で統計学的に有意に多いことが判りました。また同じく20秒未満の人は認知機能が有意に低下しているという結果だったそうです。 

 一見健康そうに見える人でも姿勢の安定性は脳の早期病変や認知機能低下を予測する因子であることが明らかになったということです。姿勢の不安定性は高齢者の総合的な健康状態の尺度としてとらえ、いっそうの注意を払っていく必要があります。以前に本項で、高齢者における全体的な機能低下をあらわす「フレイルティ」という言葉をご紹介しましたが、片足立ち時間の低下は、単にバランス能力の衰えを示すのではなく、潜在的な脳血管病変の存在をしめすものであることが興味深い点だと思います。

引用文献 Tabara Y et al.  Stroke. 2015;46:16-22



医療の歴史(56) 菅原道真の怨霊
2015年1月25日

Sugawara_Michizane2.jpg 菅原道真(845903)は儒学者の家に生まれ、そのころの朝廷で政権の中枢を形成していた貴族ではありませんでした。平安時代中期、天皇との結びつきから朝廷での地位を得ていく条件として、文人で教養が高く、官吏としての政務能力が高いことが条件でした。道真は儒教的思想を背景とした政治理念を持ち、優れた実務能力があったことから、宇多天皇に重用され、右大臣にまで登りつめました。この時、これに次ぐ左大臣の地位にあったのが藤原時平(871909)で、新しく時事情勢にあわせた行政をするべきとの政治理念を持っていたのですが、従来の律令政治を踏襲しようとする道真と政治的対立があったようです。成り上がって右大臣になった道真に対する他の貴族たちの妬みがあったところへ、後ろ盾だった宇多天皇が醍醐天皇に譲位し上皇になられたあと、時平らの讒言(さんげん)などもあり、道真の立場は破局を迎えます。九州の大宰府で太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷された道真は、京に残した妻子を想いながら悲運の中59歳で亡くなってしまいました。

 道真の死後、京ではさまざまな事件が発生し、それらが道真の怨霊のためであると全ての都人が盲信するようになりました。病気を始めとしてすべての不祥事は怨霊、物の怪(もののけ)の仕業であるという思想の典型的な例です。醍醐天皇は疱瘡(天然痘)に罹患し崩御され、政敵だった藤原時平も病名は明らかではありませんが、短い闘病ののちわずか39歳で亡くなりました。また下の図にあるように、御所の清涼殿に落雷が起こり、大納言藤原清貫(きよつら)らが即死したのです。

 この怨霊を鎮めるため、京で道真は北野天満宮に祀られました。妻子と別れ大宰府へ出発するとき、庭の梅の木に寄せて詠んだ「東風ふかば にほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」という有名な歌から、天神様と梅が結びついています。

seiryouden-ennjou2.jpg



2014年出生数は最少、死亡数は最大だった
2015年1月18日

 厚生労働省が新年早々に発表した「平成26(2014)人口動態統計」によると、昨年(2014)の出生数の推計は1001千人と戦後(昭和22年以降)最少であり、逆に死亡数の推計は1269千人で最多であったことが分かりました。出生数は2013年より29千人少なく、死亡数は1千人増えていたそうです。その結果、昨年(2014)の死亡数と出生数から算出される人口の自然増減数は、-268千人となりました。

shiinn.jpg 一方、主な死因と死亡数の推計は、ガンなどの悪性新生物が37万人、心筋梗塞などの心疾患が196千人、肺炎が118千人、脳血管疾患(脳卒中など)113千人となり、以前ご紹介したように、肺炎が第3位を維持する一方、悪性新生物による死亡は最多となりました。

 これらの発表とは別に、201411月に学術雑誌Lancetの「健康と加齢」特集に1980年から2011年までの間で平均余命、つまり現在60歳の人が平均であと何年生存するか、という数値がどのように変化したかという記事が公表されていました。それによると、高所得国での60歳平均余命は男性で17年間に17.2年、女性では26.6年延びたとされています。世界で最も延長した国は男性ではニュージーランドで、オーストラリア、ルクセンブルグ、英国と続き、日本は53ヶ国中22位でした。これに対して女性では日本が世界最大の平均余命延長国だったそうです。この要因として、心臓や血管の病気、糖尿病による死亡数の減少、さらに高血圧予防、保健指導の拡充や効率化がうまく機能したと考えられています。高所得国では、塩分制限や禁煙、ワクチン接種などの予防対策により回避可能な疾患が原因で死亡する場合が減少してきた結果と考えられます。2011年時点で女性の場合、この回避可能な死亡率が世界で最も低かったのは日本で、第2位のフランスを大きく引き離していたそうです。

 ただし生存者が必ずしも健康で充実した生活を享受できているとは限りません。慢性疾患の予防、管理の強化が求められているところで、そのためにも社会の医療システムが人口高齢化に伴う諸問題に有効な対策を立てていくことが重要です。



医療の歴史(55) 平安時代の医療制度
2015年1月11日
gennji2.jpg

 平安時代は桓武天皇が平安京(京都)に都を遷した794年から、源頼朝が鎌倉幕府を成立させる1185年までの約390年間をさしますが、前代(奈良時代)から引き継がれた律令制度に基づく社会であった前期、荘園制が生まれ律令制が崩壊していった中期、および武士が台頭して鎌倉時代に引き継がれていく後期に分けて考えるのが大方の見方です。平安前期では、医療制度については律令制度で生まれた典薬寮(医療の歴史42)があり、これに基づいて設置された施薬院が平安時代後期にかけて大きな力を持つようになりました。

 典薬寮は奈良時代に比べて相当大きな規模となり、地方から送られてくる薬物の管理、薬園や乳牛の牧場の管理、医学教育および医師の任免、朝廷関係者や畿内住民の診療まで、すべての中央医療関係を管轄していました。この時代に医学を学んでいた医生の正確な数字は明らかではありませんが、数十人の規模であったと考えられています。定められた教育課程が修了するとかなり厳格な資格試験が実施されましたが、合格しない場合も多く、これらの者には当然のこととして医業をおこなうことを禁止していました。しかし次第に医師不足が問題となってきたため、医師の子孫はたとえその本人が医学教育を受けていなくても無検定で医師になれるという無謀ともいえる制度にかわっていったようです。

 施薬院については、奈良時代に光明皇后が興福寺に皇后宮職として設置したものが最初でした(医療の歴史49)。平安時代になるとこれが皇后宮職から独立した存在となり、その規模を拡大させていき、もともと悲田院の管轄であった貧困の住民や孤児の救済までを取り仕切っていました。京の町で飢病者がいると米や塩をふるまうなどの事業もおこなっていたようです。しかし京では一方でかなり非道なことも行われていたようで、奴婢は死が近づくと雇い主は道端に捨てられるなどのことがおこなわれ、道端や河原には白骨がごろごろころがっていたといいます。それはともかくとして、時代が下って荘園が栄え地方に朝廷の力が及ばなくなると施薬院の勢力も衰えてきました。また地方で施薬という大義名分のもと特権を得て横暴な活動が目立つようになったという記録も残されています。




現代人の死亡を予測するヒポクラテスの警告
2015年1月 4日

 今から2400年前ギリシアの医師ヒポクラテスは、それまでの呪術的な医療ではなく科学的に人の体を観察して現代に通じる医療の体型の基を作り、「医聖」「医学の父」と呼ばれています(医療の歴史2参照)。彼は正常な認知能力と旺盛な食欲のある人の死亡率は低い、つまり精神的に正常で食欲があると長生きできるという仮説を立てていました。この真偽について現代の臨床疫学的手法を用いて調査するという考えもおよばないような研究が、カナダのマニトバ大学でおこなわれその結果をまとめた論文が2014年末に発表されました。

Hippocratessurvival2.jpg

 研究の対象はマニトバ地域の65歳以上の住民1751人で、うつ病や精神状態を調査するアンケートを用い、食欲の有無や精神状態の安定性を評価した後、1991年から56年間、死亡率を調べていったのです。その結果、食欲が正常で精神的に正常な人に比べて、食欲、精神機能のいずれかが劣る人は調査終了時の生存率が低く、食欲と精神機能の両方に問題のある人は最も生存率の減少が著明であることが明らかとなりました。上の図は、カプラン・マイヤー生存曲線という時間経過にともなう生存率の変化を示したものです(引用論文より改変)。食欲と精神機能のいずれかあるいは両方に問題がある人に比べて、両方とも問題がない人の方が明らかに調査終了時の生存率が高いことがわかります。

 このような現代の疫学調査方法が知られていなかった紀元前のギリシアで人の生存について予測したヒポクラテスはまさに「医学の父」と呼ばれるにふさわしい偉大な人物であったことが改めて認識されました。

引用論文:BMJ 2014;349:g7390 doi: 10.1136/bmj.g7390 

(Published 15 December 2014)



医療の歴史(54) 医療と験者、陰陽師
2014年12月30日

 平安時代には、身分の上下にかかわらず人々は病気の原因は怨霊の仕わざと信じられていました。当時、急病人がでるとそれに対応するのは怨霊、物怪(もののけ)を退治する加持祈祷が最も重要な医療行為だったのです。枕草子には急病人があるので験者(げんざ)を探し回り、やっとのことで加持祈祷により治癒した様子が記されています。また宇津保物語などには、験者による加持祈祷で物怪の調伏させたのち、医師による後治療がおこなわれたことが描かれています。つまり当時の人々にとって病気の治療には、薬の内服より験者による加持祈祷の方がはるかに大切であったことがうかがえます。

 一方、都で身分の高い人たちは、病気になると呪術や祭祀をおこなう陰陽師(おんみょうじ)に疫神を退治させるようになりました。陰陽師は、養老律令で中務省に属する官職の1つで、本来は陰陽五行に基づいた陰陽道により占術を専門とする職でしたが、怨霊や疫神の退治をもおこなう職業となってきたのです。前回、医療の歴史(53)でふれたように藤原氏の陰謀で九州の太宰府に左遷された菅原道真のように政争に敗れて失脚したり、暗殺された人の怨霊が疫病を引き起こすと信じられ、これに対応することが必要だったのです。

  陰陽師として一躍有名になったのが、小説、映画、テレビドラマに登場する安倍晴明です。安倍晴明は921年、摂津国阿倍野(現在の大阪市阿倍野区)に生まれたとされ、陰陽師賀茂忠行に陰陽道を学び官職に就きました。50歳ごろから頭角をあらわし、最終的には中務省の陰陽寮長官である陰陽頭よりも上の官位であったといわれます。下の写真は泣不動縁起にある疫病神退治をする安倍晴明です。Abe_no_seimei2.jpg



医療の歴史(53) 平安時代の始まり
2014年12月23日
kanmu2.jpg

 平城京が都であった奈良時代、大仏を建立した聖武天皇の頃はよかったのですが、後期になると僧道鏡が天皇の位に就こうとするなど(医療の歴史51)、それまでの仏教政治に歪が目立つようになりました。これを一掃するねらいも含めて、桓武天皇は都を移すことにしたのです。初めは山背国(やましろのくに)長岡の長岡京(現在の京都府向日市あたり)に遷都しましたが、これには平城京の貴族らの中にも強硬に反対する勢力もあり、桓武天皇の腹心だった藤原種継が暗殺されるなどの事件がおこり、最終的に794年、山背国葛野(かどの)宇陀(うだ)、現在の京都市に再遷都されました。平和で安心できる世の中であることへの願いを込めて平安京と名付けられたのです。以後、源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約400年間を平安時代と呼ぶのはご存知の通りです。

 平安時代の全般的な医療の特徴は、それまでの遣唐使が廃止され、大陸から新しい医療が直接もたらされることがない分、わが国独自の医療が築き上げられていきます。その典型が医療の歴史46でご紹介したように、医書が編纂されたことです。なかでも丹波康頼による医心方は、長年朝廷で保管されていたこともあり、全てが現存している貴重な資料です。しかしこのような一流の医学は都に在住するごく限られた身分の高い人にしか施されませんでした。庶民のほとんどは古代からの民間医療や、僧らによる加持祈祷に頼ったものだったのです。特に、平安時代には非業の死を遂げた人の恨みが現世に祟をなす怨霊の存在が信じ込まれており、人の病、とくに疫病の流行はすべて怨霊の仕業であると考えられていました。平安遷都にあたっての争いから反対派により幽閉され自害した桓武天皇の弟で皇太子だった早良親王(さわらしんのう)を祀ったのが御霊会の始まりです。平安時代には御霊会が盛んにおこなわれるようになり怨霊を鎮めるため、非業の死を遂げた人を神として祀るようになります。その代表的なのが、藤原氏の陰謀の犠牲となった菅原道真が天神として祀られた北野神社ですが、このことは改めて述べたいと思います。



幹細胞移植で関節軟骨再生
2014年12月16日

 兵庫医科大学整形外科(吉矢晋一教授)では、激しいスポーツなどが原因でおこる膝関節軟骨損傷の人を対象に、本人から採取した骨髄液を培養して膝関節の損傷部に注入し、軟骨を再生させる新しい再生医療の臨床研究を広島大学などとの共同としてスタートさせました。対象は20~70歳で、この臨床研究への参加希望者は兵庫医科大病院の受診が必要です。

joint.jpg

 軟骨は、関節の骨の表面にあって関節をスムーズに動かす役割がありますが(右図の青色の部分)、長年の体の動きなどで次第に損傷してくると、関節で骨と骨が直接接することになり、運動により痛みが生じ、動きが制限されてきます。さらに進行すれば「変形性膝関節症」という明らかな整形外科的疾患の原因になります。関節の軟骨には血管がないため血液成分中の物質で傷害が自然に修復されていくことはありません。これまでの治療法としては、損傷部の周辺を刺激して組織再生を促す治療法「骨髄刺激療法」などがありましたが、十分な回復が困難でした。そこで新たな再生医療が必要というわけです。

 もともと赤血球や白血球を作っている骨の中心部である骨髄には、赤血球や白血球の元になる細胞である幹細胞があります。その中で、血液細胞ではない骨や軟骨になっていく「間葉系幹細胞」も存在するのですが、今回の臨床研究では、骨盤の一部である腸骨から骨髄液を採取して、このうち軟骨に分化していく「間葉系幹細胞」を分離し大阪大で培養、細胞を増殖させて移植するというものです。再生医療というと、京都大学山中教授のiPS細胞が思い浮かびますが、iPS細胞は今回の幹細胞よりもっと未熟で、皮膚から採取した細胞を、どのような組織にも成長していく多能性をもった幹細胞として作り出し増殖させて医療に用いるものです。つまり「間葉系幹細胞」はiPS細胞より少し軟骨の方向に成長した幹細胞ということができると思います。

 この臨床研究は、昨年5月に厚生労働省の承認を受けていますが、実施期間は5年間で、40人に細胞移植、およびこれまでの方法である骨髄刺激法の両方をおこない、別の40人に骨髄刺激法だけを実施し、これまでの方法に加えて新しい細胞移植を実施した場合の効果の差を確かめることになっています。



スマホ画面で頭痛がおこる
2014年12月10日

 スマートフォンなどの画面はブルーライトを発することから、これが原因で難治性の頭痛が発生することが知られています。ブルーライトは波長380495nmの青色光で、スマートフォンやゲーム機、パソコン、さらに液晶テレビ画面が発する光に含まれています。近年、日常生活でこれらの画面を見る時間が増えており、特に若い人たちにおける難治性の思春期慢性連日性頭痛の原因になると考えられています。11月に下関で開催された日本頭痛学会総会で、これらブルーライトを発する機器の夜間での使用を制限すると頭痛の症状が改善することが報告されました。

 これらのことは小児科領域において、頭痛だけでなく、睡眠障害、昼夜逆転、不登校などとの関連も指摘されています。そこでこれらの訴えをもつ慢性連日性頭痛の症例に対して、ブルーライト制限を中心とした約1ヶ月の入院治療をおこなったところ、症状の著明な改善がみられ、登校も可能になったということです。

 小児思春期頭痛外来に通院中の1219歳の30人にアンケートすると、スマートフォンやゲーム機、パソコンの所持率は100%だったそうです。その使用時間は1日平均5.6時間で最も長い場合15時間に及ぶと回答しています。さらに夜8時以降の使用がほぼ毎日という結果が得られたそうです。glasses.jpgそこでスマートフォンやパソコンなどの使用は13時間以内とし、夜8時以降はなるべく使用しないことが提唱されました。さらにブルーライトカット眼鏡(右の写真)を装着するなどの基準づくりといった対策が必要だとのことです。



医療の歴史(52) 鑑真がもたらした医療
2014年12月 4日

 医療の歴史(51)でご紹介したように奈良時代から医療は僧侶がおこなうことが中心でした。その中で、医療者としてはあまり知られていませんが、有名な看病僧の一人に唐から来日した鑑真がいます。

Ganjin2.jpg

鑑真は688年、唐の長江河口近くの揚州の人で、14歳で出家し長安・洛陽で仏教を学び、唐国内で戒律を教え広めて名声を得ていました。そのころ仏教の普及のため本格的な伝戒師を求めていた日本から僧栄叡(ようえい)・普照らが唐に渡り鑑真に誰か日本で戒律を広める人物を紹介してくれるよう懇願したところ、742年、鑑真自身が決意し渡日することになりました。しかし難破などで5回も渡海に失敗し、そのうちに自らは眼病を患い失明してしまいます。最終的に753年、遣唐使の帰国船に乗ってついに日本に渡ることに成功し、翌年には平城京に入り、東大寺に迎えられました。そして大仏殿前に戒壇を設けて、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇を始めとして、多くの僧侶が鑑真から受戒したのです。758年に大和上(だいわじょう)の号を授けられ、のち東大寺から移った唐招提寺に現在もまつられています。

 鑑真は戒律だけでなく医術についても詳しい知識を持っていました。来日にあたって多くの珍しい薬物を持参し医術の普及にも大きな貢献をしたのです。医療の歴史(50) でご紹介した正倉院薬物の中に遠くアラブ産のものも含めて多くの外国産の薬物がありますが、その中に、鑑真が来日するときに持参したであろうと考えられているものがあるそうです。何度も渡海に失敗して盲目となった鑑真は、匂いだけで薬物を鑑定することができたといわれていますが、それは実物を知らなかった日本の医療者にとって大変重要な情報でした。

 聖武天皇の母、藤原宮子の病が悪化したとき鑑真が呼ばれて治療し、その時に使用された医薬が奏功したことによって鑑真は僧としての高い位が授けられたのです。また聖武太上天皇が重体に陥った時、看病僧126名が朝廷に召集されましたが、この中にもちろん鑑真も含まれています。治療の甲斐もなく756年、天皇は崩御されましたが、この僧たちの租税負担が免除されることになったそうです。



肺炎の予防接種
2014年11月24日

 以前にご紹介したように日本人の死因は第1位がガンなどの悪性新生物、第2位が心疾患、そして、これまで脳血管障害が第3位でしたが、2年前より肺炎となっています。そしてその肺炎の原因菌として最も頻度が高いのは肺炎球菌です。(http://www.suehiro-iin.com/arekore/etc-disease/post_17.html)

 Streptococcus_pneumoniae.jpg肺炎球菌は1881年、フランスの化学者ルイ・パスツールによって単離されました(左の写真)。肺炎球菌は肺炎を引き起こすのはもちろんのこと、中枢神経の致死的感染症である髄膜炎の原因菌ともなります。幼小児や高齢者は肺炎球菌感染症が重症化してしまうことがあるので予防が大切です。

 2014年の10月から、高齢者に対して肺炎球菌のワクチンであるニューモバックスNP23価肺炎球菌莢膜ポリサッカライドワクチン)の定期接種が可能となり公費助成が行われることになりました。このワクチンは93種類ある肺炎球菌の血清型のうち23種類の血清型に効果があります。また、この23種類の血清型は成人の重症の肺炎球菌感染症を引き起こす原因菌の多くを占めることから、80%以上に予防効果があるとされています。ただ有効である期間は5年間であることや、連続して接種するといろいろな副作用が発現しやすくなることから、現在のところ65歳で1回接種し、2018年度までの5年間は70歳、75歳と5歳きざみで接種することになっています。

 一方、小児の肺炎は、肺炎球菌のような一般細菌より、マイコプラズマという別の病原体であることが多く、細菌性肺炎としては、インフルエンザ菌が多いとされていますので事情は異なります。

 なお念のため説明しますと、インフルエンザ菌とは、インフルエンザを引き起こす菌ではありません。インフルエンザの病原体はインフルエンザウイルスであり、インフルエンザ菌の感染症ではありません。一般にウイルスは細菌の10分の1以下のサイズであり細菌とウイルスは全くことなるものです。ではなぜインフルエンザを引き起こすものではないのに、インフルエンザ菌というややこしい名前がついているのかというと、昔、顕微鏡でウイルスが観察できなかった時代にインフルエンザという病気の人は何が原因で発病するのか解りませんでした。ある人が、インフルエンザを発症している人の咽頭から新しい細菌を発見し、それがインフルエンザという病気の原因菌だと考えたことからインフルエンザ菌という名前がつけられたのです。しかし、その菌はインフルエンザの原因ではなくインフルエンザの人にたまたま細菌の混合感染があってその菌が存在したのではないかと考えます。

 インフルエンザ菌のうちインフルエンザ菌b型(Hib:ヒブ)は幼小児に肺炎のほか重症の髄膜炎を引き起こすことから、2歳未満の乳幼児にヒブの予防接種が推奨されています。また肺炎球菌のワクチンは成人とは異なり13の血清型に有効な混合ワクチンが認可されています。

 いずれにしろワクチンで肺炎の発症予防をすることは重要で、成人のワクチン接種は当院でも実施しておりますので、接種を受けて下さい。



医療の歴史(51) 僧侶による医療
2014年11月16日

 律令制度で医療に関する法律である医疾令が出され、中央の医療を統括する典薬寮がありました。ここでは以前にご紹介したように医師などの医療職を養成する制度が確立していました。しかし、奈良時代の記録では、名医とされる人のほとんどが僧侶で、特に天皇が疾病に罹患した時など高貴な人の医療にたずさわったのは僧侶で、宮廷に看病僧として仕えていました。ここでいう看病とは、現代のように病者の身の回りの世話をするという意味ではなく、薬石による病気の治療はもちろん病気治癒を祈る祈祷など、当時の全ての医療をおこないました。聖武天皇の病気に対して医療にあたった看病僧は126名に及んだそうです。

 中にはその医療が成功することにより高い地位を得た場合が多くみられました。その代表的な人物が僧道鏡です。道鏡は、河内国、弓削連(ゆげむらじ)氏出身で、弓削道鏡とも呼ばれています。看病や湯薬の法に詳しく、宮中に看病禅師として仕えていました。聖武天皇の娘である孝謙天皇が退位し孝謙太上天皇となった後、病気にかかり召し出された道鏡は彼女の看病に成果をあげてその寵愛をうけるようになったのです。その時の天皇は、藤原四兄弟の長男である藤原武智麻呂の子、藤原仲麻呂(706764)によって擁立された淳仁天皇ですが、藤原仲麻呂は淳仁天皇から恵美押勝(えみのおしかつ)の名を賜り、破格の待遇を得て太政大臣に昇りつめ権力を掌握していました。そんな折、孝謙太上天皇の寵愛をうけている道鏡との対立が深まり、恵美押勝はその地位を保全しようと764年に兵をあげました。しかし孝謙太上天皇側の迅速な対応により押勝は殺害され、淳仁天皇は退位する結果となってしまったのが恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)です。

 その後、孝謙太上天皇は再び即位し称徳天皇となりますが、道鏡は天皇の信任も厚く、太政大臣禅師、さらに法王となって天皇に準ずる待遇を受け仏教政治に腕をふるいます。そして称徳天皇の意向を受けてついに道鏡を皇位につけようとする事件までおこったのです。これに対してはさすがに反対派の動きも鋭く、和気清麻呂らの道鏡即位反対運動により頓挫します。770年、称徳天皇が死去すると、天皇の親任以外に政治的基盤のなかった道鏡の立場は暗転し、下野(しもつけ)薬師寺の別当として追放され772年、同地で死去したとされています。

doukyouzuka2.jpg

11月14日は 世界糖尿病デー
2014年11月 9日

 改めて言うまでもありませんが、糖尿病はそれ自体の自覚症状が問題というより、糖尿病合併症が恐ろしい病気です。三大合併症といわれる、糖尿病性網膜症(目の奥の網膜が障害されて眼が見えなくなる)、糖尿病性腎症(腎機能が障害されて最終的に人工透析が必要になる)、および糖尿病性神経障害(手足の感覚がなくなってしまう)があります。しかしこれより恐ろしいのは、糖尿病性大血管障害と言われるもので、心筋梗塞や脳梗塞、あるいは足の動脈などがつまってしまう閉塞性動脈硬化症などは、生命の危機に陥ったり、足を切断しなくてはならなくなったりします。

 以前からこの項でご紹介していますが、糖尿病の患者数は増加しています。日本において糖尿病患者数は約1000万人弱で、糖尿病になる可能性が否定できない糖尿病予備群も1000万人を越えています。全世界で見ると、糖尿病患者数は25000万人といわれ、全成人の約56%となります。年間380万人以上が糖尿病合併症などが原因で死亡しており、10秒に1人が糖尿病関連疾患で命を奪われている計算となります。

 国連では2006年、国際糖尿病連合(IDF)ならびに世界保健機関(WHO)が定めていた1114日を「世界糖尿病デー」として指定し、世界各地で糖尿病の予防、治療、療養を喚起する啓発運動を推進することにしました。キャッチフレーズは「糖尿病との闘いのため団結」で、国連や空を表す「ブルー」と、団結を表す「輪」を使用したシンボルマークを採用し、糖尿病抑制に向けたキャンペーンを推進しています。日本各地でも、シンボルカラーのブルーで建造物などをライトアップされました。

 Banting.jpgところで、この11月14日はインスリンを発見したフレデリック・バンティング(1891~1941、右の写真)の生まれた日です。インスリン発見の経緯については以前「医療の歴史(26)」でご紹介していますので、次のアドレスをクリックしてご覧下さい。http://www.suehiro-iin.com/arekore/history/26.html





医療の歴史(50) 正倉院の薬物
2014年11月 4日

 奈良東大寺を建立した聖武天皇は、それまでも病気がちでしたが756年、その病状は思わしくなく崩御されました。忌明けの四十九日に、遺詔により生前に愛用されていた品々など600点が光明皇后にshousouin.jpgよって東大寺に奉納されました。それが校倉造りで有名な正倉院の御物となって今日に伝わっていますが、服飾、調度品、楽器、武具などがあり、唐ばかりでなく、遠くシルクロードを経た西アジアや南アジア渡来の品々が含まれています。御物それぞれの由来が明確にされており、管理が厳重で保存状態がよいことから、校倉造りという建築物そのものと共に、国際的な美術品として知られています。

 また正倉院には60種の薬物が保存されているのですが、その目録である「種々薬帳」が残されています。桂心、甘草、人参、大黄など今日でも漢方薬としてよく用いられる薬物を含めて60種の薬品名と、その下にそれぞれの分量が記載されてあるそうです。薬帳の最後に、「献納した薬物は盧舎那仏(るしゃなぶつ:大仏)を供養するためのものであり、これを使った者は万病がことごとく治り、寿命を全うすることを願う」という意味のことが記されているといいます。つまり奉納された薬物は、他の御物とは異なり施薬を目的として大仏の供養のためのものでした。またこれら薬物の一部は、光明皇后の施薬院で使用するために随時、出庫されたことが記録に残されています。しかし60種の薬物のうち、実際に施薬院へ出庫されたものは、上述の桂心、甘草、人参、大黄の4種類に限られていました。この4種類の薬物は当時から一般に最もよく使用されていたことがうかがえます。

 現代になって、昭和23年から24年と平成6年から7年の2回にわたって御物の調査が行われました。その結果、種々薬帳に記載される60種の薬物のうち、39種が現存していることが判ったそうです。さらに科学的検証によりこれらの薬物のほとんどが外国産であることが明らかとなりました。多くの美術・工芸品としての御物とともに、これらの薬物は当時、わが国では予想以上に世界的交流が広かったことを示していると考えられます。



甲状腺ホルモンと心臓
2014年10月26日

 

Af.jpg

以前にもご紹介しましたが(20121228日;バセドウ病と不整脈)、甲状腺ホルモンが過剰になると心臓の刺激伝導系が亢進状態となり、脈が速く動悸を感じるようになるとともに、心房が細かく震える心房細動という不整脈が発生してきます。その結果、左心房の中に形成された血栓が脳の血管を閉塞して脳梗塞を引き起こします(右の図)。

 その他、甲状腺ホルモンの心臓血管系への影響は、血圧の変動をもたらすことです。甲状腺ホルモンにより心臓の収縮力が高くなることから、上の血圧、つまり心臓が収縮したときの血圧(収縮期血圧)は上昇する一方、全身の血管抵抗性が低下して下の血圧、つまり心臓が拡張した時の血圧(拡張期血圧)は逆に低下します。このことから上下の血圧の差が大きくなります。また甲状腺機能亢進症であるバセドウ病では、心臓から血液を送り出される量、つまり心拍出量が正常の23倍に増加していることが知られています。その結果、心臓から大動脈へ送り出された大量の血液が逆流防止のために存在する大動脈弁に圧力がかかり、開きにくい状態となります。これは相対的な大動脈弁狭窄症の状態にあたるため、聴診器で心雑音が聴かれることになります。

 若い人の甲状腺ホルモン過剰症で、心雑音が聴かれる原因として、このような機序が考えられますが、高齢者になるとさらに別の要因も発生してきます。年齢とともに、動脈硬化などの影響で大動脈弁が硬くなり、大動脈弁の開き具合が悪い大動脈弁狭窄症を発生し心雑音が増強されることとなってしまいます。

 かつてはこれらの弁膜症がおこる原因として、リウマチ熱という溶血連鎖球菌の感染症があり、その後遺症として弁が狭くなる(狭窄症)、あるいはしっかり閉まらなくなる(閉鎖不全症)弁膜症がおこることが主要な原因でした。しかしリウマチ熱が重症化することが少なくなり、最近では加齢による弁膜症の頻度が多くなっています。

 甲状腺ホルモンに限らず、すべてのホルモンの作用はその受け皿(受容体)がある決まった場所(標的臓器といいます)にしか作用しません。心臓は甲状腺ホルモンの主要な標的臓器の一つなのです。

文献:小澤安則 日本医事新報 No.472120141018日号P.64



医療の歴史(49) 光明皇后と医療
2014年10月20日

 藤原四兄弟(医療の歴史47)の父で栄華を誇った藤原氏の実質的な開祖、藤原不比等は長女である宮子を文武天皇の夫人に入れ生まれた皇子(後の聖武天皇:医療の歴史48)の即位を計りました。さらに県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)との間にできた娘の光明子も聖武天皇の夫人として、天皇家と藤原氏の密接な結びつきを築いていきました。光明子(光明皇后)は仏教を深く信仰していた母の影響もあり、仏教へ帰依して厚い信仰心を持っていたそうです。このことが疫病流行に対して国分寺や大仏建立に至った聖武天皇に大きく影響したと考えられます。

 光明皇后の施療は「あまねく人々を救えば、未来永劫、疫病の苦しみから逃れられる」という仏典をよりどころにしています。医療の歴史(40)で、聖徳太子が四天王寺に施薬院、療病院、悲田院、敬田院の四院を建てたという伝説は定かではないことをご紹介しましたが、施薬院や悲田院は光明皇后によって本格的なものになっていったようです。この二院は723年、興福寺に置かれました。興福寺はもともと藤原鎌足の病気治癒を祈って京都の山科に建てられ、山階寺として藤原氏の氏寺でしたが、藤原不比等がこれを藤原京に移し、さらに都が平城京に戻ったとき興福寺として現在ある奈良の春日野に移されたものです。

 光明皇后が立后した翌年、興福寺に施薬院と悲田院が設けられたのです。施薬院は皇后宮職の管理下で役人が置かれ、医師・鍼師らの医療に必要な薬草を諸国から買い集めていました。医疾令では、医療職が病人のいる家を巡り治療することが定められていましたが、典薬寮の医師は施薬院から入手した薬をもって都中を廻り、病家に薬を与えていたそうです。さらに自宅では保養できない人、さらに孤児たちを悲田院に収容していました。

karafuro2.jpg また光明皇后でよく知られる話は、浴室での施療です。奈良市の平城京跡に隣接して、光明皇后が病人の治療のために建てたとされる法華寺がありますが、このなかに浴室が残されています。これは古くから「からふろ」と呼ばれており、サウナ風呂のような蒸し風呂だったのでしょう。光明皇后は「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという願を立てました。ところが、千人目の人は全身の皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めたため皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという逸話が残されています。




LEDと医療
2014年10月13日

 青色LED(発光ダイオード)の開発、実用化により3人の日本人研究者がノーベル物理学賞を受賞することが決まったことは、一部の論文詐称問題など日本の研究体質が世界から疑問の目で見られていた現在の状況を一転させる明るいニュースです。LEDをフルカラーの画面に用いるためには、すでに1960年代と1970年代にそれぞれに発見されていた赤色LEDおよび黄色LEDがありましたが、青色LEDの開発が必要でした。つまり光の三原色で赤と緑、そして青の光がないと白色を映し出すことができないからです。しかし青色LEDについては、その原材料になる窒化ガリウムの結晶化技術が困難で、当分不可能だろうと考えられていたところに、日本人研究者たちがこの難関を乗り越えたのでした。

 白色のLEDが登場した1996年以降、2010年頃までにLEDの照明器具が広く普及してきました。LEDは電気を直接光に変えるもので、設備が長持ちすることや、使用電力の大きな節約になります。液晶テレビやスマートフォンの画面ではバックライトに使用されますし、青色LEDによりCDDVDよりはるかに記憶容量が大きいブルーレイディスクが開発されるなど、デジタル家電において多方面に貢献します。

 「LEDと医療」という今回の表題について考えてみましょう。照明関係では、手術室で術者の手元を照らす照明は、従来のものに比べて熱を持たず鮮明に映し出すことから広く普及するようになりました。また同じく発熱量が少なく鮮明な照明であることから、飲み込んで腸内を検査するカプセル型内視鏡に用いられています。さらにLEDにより火傷などで障害された皮膚の再生が可能になり、最近ではLEDの照射により殺菌する治療法に応用されています。

 ところで、青色LEDが初めて発見・報告された1989年からわずか2025年でこれだけ私たちの生活環境に広く使われるようになったということは驚くべき速さです。受賞者で名城大学の赤崎勇先生も、社会への浸透が「こんなに速いとは思っていなかった」とおっしゃっています。同じ科学研究でも将来、問題解決につながるであろう基礎的な分野と、実用に直結する工学技術の実験・開発では随分異なるものであることを実感します。

 ノーベル賞といえば、2年前、iPS細胞で京都大学の山中伸弥先生が受賞されました。iPS細胞の発見・報告が2006年ですが、これを世界で初めて実際の臨床に使用されたのが先日報道された加齢黄斑変性症の症例ですから、一症例の臨床応用までに発見から8年かかっています。今後、iPS細胞を用いたさまざまな疾患の治療が、医療保険で普通に行われるようになるまで、一体どれ位の時間がかかるでしょうか。1015年でそこまで到達すると考えるのはかなり無理があるように思います。医療というものは、生きている人の体を対象とすることから、極めて慎重に行われるべきであるのは当然でしょうが、多くの英知を集束して可能な限り速やかに進めて行きたいものです。



医療の歴史(48) 天然痘流行と聖武天皇
2014年10月 5日

 前回ご紹介したように、政権の中心にいた藤原四兄弟が天然痘により世を去り、朝廷や中央政界はその形態を維持できないほどになっていました。地方でも疫病の流行や飢餓により国全体が荒廃し政情は全く不安定状態だったのです。

Shomu2.jpg

 さらに追い討ちをかけたのが、740年に勃発した藤原広嗣の乱です。藤原広嗣は、藤原四兄弟の三男で四兄弟のうち最後まで生存していた正三位、参議、式部卿の藤原宇合(うまかい)の長子で、九州の太宰府に赴任していました。九州地方の惨状を目の当たりにした広嗣は、この社会情勢は中央政府の失政によるものだとして反乱を起こしたのです。藤原広嗣の乱は何とか鎮圧されましたが、政府の動揺はおさまらず、ときの天皇、聖武天皇は都を平城京から恭仁京(くにきょう:京都府木津川市)、難波京(大阪市)さらに紫香楽宮(しがらきぐう:滋賀県甲賀市)に次々と遷都しました。また疫病の流行地に医師を派遣したり、病人に医薬を与えるなどの措置を実施し、何とかこの危機を解消しようとしていました。

 もともと仏教を厚く進行していた聖武天皇は鎮護国家の思想により安定をはかろうとし、741年、国分寺建立の詔を出し、国ごとに国分寺、国分尼寺を設けさせることにしました。ついで743年、紫香楽宮で大仏建立の詔が出されたのです。745年に奈良平城京にもどった聖武天皇は娘の孝謙天皇に譲位した752年、奈良東大寺大仏が約9年間の歳月をかけて完成し、大仏開眼の壮大な儀式が執り行なわれました。この儀式には大勢の政府関係者の他、インドや中国から渡来した僧を含め約1万人の僧が参列したそうです。これは後述しますが、当時の医療者の中心が僧医であり朝廷や政府高官の病の診療に携わったことから朝廷から厚い信任を得る場合が多かったことと関連があったと考えられます。



医療の歴史(47) 天然痘で倒れた藤原四兄弟
2014年9月28日

 藤原氏は後年、平安時代中期に中央政権において藤原道長を代表とするように絶大な権力をふるいました。最初に藤原氏を名乗ったのは、645年当時の権力者であった蘇我入鹿を殺害し天皇中心の政権を作った大化の改新において中大兄皇子(後の天智天皇)とともに活躍し、天智天皇から藤原姓を賜った中臣鎌足(藤原鎌足)です。

 鎌足の次男である藤原不比等(医療の歴史41参照)は708年、右大臣となり政権の中央に座り、720年(養老4年)の死後、正一位太政大臣を贈られています。これらのことから栄華を誇った藤原氏の実質的な開祖は藤原不比等であると考えられます。また不比等は天智天皇から大変な厚遇を受けたことから、平安時代後期の歴史物語「大鏡」などには、不比等は藤原鎌足の子ではなく、天智天皇の落胤である可能性が記載されています。

Smallpox_virus.jpg

 ところで720年の不比等の死因については謎もあり、毒物による中毒説などもあるそうですが、当時の疫病流行を考えると痘瘡(天然痘)ではないかと考えられています。天然痘は天然痘ウイルス(右の電子顕微鏡写真)が病原体で、空気中からの飛沫感染や患者の膿などへの接触感染が原因で発症します。発症すると高熱が続き、豆粒状・丘状の皮疹が頭部・顔面から全身に拡がり、内蔵障害を伴って重症になると呼吸困難で死亡するものです。天然痘の歴史は古く、紀元前エジプトのミイラにも天然痘感染の跡が残っているそうですが、以前この項(医療の歴史20参照)でもご紹介したように、1796年、ジェンナーが開発した種痘法により、天然痘ウイルスは現在地球上から完全に撲滅されています。

 日本では6世紀の初めにも大流行があり物部守屋が発症したことは以前にご紹介しました(医療の歴史39)。奈良時代では、714年頃から日本と交易があった朝鮮半島の新巍で天然痘の大流行があったのですが、日本から遣新巍使が派遣されたとき、多くの人が天然痘に感染し、生還した人は天然痘ウイルスを日本に持ち帰ったことになり、735年頃から日本でも大流行がおこりました。当時の朝廷内にも流行は及び、藤原不比等もこの病に倒れたのではないかと考えられます。

 不比等には4人の子息がいました。長兄から順に藤原武智麻呂(藤原南家)、藤原房前(ふささき:藤原北家)、藤原宇合(うまかい:藤原式家)、藤原麻呂(藤原京家)で藤原四兄弟といわれています。皆それぞれ若い頃から政権の要職にありましたが、不比等の死後、政権の首班となった皇族の長屋王を策謀により自殺させ藤原氏中心の政権を作り上げたのです。しかしこの四兄弟も次々と天然痘を発症し、若くして亡くなってしまい、藤原氏は大打撃を受けたのです。また藤原氏だけでなく、多くの官人もこの疫病で亡くなり、朝廷で恒例の年中行事も実施できない状態になったのでした。



高脂肪乳製品は糖尿病を予防する?
2014年9月21日
nyuseihin.jpg

 食品中の脂肪は糖尿病発症と重要な関係があることが知られています。これまでの研究では、動物性脂肪に比べて植物性脂肪を摂取する方が糖尿病予防に有用であることが示されています。一方、乳製品については、摂取量が多いほど糖尿病発症に対して予防的に働くことが疫学研究で判っていますが、乳製品の脂肪含有量との関係は明らかではありませんでした。

 この度スウェーデンの研究者らがこの関係を調査研究し、91519日ウィーンで開かれた欧州糖尿病学会で報告しています。約27千人の人を対象として、14年間追跡調査し、乳製品に含まれる脂肪の多少により糖尿病発症が影響するかどうかをみたものです。

 14年間の追跡期間中に2,860人の人が糖尿病を発症しましたが、高脂肪乳製品を摂取していた人は、糖尿病発症が統計学的に有意な低率であったそうです。乳製品別にみると、生クリームの摂取量が多いほど糖尿病発症リスクが15%低いことが示されました。一方、精肉や加工肉から脂肪を多量摂取すると、逆に糖尿病発症リスクが上昇するという結果でした。

 これらのことから、乳脂肪の摂取が糖尿病予防に少なくとも部分的には関与している可能性が示唆されることになります。しかし、「やみくもに高脂肪乳製品を増やすことは勧められない。糖尿病発症だけでなく、心臓血管疾患の発症リスクなども考慮すべきである」と発表者は述べてといます。



デング熱の重症化
2014年9月15日
aegypti.jpg

 本年の8月下旬から、デング熱に感染した人が増加していることはご存知の通りです。デング熱は熱帯病の一つであり、デングウイルスが病原体ですが、このウイルスはヤブ蚊(右の図)により媒介され、人から人への感染はありません。東京の代々木公園周辺で蚊にさされたことによりデングウイルスに感染して発症した人が最初に報道されたことから、感染者は当初、東京在住の人に発症した報道が多かったのですが、その後、埼玉、神奈川、千葉、新潟、大阪、山梨、北海道、青森、岩手、茨城、群馬、山口など全国的に広がりを見せています。

 デングウイルスを持ったヤブ蚊に刺され感染すると、27日後に突然の発熱が現れて発症します。顔面紅潮や食欲不振、腹痛、吐き気、頭痛、筋肉痛などの多彩な症状が現れ、数日後には皮膚に発疹が出現することもありますが、ほぼ1週間で症状は軽快します。しかしまれに重症化することもあり、この場合は血液成分のうち出血を止める作用がある血小板の数が減少し、出血症状が著明に出現することからデング出血熱と呼ばれています。この重症型を放置すると胸や腹に水が貯まり(胸水、腹水)、血圧低下を起こし場合によっては生命に関わる場合もあるようです。

 9月の初めに開催された日本神経免疫学会、日本神経感染症学会で、このデング熱が重症型となるメカニズムの一部が明らかにされました。それによると、デングウイルスに感染し、体内でウイルスが増殖すると、免疫を担当する白血球の一つであるTリンパ球が活性化され、これが原因でインターロイキン、インターフェロンなどのサイトカインと呼ばれる免疫関連タンパクが増殖するなどの免疫異常が重症化に関連しているといいます。しかし、これらの免疫系変化は、デング出血熱の原因なのか、重症化による結果なのか不明な部分もあり、さらに研究が進められているとのことです。

 なお、デング熱の重症化は1%以下でまれとされています。しかし特に重症化しやすい場合として、日本産婦人科学会では、妊娠中の女性では通常の約3倍重症化しやすいので要注意であるとしています。妊婦さんは、虫刺され予防スプレーを使用するなど、特に蚊にさされないように注意することを呼びかけています。



医療の歴史(46) 日本最古の医学書
2014年9月 7日

 日本で最初に著された医学書は799年、和気広世による「薬経太素」といわれています。和気広世は、奈良時代後期から朝廷に仕え楠木正成らと同様に勤皇の忠臣とされていた和気清麻呂の長男で、和気家は広世以後代々医家として継承されていきます。しかし和気広世の著した原本の内容は散逸してしまい、後世、室町時代か江戸時代に書き直されたものとされています。次に古い医書は、平城天皇の治世808年に、安部真直らにより著された「大同類聚方」で、100巻にも及ぶ大著でしたが散逸してしまいました。最近まで断片的に伝えられる内容が大同類聚方原本の一部であると考えられていましたが、現在では否定的な説が多く、後世の記述ではないかと考えられています。

tambayasuyori2.jpg

 原本の形を今に伝える最古の医書は、典薬頭も勤めた丹波康頼が928年に著した「医心方」です。原本は丹波康頼から宮中に献上され、永らく宮中の秘蔵書となっていたことから、時代の変遷による散逸もなく、そのまま現在に伝えられているのです。室町時代になって、丹波家とともに代々の医家代表であり当時の典薬頭であった半井瑞策に下賜されました。

 医心方の内用は、丹波康頼が隋や唐の医書120あまりを引用して書き上げられた30巻からなる医学全書です。その内容は、医師の心得、薬物の注意点から始まり、鍼灸に関すること、内科、外科、眼科、耳鼻咽喉科、産科、婦人科などあらゆる医学領域におよび、最終の第30巻には穀物、野菜、肉類などの健康食品にも触れられています。

 医心方の著述に引用された中国などの医書は、現在では散逸して存在しないものも多く、医心方は古代東洋医学の内容を知る上で欠かせないものとなっているそうです。(引用文献:酒井シズ 日本の医療史)

ishinhou2.jpg



高地での生活は血圧を上昇させる
2014年8月30日
everest2.jpg

 高山への登山や、高地住民では空気中の酸素が薄くなることなどが原因で、いわゆる高山病の発症に注意することが必要です。今回、高度の高い地方で一定期間生活した人の心臓血管系への影響や血圧の変化などを調べた研究結果がイタリアの研究者たちから報告されました。(European Heart Journal on line, 2014, Aug 27)

 低地に住む正常血圧の健康人60人の有志が研究対象として選ばれました。平地(海抜高度)で8週間過ごした後、ネパールのカトマンズ(標高1,355m)で3泊し、標高3,400mのナムチェバザールまで登って3泊、さらに5日間かけて標高5,400mのベースキャンプへ到達して12泊したそうです。各実験参加者の血圧や血液中の血圧上昇と関連するホルモンなどを測定し、解析されました。

 その結果、高度の上昇に伴って早朝血圧や24時間血圧は持続的に上昇し、最高高度の標高5,400m地点滞在中は高止まりとなり、低地に帰還後、実験開始前の血圧に戻ったということでした。さらに血圧上昇時に降圧剤が投与されましたが、標高3,400m地点では有意な降圧効果がみられたのに対して、5,400mまで登ると降圧剤の血圧に対する効果が認められなくなりました。またこのような血圧上昇は血液中の血圧上昇作用をもつホルモン値の上昇と関連していたそうです。

 論文の著者らは、血圧上昇や低酸素状態は、慢性の心臓病や呼吸器疾患の増悪に重要な意味をもつと指摘しています。極度に標高が高い地点への登山は血圧の制御が不能になる可能性も示しています。しかしレジャーで登山やトレッキングをする程度であれば、それ程心配するような事態ではないという結果です。ただ高血圧で降圧剤を服用中の人が、旅行にでかけるとき、薬を持参することを忘れたりすると問題が起こる可能性がありますのでご注意をお願いします。

参考文献:Medical Tribune on line (829)



甲状腺腫の歴史
2014年8月24日
thyroid.jpg

 紀元前から首の前部が大きく腫れる甲状腺腫をきたす疾患があったことが知られています。しかし長年にわたって甲状腺は喉と関係したものであろうとしか考えられていませんでした。頭から咽喉へ降りてくる痰が多過ぎることから甲状腺腫がおこるのだろうとも考えられていたのです。甲状腺のことを英語ではgoiter (ゴイター)といいますが、これはラテン語の咽喉という意味であるgutterから由来しています。重要なホルモン産生臓器である甲状腺は、喉とは独立した臓器であることが判明したのは16世紀になってからのことでした。1656年トーマス・ワートンによりこのホルモン産生臓器が「甲状腺」と名づけられたのです。

 しかし甲状腺腫がどのようなメカニズムで病気として発症するのかについて明らかにされるのはさらに時間がかかりました。昔からある地方で甲状腺腫が多くみられることから、なんらかの風土病ではないか、また何かの感染症ではないかと考えられていました。また生まれつき発達障害をもつ子供に甲状腺腫がみられ「クレチン病」と呼ばれていました。これは現在では頻度は少ないですが、先天性の甲状腺機能低下症であるクレチン病ということが明らかになっています。一方でヨウ素の不足が甲状腺腫を引き起こすことが知られており、ヨウ素やヨウ素成分を多く含む海藻が甲状腺腫の治療薬として用いられた時代も長く続きました。

 1914年に、エドワード・ケンダールが甲状腺ホルモンであるサイロキシン (T4) を初めて分離しました。そしてその原料がヨウ素であることが明らかになっていくのです。しかし、血液中で微量に存在する甲状腺ホルモンを簡単に測定する方法が確立しないと、甲状腺腫をきたす疾患の病態は解明されません。これを可能にしたのが放射性同位元素を用いたラジオイムノアッセイ (RIA) です。RIA1950年代になって、ロサリン・ヤローとS.A.バーソンによって開発され、さまざまなホルモンの微量測定が可能になりました。とくにヤローは糖尿病に関連するインスリンのRIA法を確立しノーベル賞を受賞しています。その後、RIAは血中微量物質の定量に多く用いられる時代がしばらく続きましたが、放射能を用いるという危険性から、現在では酵素抗体法など他の方法にとって代わられています。

 なお甲状腺腫は、甲状腺ホルモンが過剰となるバセドウ病や、逆に甲状腺ホルモン不足の橋本病の他、甲状腺ガンによるものである可能性もありますから、早期に診断・治療を始めることが必要です。

参考文献:KFカイプル著、酒井シズ訳;疾患別医学史Ⅰ(朝倉書店)P.224




医療の歴史(45) 古来からの薬物2:牛乳
2014年8月16日

mokkan3.jpg 牛乳はカルシウムを多く含み良質のタンパクであるなどと現在では大切な健康飲料ですが、昔から牛乳を治療薬物として用いることがおこなわれていました。古代、上流階層の人々が牛乳を飲んでいた証拠として、天武天皇の孫で、藤原氏との勢力争いに敗れて自害した長屋王の邸宅跡(奈良県二条市)から多く出土した木簡(文字が書かれた細長い板)に右に示す写真のように、牛乳を運んできた人にコメを渡したことが記載されているものがあります。ことに病気で虚弱となった身体に牛乳を与えることは現在でも理にかなった治療ということができるでしょう。牛乳をそのまま飲むだけではなく、現在のチーズのような「蘇(そ)」や「酪(らく)」といった乳製品が作られ、食品として以外に薬として用いられていたようです。

 また日本書紀には安閑2年(525年)「牛を難波大隅島、媛島松原(現在の大阪市東淀川区あたり)に放つ」という記載があり、古来この辺りは乳牛の放牧に適した土地であったようです。律令制度の中でも、典薬寮(医療の歴史42 参照)の付属施設として乳牛院が設置され、東淀川区周辺のこの土地は乳牛牧(ちちうしまき)として毎年、牛乳や乳製品を献上することが義務付けられていたそうです。大阪市教育委員会によると、20世紀の初めまで、現在の大阪市東淀川区には乳牛牧村という地名が存在し、大隅東・西小学校は「乳牛牧尋常小学校」と称していました。大阪市東淀川区大桐5丁目には「乳牛牧跡」の石碑が建てられており、近隣の大隅神社の境内には牛の像があります(下の写真)。

chichiushi2.jpg



エボラ出血熱
2014年8月11日

 感染すると7080%の致死率となるアフリカ由来のエボラ出血熱が世界中に流行するかもしれないと報道され、世間が騒然となっています。エボラ出血熱は日本の感染症に関する法律(感染症法;感染症の予防及び感染症の患者も対する医療に関する法律)においては、危険性が極めて高く感染者は指定医療機関への隔離入院が必要である1類感染症に分類されています。

 もともとはアフリカ大陸の限定された地域に存在するエボラウイルスの感染が原因で、地域住民で感染がおこることから、いわゆる風土病とされていたものです。しかし交通手段が発達し、今までになかった規模で人や物が国境を自由に越えて行き交うなか、これらの病気が世界中に広がり初めてきました。歴史的にみても、同じように人が自由に行き来できるようになると今までになかった病気が拡大してくることが多くみられます。例えば古くは、アメリカ大陸を発見したコロンブスの探検隊員が、原住民の持っていた性病である梅毒をヨーロッパに持ち込んだ可能性があるという話は有名です。また限定された地域にあり、感染して放置すれば免疫不全症(エイズ)を発症するヒト免疫不全ウイルス(HIV)が世界中に拡大してしまったことなど、交通手段の発達が新たな感染症の問題を引き起こしてきました。

ebola2.jpg

 エボラ出血熱の話に戻りますが、この病気はエボラウイルス(右の図)の感染があり、最大3週間程度の潜伏期間を経て発症します。進行すると激しい下痢や嘔吐が現れ、それらに血液が混ざってショック状態に陥り死に至るものです。今回問題となっているのは4種類あるエボラウイルスのうち、最も毒性の強い種類のものだそうです。現在、このウイルスに対する抗ウイルス薬やワクチンはありません。

 感染経路は、インフルエンザのように空気中から感染することはなく、感染者の体液、吐物、下痢便などから感染するもので、これらに直接触れない限り感染することはありません。しかし患者が多く発生しているアフリカの地域は、政情が不安定で病気への対応が難しく、現地住民の感染症に対する知識も不足しているため、流行が収まらないのではないかと国立感染症研究所は述べています。またこれまで発熱や出血が注目され、エボラ出血熱という病名が付けられていますが、実は激しい嘔吐や下痢などで高度の脱水に陥り死に至るのではないかともいわれています。世界保健機関(WHO)はエボラ出血熱という病名を使わず、エボラウイルス感染症(EVD)という呼称を使っています。脱水であれば、十分な点滴で水分やナトリウム、カリウムを補給すれば救命率が上がる可能性がありますが、患者の多発地域ではっこれらの医療的処置ができていないのが現状だそうです。

 マスコミで大きく扱われ、必要以上に不安を抱く人がありますが、正しい情報に基づいて行動することが重要です。

文献:日経メディカル、20148月号、P.42



熱中症に水だけ飲んだら危険?
2014年8月 5日

 蒸し暑い日が続いています。テレビや新聞では熱中症の予防に「こまめに水分を補給しましょう」と伝えています。このことについて少しだけ注意を要する点があります。大量に汗をかいたからといって水分として普通の水、あるいはお茶などを飲み過ぎると危険な状態になりかねません。

 普通の水の中にはナトリウムなどミネラルがほとんど含まれていません。これを大量に飲むと血液が水で薄められて、血液中のナトリウム濃度が相対的に下がってしまう「低ナトリウム血症」をひきおこす可能性があります。これを「水中毒」などと言ったりしています。どのように具合が悪いのかというと、脳細胞の中に細胞の外から水分が流入して、脳のむくみ(脳浮腫)をひきおこします。すると、けいれんや意識障害といった神経症状が出現してきます。さらに悪くなると脳ヘルニアという危険な状態が発生してくる可能性もあります。

noufushu.jpg 右の図をご覧下さい。脳は言うまでもなく頭蓋骨という骨で囲まれていますが、骨は伸び縮みしませんので頭蓋骨の中の容積はほぼ一定です。限られたスペースの頭蓋骨内にある脳がむくんで体積がふえると、頭蓋骨内の圧力が上昇することになります。すると頭蓋骨のうち穴があいている方へ脳がはみ出していく結果となります。これが脳ヘルニアです。その結果、脳幹という意識や呼吸の中枢がある場所が圧迫され生命の危機になってしまうことがあるのです。

 それでは一体どうすればよいのかということですが、大量の汗をかいたあとの水分補給は、水とともに少量の塩分を摂るとよいでしょう。塩は塩化ナトリウムですから、ナトリウムの補給になります。しかし摂り過ぎはよくありません。とくに血圧の高い人は注意が必要です。

 必要な量のナトリウムを含んでいる飲料がスポーツドリンクで、これはさまざまな成分がバランスよく含まれていますから、汗をかいたあとの水分補給には最適といえるでしょう。しかし、この場合でも今までのスポーツドリンクには糖分がかなり含まれており、糖尿病の人は要注意です。スポーツドリンクの大きなペットボトルを何本も飲んで糖尿病となってしまう場合を「ペットボトル症候群」といいます。最近ではカロリーオフのスポーツドリンクも発売されていますから、こちらの方が理想的といえるでしょう。



医療の歴史(44) 古来からの薬物:薬用植物
2014年7月27日

kanzou.jpg 酒のほかに古来から薬物として用いられたものの中心は、草木の皮、根、果実や葉など薬用植物といわれるものでした。富士川游著、日本医学史綱要には薬用植物として葛(くず)、蕉青(カブラ)、蒲黄(ガマの花)、薄(ススキ)、葦(ヨシ)、比々羅木(ヒイラギ)、樺(カバ)、桃、赤酸醤(ホウヅキ)、柏、樫、真堅木(マサヤキ)、楓(カエデ)、挙樹(クヌギ)、羅(ラ;ガーゼのような薄い布?)、檜(ヒノキ)、茜(アカネ)、葡萄(ブドウ)、海布(メ;ワカメなどの海藻)、蜀椒(ナルハシカミ;山椒)、胡桃(クルミ)、竹などがあり、中でも蒲黄や桃は治療に用いた記録があると述べられています。一方、江戸時代(1558年)に佐藤方定(佐藤神符満)が著した備急八薬新論には、人参、附子(ブシ)、原朴(ホウノキ)、甘草(右の写真)、胡椒、丹砂、巴豆(ハズ)、大黄が挙げられています。この中には丹砂のように鉱物も含まれていますが、これら八薬は神代から治療に用いられるとのことです。

 典薬寮の付属施設である薬園では、薬園師の統率でこれらの薬用植物が薬戸により栽培、管理されていましたが、薬園は朝廷の支配が及ぶ各地に存在したようです。yakuon.jpg



医療機器と携帯電話
2014年7月21日

 ご存知のように、これまで鉄道各社は電車内の「優先座席付近などで携帯電話の電源は終日オフにして下さい」とアナウンスしていたものが、今年の7月以降「混雑時には、電源をお切り下さい」のように、「通話はご遠慮下さい」はそのままですが、電源オフの規制を緩和しています。阪急電鉄では、携帯電話電源オフ車両を撤廃して、他の私鉄同様に「優先座席付近で混雑時には・・・」と変更されています。

pacemaker2.jpg このような公共の場所での携帯電話使用規制は、常時、医療機器を使用している人への影響を考慮したものでした。常時使用する医療機器の代表が写真に示す埋め込み型ペースメーカーです。心臓は、右心房に洞結節という心臓独自の生理的ペースメーカーがあり、その電気的刺激で規則正しく拍動しています。その洞結節のリズムが不調になる洞不全症候群や、刺激が心臓の筋肉に伝導されることが障害される房室ブロックなどの不整脈では、人工ペースメーカーという機器によって心臓のリズムを制御することが必要になるのですが、常時これをおこなうためにペースメーカーを皮膚の下に埋め込んでおくものです。携帯電話など電波を発する電子機器はこの埋め込んだペースメーカーを狂わせる可能性があることから、これまで使用規制があったのでした。

 1997年の厚生省(現在の厚生労働省)指針では、電子機器を22 cm以上近づけると埋め込み型ペースメーカーに影響を及ぼすとしていたことから、電車内での携帯電話使用規制が実施されていました。しかしこれは20年近く前の旧式の携帯電話のことであって、新しい機種になる程この影響が低減され、3 cm以上離せば問題ないという新機種の携帯電話(スマートフォン)も登場しています。そこで今回の規制緩和になったわけですが、混雑時には、ペースメーカー使用者の体と直接接触することもあるので、やはり注意が必要というわけです。

 なお人工ペースメーカーに影響をおよぼす機器は、携帯電話だけではありません。最近の米国から発表された論文でも、MP3などのヘッドホンからも影響が出るとのことで、「埋め込み型医療機器のある胸の上に、他の人がヘッドホンを付けたまま頭をのせるようなことがないように注意してください」と発表者は述べています。

医療の歴史(43) 最古の内服薬:酒
2014年7月19日

 昔から、「酒は百薬の長」といわれているように、古代からの内服薬として酒が用いられていました。富士川游著の日本医学史綱要にも「薬物の内用は、酒を以てその始めとすべし」と記述されています。医療の歴史(36)でご紹介したように、医薬の祖;少彦名命は、病気を治す薬の一つとして酒造りの技術を普及させたとのことです。

 酒の薬効としては、適度の飲用により、食欲を亢進させ、精神的ストレスを緩和すること、また血管を拡張させることにより血液循環を良好にするなどが考えられます。しかし古代に「酒は万病を除く」とされていたのは、酒に酔うと一時的にでもさまざまな苦痛が緩和されるという程度のものだったのでしょう。

toso.jpg

 一方、漢方薬に使われる生薬を原料の一部として醸造されたいわゆる薬酒は、日本においてもその歴史は古く、奈良の正倉院に伝わる739年頃の文書に「写経生の足のしびれに薬の酒を飲ませる」ことが記述されています。薬酒は後漢時代の中国から漢方薬とともに日本に伝えられたもので、酒のもろみに薬材を添加し発酵させる発酵薬酒と、酒のなかに薬材を浸して作る浸薬酒の2種類ありますが、古代からの浸薬酒として代表的なものが「屠蘇(とそ)酒」です。56種類の生薬を酒やみりんに漬け込んで作るもので、正式には屠蘇延命散といいます。元旦に屠蘇を飲み一年の無病息災を願う正月の風習は、811年に宮中で行われたのが始まりだそうです。



カロリー制限で老化を抑制
2014年7月13日

 たとえ病気にかかることがなくても、人間の寿命には限りがあり、115歳ぐらいが最長と考えられています。しかしその中でも、生活習慣を改善し老化を抑制することにより、健康な生活を長く維持することができればこれほど望ましいことはありません。このためさまざまな抗老化療法が考案されていますが、そのうち最も安全で簡便な方法は食事でカロリーを制限することと、適度の運動を続けることです。

koucallory2.jpg カロリー制限は老化を遅らせて平均寿命を延ばすことが報告されており、運動を続けると健康寿命を延長させるとされています。カロリー制限は、老化を促進する要因を最小限に抑制し寿命延長効果の本質であることが明らかにされていますし、適度の運動を続けることは健康生活を維持するのに有効であることは言うまでもありません。

 またアルツハイマー型認知症やパーキンソン病などの神経疾患に対してカロリー制限はその発症を抑制する効果があることが動物実験で確認されています。近い将来、カロリー制限療法がこれらの難治性疾患の予防・治療法として有効であることを確立することを目的として研究が進められています。

 しかし、長期間にわたって極端なカロリー制限を続けると、栄養素のバランスを維持することが困難となって、逆に健康障害のリスクになる可能性も考えられます。栄養のバランスがとれ、しかも理想的なカロリー制限をおこなうことが必要となるでしょう。

 

引用:入谷敦、森本茂人:日本医事新報47062014.7.5P57



医療の歴史(42) 律令制で設置された典薬寮
2014年7月 6日

 律令制のなかで、実際に医療者養成機関として制定されたのが典薬寮(てんやくりょう、くすりのつかさ)です。大宝律令で定められた中央官僚機関のなかに現在の厚生労働省にあたるものは存在せず、典薬寮は宮内省に属する部署として設置されました。それは典薬寮では、医療関係者の育成および薬剤として用いる薬草園の管理が行われましたが、その医療行為は主として宮廷官人に対するものだったからです。当初は典薬寮とともに天皇への医療をおこなう内薬司が別組織として設定されましたが、896年には典薬寮と内薬司は併合され、朝廷における医療を全て管掌する機関となりました。

kususi2.jpg 典薬寮の長官として典薬頭(てんやくのかみ)が統率し、実際の医療は医師(10人)、針師(5人)、按摩師(2人)、呪禁師(2人)で実践しました。さらに医博士、針博士、按摩博士、呪禁博士が任命されました。博士とは、現在の学位としての博士とは異なり、学生を指導する教授としての官位でした。これらの教員から医術を学ぶ医生(40人)、針生(20人)などの学生がいました。また薬園の管理をする薬園師(20人)と、その手段を学ぶ薬園生(6人)、さらに実際に薬園の手入れをする薬戸などがいたそうです。

 これらは国の中央組織ですが、地方でもこれに準じて医療者組織が形成されていく制度になっていたようですが、十分に浸透していったのか否かは定かではありません。また中央政府の典薬寮も平安時代以降は朝廷内にだけその形を残すのみとなっていましたが、1869年、明治維新に伴う制度改革によって廃止されました。しかし7世紀の律令制により形成された機関が、1000年後の明治維新まで存続したという大変まれな存在でした。

 典薬寮の役職として呪術師が設定されていたように古代の医療はやはり呪術的な色彩が強かったようで、典薬寮の最高責任者である典薬頭として732年には修験道の開祖とされる役小角(えん おづの)の弟子であった韓国広足(からくにのひろたり)が就任しています。その後、典薬頭は和気清麻呂を開祖とする和気氏、そして現存する日本最古の医学書「医心方」を編纂した丹波康頼に始まる渡来系の氏族である丹波氏らが世襲することになっていきました。




尿酸には強力な抗酸化作用がある
2014年6月29日

 人において血液中の尿酸値はプリン体の最終代謝産物で、尿酸自体が水に溶けにくく、血中濃度が高くなると尿酸は結晶を作り、それが関節に蓄積して痛風発作の原因となるということを、このページでも何度かご紹介してきました(201248日付医療あれこれ他)。それでは「尿酸というものは血液中の老廃物で、多量の尿酸は人の体にとって必要なものではない」から血液中の尿酸値は低ければ低いほどよいのでしょうか?

 実は尿酸には強力な抗酸化作用があるのです。抗酸化作用をもつ抗酸化物質は、人の体の中でおこる酸化的ストレスを抑制するものです。酸化的ストレスが蓄積すると、人は老化し、血管の障害がおこり、脳などの神経細胞が障害されるなど多くの好ましくない状態を作り出しますが、抗酸化物質はこれらを抑制する作用を持っています。ビタミンCは典型的な抗酸化物質として知られています。お肌を若々しく保つためにはビタミンCは必要不可欠であることはよく知られた事実ですが、尿酸がもつ抗酸化作用はビタミンCよりはるかに強力です。

 人の血中尿酸値は他の哺乳動物に比べて正常でも高い値であるとされています。一説によるとこれが人間は他の哺乳動物に比べて寿命が長いことにつながるそうです。またアルツハイマー病やパーキンソン病の人のうち異常に血中尿酸値が低値な場合があることも報告されています。つまり尿酸がもつ抗酸化作用が不足すると老化を早め、神経疾患の原因を作ってしまうというのです。これらのことを考慮すると、尿酸がもつ抗酸化作用は人体にとって必要なものです。ただし血中尿酸値が高すぎると痛風の原因となってしまいますので、血液中の尿酸値は多すぎず、少なすぎずということが理想的だと考えることができます。

 それではどうすれば適切な血中尿酸値を維持することができるのでしょうか?それは栄養のバランスがとれた食事をする、適度の運動をする、アルコールを飲みすぎない、など正しい生活習慣をすることです。低尿酸血症より高尿酸血症の人が圧倒的に多いのは事実ですから、もし尿酸値が高ければお薬でコントロールすることができます。普通に生活をしていて、健康診断など機会があるごとに尿酸値を調べておけば安心ということができます。

医療の歴史(41) 律令制度と医療
2014年6月22日

 物部氏との政争に勝利した蘇我氏は蘇我稲目、馬子、蝦夷(えみし)、入鹿の4代にわたって皇室を上回る勢いで、大和政権を掌握していました。645年、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足は、政権を天皇家に取り戻そうと、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で蘇我入鹿暗殺に及びます。この暗殺事件直後に即位した孝徳天皇は改新の詔を発布し新しい政治を形成していきました。この政変が大化の改新と呼ばれるものです。これを契機にその当時大陸に派遣されていた遣唐使によってもたらされた唐の制度にならい、701年(大宝元年)に大宝律令が編纂されます。これによりわが国は法治国家としての形を整えてゆくのです。

Fujiwara-Fuhito2.jpg 大宝律令の選定に携わったのは、大化の改新後、天智天皇から藤原姓を賜った藤原鎌足(中臣鎌足)の次男である藤原不比等(ふじわらのふひと)や忍壁皇子(おさかべのみこ)らで、この制定により、国政は天皇を中心として、太政官と神祇官の二官と中務省、式部省、治部省、民部省、大蔵省、刑部省、宮内省、兵部省の八省からなる中央官僚機構が骨格として形成され、私有地の国有化、戸籍、租税に関することなどまで事細かな規定がなされていたそうです。

 この大宝律令に含まれる制度のうち21番目に、日本で最初の医療制度である「医疾令」が定められました。医療に携わる医師を政府が養成し、諸国に配置して医療に従事させようというものです。医師を官吏とすることで、医療の国有化をめざしたものと考えることができます。具体的には1316歳の医師の子弟40名を医学生として選抜し、厳しい試験を課して中央政府や地方行政機関に配属していくものです。部門ごとの修学年限や定員は、内科および鍼灸が7年で12名、外科・小児科が5年で3名、耳鼻科・眼科・歯科にあたるものが4年、按摩や呪術にあたるものが3年などでした。9年間かけても修了できないものは退学処分とするなど大変厳しい学制だったようですが、卒業生は医官として従八位の官位や禄が付与されることが定められていたそうです。ただしこの制度は、あまりにも理想的で事細かなことから、どれだけ実効されたかは明らかではないと考えられています。



食物繊維摂取は心筋梗塞の経過を改善する
2014年6月14日
vegifluirice.jpg

 食物繊維を十分に摂取することは心筋梗塞など心臓血管疾患の発症を抑制することは以前よりよく知られています。一方で、心筋梗塞を発症してしまった人が、発症前にはあまり摂っていなかった食物繊維を、発症を契機として十分に摂るようにすると疾患の経過が改善されるのか否かについては十分なデータはありませんでした。このほど、ハーバード大学公衆衛生学の研究チームが、「心筋梗塞発症後、食物繊維摂取量を増加させることにより死亡リスクが低下する」という結果を発表しました。(BMJ,2014,348g,2659

 以前のように心筋梗塞は致死的な疾患というより発症早期の適切な治療により、病気を克服して社会復帰されることが多くなってきました。しかし心筋梗塞を経験した人の死亡リスクは、そういった病気の経験がない人に比べて、やはり高いことが判っていました。そこで今回の研究では、心筋梗塞発症後に、食事で肉、魚よりも食物繊維の摂取量を増やすという生活改善をするとこの死亡リスクはどうなるのか?という点について、約4000人の男女を対象として追跡調査し検討したものです。

 その結果、心筋梗塞後に食物繊維摂取量を増加させた群では、そうしなかった群に比べて全死亡リスクが低下することが判りました。食物繊維摂取量が1日あたり10 g 増加するごとに全死亡りすくが15%低下したとのことです。また食物繊維の種類別でみると、野菜、果物よりも穀物由来の食物繊維を増加させることと強い関連が認められたとのことです。日本人の主食である米の他パンや麺類をバランスよく摂ることがよいと思われます。

(引用:Medical Tribune201465日)




医療の歴史(40) 聖徳太子と医療
2014年6月 8日

shoutoku.jpg

 聖徳太子は574年、用明天皇の第二皇子として生まれました。推古天皇のもと遣隋使を派遣して大陸の文化を取り入れるとともに、冠位十二階や十七条憲法を定め中央集権国家体制を確立していったと伝えられています。蘇我氏と物部氏の争いで蘇我氏と協調する立場にあったことなどもあり、仏教を深く信仰し593年、四天王寺を建立したといわれます。これは太子が法隆寺を建立したとされる607年より以前のことです。

 伝説によると四天王寺には、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)の四箇院を設置し、高齢者や病気をもつ人の救済にあたったとされています。敬田院は戒律の道場、施薬院は薬草を栽培して病気をもつ人に薬を施す施設、療病院は身寄りのない病気の人を療養させる施設、そして悲田院は困窮した人の飢えを救う施設であったそうです。施療は「あまねく人々を救えば、未来永劫においても疫病の苦しみにあうことがない」という仏典をよりどころにしておこなわれる仏教行事で、聖徳太子の四箇院はこの一つということです。しかし聖徳太子が四箇院を建立したという話はそれからかなり時代が下ってから著された「聖徳太子伝暦」などに出てくるもので、太子の四箇院建立が本当だったのか否かは定かではないようです。

 いずれにしろ、この国の政治において中央にいた聖徳太子の仏教崇拝は、医療や福祉の精神に大きな影響を与えたのは事実でしょう。しかし仏典による薬草などをもとにした薬物は、遠くインドなどでないと入手できないものなどがあり、医療の実際としては、精神・心理療法や生活改善指導などが中心となっていったとの事です。

(引用: 酒井シズ 「日本の医療史」、「病が語る日本史」)aizen2.jpg




主要死因の4割は予防可能?
2014年6月 1日

 日本における主要死因別死亡率は頻度の高い順に、① 悪性新生物(ガンなど)、② 心疾患、③ 肺炎、 ④ 脳血管疾患(脳卒中)⑤ 老衰 となっています。米国でも上位はほぼ同じような傾向で、① ガン、 ② 心疾患、 ③ 不慮の事故、 ④ 慢性下気道疾患(肺炎など)、 ⑤ 脳卒中 の順とされていますが、この度、これら5つの主要死因のうち2~4割は予防が可能であるとの分析結果が報告されました(W. Yoonら;MMWR201452日号)。

 これは米国各州の2008年~2010年の80歳未満の死因を集計した5大死因で、米国全体で年間約90万人がこれらの疾患により死亡しています。日本の死因順と異なるのは、統計の対象が日本では全年齢分布における統計結果であるのに対して、米国の報告は年齢が80歳未満となっており高齢者の一部が分析対象から除外されていることが原因ではないかと思います。ご存知の通り日本でも、小児などでは不慮の事故が、また比較的若年者では自殺などといった死因が上位を占めていることから米国と日本で同じ年齢層を対象として集計するとほぼ同様の結果になるのではないかと想像されます。

 今回の報告では分析の結果、ガンのうち21%、心疾患の34%、不慮の事故の39%、慢性下気道疾患の39%、脳卒中の33%が予防可能であると算出されました。死亡原因の予防とは死亡に至る状態を阻止することですから、疾患の発生自体を抑制できるというものだけではなく、その疾患により死亡してしまうことが予防できるものと単純に考えることはできません。疾患が発生しても早期発見して治療をおこなえば死に至ることを抑制できるという部分が含まれているものと思われます。Yoon氏らも、「その原因疾患による死亡を予防することができても、別の原因によって死亡する可能性もあるため、単純に予防可能な死亡数とすることはできない」と付け加えているそうです。

引用: Medical Tribune 2014529日)



医療の歴史(39) 仏教、医療と政争
2014年5月25日

 仏教伝来は、古代日本の政治的争いに大きな影響を及ぼしました。蘇我氏と物部氏の二大豪族は大和朝廷内での勢力争いを繰り返していました。そこへ百済から伝えられた仏教をわが国が受け入れるのかどうかの判断を迫られたことが、この政争にさらに火をつけることになりました。蘇我氏の時の当主であった蘇我稲目(そがのいなめ)は、このような新しい信仰を早く受け入れて国を繁栄させていくべきだと、時の欽明天皇に奏上しました。これに対して日本古来の神道を深く信仰していた物部尾輿(もののべのおこし)は強く反対しましたが、この反対を押しきって天皇は仏教信仰を許可し、蘇我稲目は仏像を安置するため寺を建立し崇拝し始めます。

naniwaike.jpg ところが、仏教が伝来したとされる538年、国内に疫病が大流行したのです。半島との交流は物品とともに半島からの使者を介して疫病も一緒にやって来ることが十分考えられます。この時の疫病もおそらく仏教とともにもたらされたものだったのでしょう。しかし疫病の流行は神々のたたりであり、時の国政に過失があるためだと信じられていました。物部尾輿は仏教を受け入れたため、国神の怒りにふれ疫病の大流行がおこったとして、寺を焼き払い伝えられた仏像を明日香にあった難波池(写真)に投げ捨ててしまったのです。物部尾輿がこれほど仏教信仰に反対した理由の一つに、物部氏は古来、神道を最も崇拝していたことや、物部氏の専門領域として、軍事のほか医療に携わっていたという自負もあったのではないかと思います。

 しかし物部尾輿のこの対処にもかかわらず、疫病の大流行は収まることはありませんでした。その後、天皇や、尾輿の子である物部守屋が痘(かさ;おそらく天然痘だとおもわれる)を病み、各地で多くの人が痘のために亡くなりました。痘を病んだ人は、身を焼かれ砕かれるように苦しみ、泣きながら死んでいったのです。すると人々はこのような状態は仏教を弾圧したためだ、これを収めるには仏力に頼るしかないと逆に考えるようになり、仏教崇拝は再び広がりをみせることになりました。このようなことがあり激しかった蘇我氏と物部氏の争いは物部氏の没落という結果に終わったのでした。

甲状腺ガン
2014年5月18日

 甲状腺にできる腫瘍のうち悪性のものの多くが甲状腺ガンです。胃ガン、大腸ガン、肺ガンなどすべてのガンのうち甲状腺ガンの占める割合は1%ぐらいです。甲状腺ガンのうちで最も頻度が高いのが、ガン細胞の種類から、乳頭ガンといわれるものです。甲状腺ガンのうち90%以上がこの乳頭ガンですが、ガンの進展は穏やかな部類に入り、首すじのリンパ節へ転移することもありますが、適切に手術により治療をおこなうと、その人が10年後に元気にされている割合(10年生存率)は90%以上で、比較的経過がよいとされています。

 男女で発生頻度を比較すると女性に多く、年齢では中年以降の発症がほとんどです。自覚症状として痛みなどを感じることは少なく、甲状腺にしこりがあることに気づいたり、何気なく首を触ったときにしこりに気づくことが多いようです。また少し進行してリンパ節に転移があると、首すじのリンパ節の腫れで異常に気づいたことから、検査をして甲状腺ガンと診断されることもあります。

 診断にはまず触ってみる(触診)が重要で、硬くなめらかではない腫瘤を触れます。そこでX線や頸部超音波エコー検査、さらに針を刺して細胞を調べる穿刺吸引細胞診などの検査をおこないます。

 治療としては、乳頭ガンの場合、まず手術で摘出することですが、早期の場合、甲状腺の半分だけ摘出することが学会から推奨されています。しかし再発の危険が高いと判断された場合、甲状腺の全摘出、またリンパ節転移がある時は、腫れているリンパ節だけでなく、頸部リンパ節をすべて摘出することとガイドラインに示されています。

 また再発の予防を目的として、放射性ヨードが投与されます。以前にもこの項でご紹介しましたが、ヨードは甲状腺ホルモンの原料であることから甲状腺に取り込まれますが、これに微量の放射能を付けておくと悪性細胞の発生を抑制するというものです。日本ではこの放射性ヨードを外来でも投与できるように、至適投与量を少なめに設定しています。いずれにしろ早期に発見して適切な治療をおこなうことが最も大切です。



フレイルティとは
2014年5月11日

 フレイルティ(frailty)を単純に辞書で和訳すると「虚弱」という意味になります。医学的には歳を重ねて徐々に日常生活動作に障害が現れてきた状態を指します。アメリカの老年学会ではフレイルティを「75歳以上で日常生活に何らかのサポーつが必要な集団」と定義しています。脳血管疾患や転倒による骨折など急性のアクシデントがないにもかかわらず、75歳を超えると加齢による身体の衰弱が増加してくるということです。

 それでは「フレイルティ」と、以前にこの項でもご紹介しました「サルコペニア」(2013610日付医療あれこれ参照)とはどのように違うのでしょうか。サルコペニアはあくまで、年齢とともに筋肉量が減少するため下肢筋力がおとろえ歩行障害がおこることが原因の日常生活の障害です。これに対して、フレイルティは筋肉量の減少が明らかではない場合でも、心臓や肺、さらには脳など全身の臓器機能が徐々に低下してきて発生するものが主な要因で、高齢者に特有の状態ということができます。しかし全身の機能低下というものの中に下肢筋力低下も含まれますから、サルコペニアはフレイルティの一部と考えることができるでしょう。

 いずれの場合でも、適切な栄養を摂ることや、適度の運動などが日常生活動作の低下を低減することが想定され、高齢者の一般的な健康増進が予防効果をもつことが期待されます。



医療の歴史(38) 仏教伝来と医療
2014年5月 6日
bukkyou.jpg

 仏教は538年、百済から伝えられたとされています。百済の聖明王の使者が難波津(現在の大阪府)から大和川を船で上り、初瀬川畔の交易地であり「しきしまの大和」と呼ばれる大和朝廷の中心地であった海柘榴市(つばいち:奈良県桜井市)に上陸し、経典と仏像(釈迦仏金銅像)を献上しました。

 古来、日本の民族信仰は神道でした。そこへもたらされた仏教は人の苦しみである「生老病死」という「四苦」の一つの病を救うとされます。仏のもつ高い治癒能力への期待が仏教を広く受け入れ、またたく間に国中に広がっていったのでした。奈良薬師寺の仏足石歌碑に、今までの医療職者より、新しい仏(薬師如来)による治病の方が優れているという意味の歌がきざまれているそうです。医療における仏教に対する期待の大きさが表現されているものと思います。

 さらに仏教の進展については、推古天皇のとき「三法興隆の詔(みことのり)」が発布されたことが大きく影響します。三法とは、仏、法、僧で、この詔は仏教を興隆させることが国の政策であることを宣言したことになります。こうして全国に寺院が建立され仏教は国民的宗教となっていきます。仏教の説話集にも、治病の大切さを説いているものが多くみられます。また医療従事者としても祈療を専門とする僧(僧医)が多く輩出され、近世に西洋医学が入ってくるまで僧医が医療の主流を占めるようになります。このように仏教は日本における医療の世界に大きく影響を及ぼしていったのでした。




高学歴の人ほど喫煙率は低く飲酒率は高い
2014年5月 3日

 2012年のアメリカ健康調査(NHIS)の結果が、米国疾病対策センター(CDC)の死亡疾病週報(MMWK418日号に紹介されています。それによると、高校卒業未満の人に比べて、大学卒業以上あるいはそれに相当する最終学歴の人ほど喫煙習慣のある人の率が低いのに比べて、飲酒習慣のある人の率は逆に高いことがわかりました。この調査は25歳以上の人を対象としておこなわれていますが、年齢による相違や、男女の差などは明らかではありません。しかし最終学歴の相違が、その後の生活レベルや生活スタイルの違いに影響を及ぼしていることが考えられます。smoking.jpg

 しかしこれはアメリカ人のデータであり、日本でも同様であるとは言い切れません。とくに喫煙率は、最近、日本でも低下する傾向にありますが、それを考慮しても、最終学歴が最も高い人の喫煙率 7.9% という米国の結果は日本に比べて明らかに低率であると想像されます。一方、飲酒についてはわが国では、管理職に就くと、高血圧、肥満が発生しやすいことも指摘されており、飲酒率増加と何らかの関連があるようにも思えます。

 いずれにしろ、タバコは吸わない、飲酒はほどほどに、という生活習慣にすることが最もよいということは言うまでもありません。


引用: mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1404/140466.html



医療の歴史(37) 帰化人による医療の伝来
2014年4月26日

 医療の歴史(35)(36)で、古代日本における医療の始まりは、適切な医療を行うことができる者が首長となって国をおさめる資格を持つこと、また大国主命、少彦名命の二人は日本の医療神として祀られていることをご紹介しました。

 しかし首長が医療の責任者であると、流行性疾患が広がったとき、これに対する処置の失敗が首長の責任となる可能性もあります。そこで時代とともに首長のもつ権限から呪医的な職能を分離して、別の医療専門集団を作るようになってきました。こうして大和朝廷の中には、医療と祭祀を専門とする氏族が生まれてきます。医療と祭祀は必ず一体のものであったようです。病は神のたたりと信じられており、これをしずめることが必要であると同時に、病気になると心の安らぎを得るため神に祈ることが大切な手段で医療の基本であったと考えられます。
koutaiou.jpg

 さて医療専門職であるからには、常に新しい医療の方策を追求していくことになりますが、その中で帰化渡来人が大陸、朝鮮半島から日本に入ってきます。半島における新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、百済(くだら)の三国のうち古代日本と特に関係の深かった百済からの帰化人は、古代日本の医療に多大な影響を与えました。百済から派遣された「医博士」による医学教育は、古代日本の医療技術を底上げしてその後、朝廷内での医療官司を確立していくのでした。なお、4世紀から5世紀における百済と古代日本(倭と呼ばれていた)との関係は、中国の吉林省にある写真の好太王碑(こうたいおうひ)の碑文に貴重な史料として確認ができるそうです。



高血圧の治療目標が変わりました
2014年4月17日

 このほど日本高血圧学会は5年ぶりに、高血圧の治療目標を改訂した「高血圧治療ガイドライン2014」を発刊しました。これまでは最大血圧(上の血圧)が140mmHg以上、最小血圧(下の血圧)が90mmHg以上を高血圧とし、薬剤などによる治療の目標は、13085未満にするというものでしたが、これでは130140の間にある人はどうしたらいいか説明しにくい部分もありました。そこで今回の改訂では、不明確な部分をさけるため、血圧を下げる目標は14090未満にすると改められました。

 75歳以上の後期高齢者では、血管が硬くなり、もともとの血圧が高くなっているだろうなどの配慮から、15090未満が目標。逆に、糖尿病や慢性腎臓病(CKD)の人は、高血圧が病態を悪化させるので、これらの病気がない人より厳密に、13080未満にするとされています。

 また、これまでも血圧の管理は、医療施設で血圧の測定をするだけでは不十分で、ふだんの血圧を把握することが大切ですから、家庭での血圧測定が重要であるとされていました。これについても、今回のガイドラインでは、可能なら朝夕2回血圧を測定すること、またそれぞれ2回ずつ測定して平均をとることが推奨されています。

 これら降圧目標の変更について、日本高血圧学会の島本和明先生は、「降圧目標を13085から14090に変更したのは、決して治療目標の緩和ではなく、あくまで高血圧治療開始基準と治療目標のギャップを整理したためだ」と説明しています。



医療の歴史(36) 医薬の祖―少彦名命
2014年4月11日

 神話の中で、大国主命のパートナーとして全国をめぐって国土を開拓した神とされている少彦名命(すくなひこなのみこと)は、国造りの他、医薬、酒造り、温泉療法などを開発したことから、日本における医薬の祖とされています。

 少彦名命は、身体が小さく、その後の御伽草子に登場する「一寸法師」のルーツとされています。大国主命との出会いは、出雲の海のかなたから光り輝きながらやって来たと言われます。大国主命が出雲の祖神から「少彦名命と兄弟の契りを結び、国造りを進めよ」と言われ、コンビを組んで全国を巡り国造りをおこないました。この中で、土壌を改良し、肥料を用いて農業をする技術の指導をしたことや、病気を治す薬の一つとして酒造りの技術を普及させ、「常世より来た水」と考えられていた温泉を用いて病気の治療をおこない、病気の回復、健康増進の方法を拡めたと伝えられているのです。愛媛県の道後温泉の開発はその典型だそうです。sino.jpg

 全国に少彦名命を祭った神社がいくつかありますが、その中で特に有名なのが大阪の道修町にある少彦名神社です。(写真)道修町は大阪で「薬の町」として知られ、周辺に薬品会社などが並んでいます。地域では少彦名神社は「神農(しんのう)さん」と呼ばれ、信仰を集めています。ただし、神農氏は古代中国の皇帝で医薬の神とされており、少彦名命のことではありません。道修町の少彦名神社は、少彦名命と神農氏の二神をご祭神としていることからこのように呼ばれているのだそうです。



太りすぎも痩せすぎもガンになる
2014年4月 5日

 肥満をしめすBMIBody Mass Index)という指標があるのはご存じのことと思います。体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で計算され、標準体重はBMI 22とされています。このBMIでみた肥満の人とやせた人をグループ分けしてガンで死亡するリスクを調べた大規模疫学研究があります。

BMICancer.jpg

 グラフで明らかな様に、赤の棒グラフで示す女性ではBMIでみて極端な肥満で無い限りガン死亡リスクとの関係は無いようです。一方青の棒グラフで示す男性の場合、BMI 21以下のやせた人、およびBMI 30以上で肥満の人では統計的にガン死亡リスクが高くなることが示され「U」字型の傾向が見られます。

 この理由として肥満については以前にもこの項でご紹介しましたが(2013515日医療あれこれ参照)、肥満は糖尿病につながり、インスリン様成長因子が細胞の増殖を促し、ガン細胞増殖からガン発症につながっていくことが理解できます。

 一方、やせがガンリスクを高める原因は、低栄養が免疫機能を低下させ、体のガン細胞への抵抗性が低下しているなどの理由が推察されています。ただしガンが発症してしまうと体重が減ってくるので、これが統計結果に影響しているのではないかという疑問が生じますが、初期のガン症例を除外してデータ処理しても同様の結果が得られるということです。また喫煙はガン発症リスクを高めますが、喫煙者ではやせた人が多いということもありますので、非喫煙者だけを対象として解析してもほぼ同じ結果が得られるそうです。

 太りすぎ、やせすぎを抑止し、体重を適切にコントロールすることがガン予防につながるということでしょう。


文献: 津金昌一郎 Astellas Square、2014年4~5月号、P.14



アレルギー性鼻炎は心筋梗塞を予防する?
2014年3月28日

 花粉症の季節です。スギ花粉はピークを越えていますが、これからヒノキ花粉の影響がでてきます。花粉症では、眼がかゆい、涙が出るなど眼の症状と、くしゃみが出る、鼻水がでるなど鼻の症状が出現しますが、鼻の症状は花粉が原因のアレルギー性鼻炎という診断名ということができます。

 最近、米国でアレルギー性鼻炎の人は心筋梗塞になりにくいという報告が、米国アレルギー・喘息・免疫学会で発表されました。南カリフォルニア地域のアレルギー性鼻炎患者109千人と、症状のない人を正常対象として比較検討したものです。

 その結果は、アレルギー性鼻炎のある人の群では、心筋梗塞発症のリスクが正常対象群に比べて統計学的に有意に低いことが判りました。また同時に脳梗塞などの脳血管障害発症リスクについても検討されましたが、これについてもアレルギー性鼻炎の人はリスクが低いことが明らかとなりました。一方、同じくアレルギー性疾患である喘息患者93千人も対象として検討されましたが、こちらはこれら血管疾患が逆に有意に増加するという結果でした。

 これらの事から「アレルギー性疾患で心筋梗塞の発症リスクが低下するのは、アレルギー体質が原因ではないと考えられ、さらなる検討が必要だ」と発表者は述べています。花粉症だから心筋梗塞にはなりにくいと単純に考えるわけにはいかないようです。

 

(引用: Medical Tribune 2014320日、P37



赤肉を食べ過ぎると糖尿病になる?
2014年3月21日
1200px-Sirloin_steak.JPG

 赤肉とは、牛肉、豚肉、あるいは羊肉のことです。欧米人を対象とした大規模疫学研究において、これらの肉を食べる量が多い人ほど糖尿病発症リスクが高くなることが報告されています。これに対して日本人における研究では、男性では欧米人対象の研究と同じような傾向はあるものの、女性では肉摂取量と糖尿病発症とはあまり関係がないことが判っています。

 肉摂取量と糖尿病発症リスクの関係を示す理由として、いくつかの要因が考えられています。まず第一に、肉に含まれる鉄分が関係するという要因があります。肉には多くの鉄分が含まれていますが、肉を多く食べると体の内部に鉄分が蓄積されてきて、脂質異常や高血圧、肥満になりやすいというのです。鉄は細胞内のさまざまな反応に重要で活性酸素というものが生成され、酸化ストレスが増加し体の組織にダメージを与えることが知られています。

 また肉に多く含まれる飽和脂肪酸は、膵臓のランゲルハンス島から分泌され糖代謝を制御するインスリンの作用を低下させるともいわれています。さらに飽和脂肪酸はインスリン分泌自体を抑制するという報告もあります。これらの結果、糖代謝異常が発生しやすく糖尿病発症リスクが増加するという説があります。一方、飽和脂肪酸が多いほど心臓や血管疾患の発症リスクは増加するものの、飽和脂肪酸と糖尿病の発症には関係がないという報告もあり一定の結論はでていません。

 さらにソーセージなどの加工肉は亜硝酸塩や硝酸塩などの保存物質が含まれており、これらが糖尿病発症リスクを増加させるということが動物実験により証明されています。その他、以前にこの項でも紹介したAGE2013113日の「医療あれこれ」参照)が関係することなども示唆されています。

 以上のように、肉摂取と糖尿病発症については、諸説がありますので特定のことは断言できません。いずれにしろ当然のことですが、肉ばかり食べるのではなく偏りのないバランスがとれた食事をすることが最も大切だということは間違いありません。

(文献:日本医事新報、20143月、No.469058ページ)




医療の歴史(35) 古代日本の医療
2014年3月12日

これまでこの「医療の歴史」では欧米を中心とした西洋医学の発展をみてきました。概略のみでしたが、一応、現代医学までたどりついたところで、今回から趣向を変えて日本における医療の歴史をたどって行きたいと思います。

 医療の歴史(1)でも述べたように、人間が生活しているところには常に病気やケガがつきもので、これを何とか治して傷病者を楽にしてあげたいと考えるのは世の東西を問わず考えられるところです。日本において、少なくとも何らかの記録に残る医療史の最古のものは、「古事記」「日本書紀」に残る神話の時代のことです。

 古代国家の首長は、宗教あるいは呪術的な能力を持って国を治めていましたが、その国で発生する疫病にどのように対応するのかが重要な役割の一つであったと考えられます。futta1858m.jpg例えば、出雲の国造りをした大国主命が登場する因幡の白兎の話があります。須佐之男命(スサノオノミコト)の末裔である大国主命の兄弟神たちは、因幡八上地方の豪族の娘、八上比売(ヤカミヒメ)に求婚するため因幡の国に向かっていました。気多の岬にやってきたとき、ワニをだまして海を渡ろうとした白兎がワニに気づかれ丸裸にされているところに遭遇します。兄弟神たちは兎に「海水を浴びておけ」と教えたのですが、皮膚はただれ、痛み苦しみ出しました。兄弟神の荷物を背負わされていたため遅れてやってきた大国主命は、真水で体を洗って、炎症を抑える効果があるというガマの花粉を塗って助けたというのです。その兎は「あなたと八上比売は結婚するでしょう」と言いましたが、その予言通り、大国主命は八上比売を妻にして出雲の国を治めることになったのでした。

  この神話にあるように、首長に求められる能力は、傷病に対してどのように対応するかというものだったようです。




米飯より先に野菜を食べるべし
2014年2月22日
kufu_syokuji42.jpg

 米飯を食べてから野菜をたべる場合に比べ、先に野菜を食べる方が食後の血糖値上昇が抑制されることが知られています。これは野菜の食物繊維が炭水化物(糖分)の分解と吸収を遅らせることにより、食後の血糖値上昇を抑制することによるものです。膵臓から分泌され血糖値をコントロールするインスリンは、血糖値の急激な上昇があると多量に分泌されますが、食後の血糖値上昇が緩やかであれば、このインスリン分泌を節約できることになるのです。この効果は糖尿病の人も、糖尿病ではない健康な人も同様に認められることから、糖尿病の予防効果につながる食事療法と考えられます。さらに血糖コントロールだけでなく、体重の増加を抑制したり、血圧や中性脂肪に対しても改善効果があることからメタボリックシンドロームに関連した一連の病態予防になると思います。

 具体的には、食事はまず野菜、きのこ類、海藻などを5分ぐらいかけてゆっくり食べ、それに続いて肉、魚介類、豆類などを含むおかずを食べます。10分ほどたってから最後に穀類、じゃがいも、かぼちゃなどの炭水化物を食べるのが理想的と言われています。糖尿病の食事療法で栄養のバランスやカロリー制限などが重要ですが、このようにできれば食べる物の順番を考えながら食事することも重要です。厳密に順番を決めてその通り実行することはなかなか難しいですが、「まず野菜を」ということを考えておくことが大切と思われます。




元アスリートは糖尿病になりにくい
2014年2月16日

 現在開催中のソチ・オリンピックでは日本選手の活躍もあり連日マスコミ報道を賑わせています。ところで、男性の元アスリートは晩年に糖尿病を発症するリスクの低いことがフィンランドの研究者から発表されています(Laine K. et al Diabetelogia online, 2013.11.21)。

 その研究方法は1920年~1965年にフィンランド人で、長距離走やクロスカントリースキー、フットボールやアイスホッケーなど持久力と体力を要するスポーツの代表選手として国際試合に1回以上参加した男性の元アスリート1518名(平均年齢72.7歳)と、健康だけれども積極的なスポーツをしていなかった年齢層が同じ対照群1010名(平均年齢71.63歳)についてアンケートと身体測定、血糖値などの検査などを実施し結果を比較検討しました。

 その結果、元アスリート群では対照群に比べて糖尿病の発症リスクが28%低いことが明らかになりました。特に同じ元アスリート群でも、持久力を要する長距離走やクロスカントリーの選手だった人の糖尿病発症率は61%も低かったそうです。

 発表者のLaine氏によると、元アスリートの人は高齢になっても身体活動を維持するライフスタイルを送る傾向もあることも影響しているとのことです。若い時における運動習慣の有無もさることながら、高年齢になっても可能な範囲の運動を続けることが糖尿病の予防に重要であると思われます。

引用: Medical Tribune, 2014/1.16



睡眠時間と成長ホルモン
2014年2月14日

 成長ホルモンは、頭蓋骨の中で大脳の下にぶら下がっている下垂体というホルモン産生臓器の前葉から分泌されるホルモンです。その名のとおり骨や筋肉の成長・発達に重要で、子供のころから成長ホルモン分泌量が多い場合、高身長となり、逆に少ない場合、身長が低くなります。それ以外に脳の発達や記憶などにも関係するとされています。従って、小児期から思春期には体を成長させ脳を発達させるために適切な成長ホルモン分泌はぜひ必要なことですが、一方、歳をかさねてきても、脳や記憶に重要な作用を持つことから、できればその分泌を確保することがよいと考えられます。

 成長ホルモンの分泌は、睡眠中に多くみられることが判っています。睡眠後、まもなく突発的に成長ホルモン分泌がおこることが知られ、男性では一日の成長ホルモン分泌量のうち6割から7割が、女性では5割弱が睡眠中に分泌されます。しかし、年齢とともにその分泌量は低下し、男性では30歳代から減少が始まり50歳代にはほぼ消失する、また女性では生理が終わった閉経後に減少してくるとされています。

 抗加齢という意味から、できるだけ十分な良い睡眠をすることが成長ホルモン分泌を少しでも維持するとも考えられます。また成長ホルモンの分泌を促進する「成長ホルモン放出因子(ホルモン)」をお薬として投与することにより、睡眠・覚醒のリズムが改善し、その結果、生活の質が改善する可能性が考えられ、現在その研究が進められているところです。

 

引用: 鈴木圭輔、平田幸一;日本医事新報、No.46842014.2.1



医療の歴史(34) 再生医療
2014年2月 3日

再生医療とは傷害を受けた生体機能を、さまざまな組織に分化することのできる幹細胞を用いて復元させる医療の総称です。臓器移植とは異なり、臓器提供者を必要としません。また従来の医療では治療が困難な遺伝性疾患などにも対応できる可能性があることなど、革新的な医療といえます。現在わが国はもちろん、世界各国で競って研究・開発が続けられている分野です。

幹細胞として、当初1981年、英国ケンブリッジ大学や米国カリフォルニア大学から報告されたマウス由来の胚性幹細胞(embryonic stem cellES細胞)を用いて研究が進められました。しかし実際の臨床応用に可能性を広げるためにはヒト由来のES細胞が必要です。1998年、米国ウィスコンシン大学でヒトES細胞が開発されましたが、このES細胞は、不妊治療のため実施された体外受精で余った受精卵から作られたため、倫理的な問題がありました。

yamanaka.jpg

2006年、京都大学の山中伸弥教授らは、人の皮膚などにある線維芽細胞に少数の遺伝子を導入し様々な組織の細胞に分化する能力をもつ人工多能性幹細胞 (induced pluripotent stem celliPS細胞)の作成に成功し、2007年世界で初めて論文に報告しました。iPS細胞はES細胞のように受精卵など胚細胞から作られるものではないため、倫理的問題は発生しません。皮膚という入手しやすい細胞から作られますので、患者自身の細胞から作ったiPS細胞により治療が進められるという大きな利点があります。これらの功績により2012年、山中教授はノーベル賞を受賞したのです。




糖尿病の増加が頭打ち?
2014年1月27日

 これまでこの「医療あれこれ」でも紹介してきたように、わが国の糖尿病症例数は増加の一途をたどっていました。しかしグラフで示したように、厚生労働省が201312月に発表した「2012年国民健康・栄養調査」によると、「糖尿病が強く疑われる人(有病者)」は950万人で増加していますが、「糖尿病の可能性が否定できない人(予備群)」は1,100万人で1997年以降初めて減少に転じたそうです。そこで「有病者と予備群を合わせた数」をみると、やはり減少傾向が認められます。

DM3.jpg

 この原因として、日本全体での健康意識の向上や、2008年から始まった「特定健康調査・特定保健指導」など糖尿病対策の効果が表れだした結果であるとも考えられます。これまで予備群に含まれていた人が糖尿病になってしまったことで有病者の数は増加していますが、予備群が減少に転じたことにより、近い将来、この効果はさらに明らかになっていく可能性があります。

 その一方で、有病者のうち3割以上(男性の33.8%、女性の34.7%)は現在、糖尿病の治療を受けていないことも明らかになりました。糖尿病になってしまっても、十分な治療をおこない、脳梗塞や心筋梗塞、あるいは慢性腎臓病の発症を予防することが大切です。日本糖尿病学会理事長の門脇 孝先生によると、「2013年は糖尿病治療が本格的に進む年になるものと期待している」とのことです。

引用:Medical Tribune 2014.1.23 Vol.47, No.4



甲状腺機能異常と妊娠
2014年1月13日
thyroid.jpg

 甲状腺ホルモンは体の代謝を司るホルモンです。妊娠・出産と甲状腺機能には密接な関係があり、甲状腺機能異常症は妊娠・出産の前後に変化することが多く、また妊婦さんのみならず胎児や新生児に色々な影響を及ぼすことが知られています。

 女性が妊娠すると絨毛性ゴナドトロピン(hCG)というホルモンが分泌されますが、このホルモンは妊娠を継続するために重要な役割を持っています。またhCGが高値になることが妊娠したことを示すマーカーにもなります。hCGはまた、甲状腺刺激ホルモン(TSH)と類似の作用をもつことが知られています。通常、TSHは脳下垂体から分泌され、首ののどぼとけのところにある甲状腺を刺激して甲状腺ホルモンを分泌させるのですが、(このことは2012122日付の医療あれこれで説明していますので参照して下さい)、妊娠により分泌されるゴナドトロピンも甲状腺ホルモンを分泌させる作用を持っているのです。甲状腺ホルモンは胎児の発育に大変重要な作用を示しますので、妊娠により分泌されるゴナドトロピンが胎児成長のために体の中に甲状腺を蓄えている可能性が考えられています。

 ところで、バセドウ病のように甲状腺機能亢進症の人の妊娠にはどのような影響があるのでしょうか。以前から甲状腺ホルモンが過剰の時には、不妊となりやすく、妊娠したとしても流産や早産がおこりやすいことがよく知られています。そこで、バセドウ病で治療中の人はより厳密に甲状腺ホルモンのコントロールをする必要があります。また逆に甲状腺ホルモンが少ない甲状腺機能低下症でも、上述のように甲状腺ホルモン不足により胎児に悪影響を及ぼすことも考えられます。

 しかし、いずれにしても適切な治療をすることによって、安全に妊娠・出産することができるようになり、不妊や流産のリスクが少なくなるといわれています。この際には、甲状腺機能調節のための治療薬選択などを慎重に行う必要がありますので、妊娠を希望される方、あるいは妊娠した可能性がある方はすぐにお知らせ下さい。




難聴に対して人工内耳装着
2014年1月10日

 歳をとると次第に聴力が落ちてきます。高齢者の難聴は、高音域の障害から始まるのですが、人の声は比較的低音域のため、初期には人の声が聞くことができて、難聴が起こりかけている事に気付かないことが多いのです。そのうち低音域の障害も加わってくるので人の声も聞き取りにくくなってきます。

 この高齢者難聴の原因は、内耳にある蝸牛(うずまき管)内の感覚細胞が次第に脱落してくることによるものです。一たん感覚細胞がなくなってしまうと、二度と自然に再生してくることはなく、現在の医学では治療することはできません。従って難聴になってしまった高齢者は補聴器を使用して人の声や音を聞くことが必要になってくるのです。

 最近、これまでの補聴器とは異なり、「人工内耳」と呼ばれる医療用装具が注目されています。ふつうの補聴器は耳に装着しておいて聞いている音を増幅させ鼓膜を振動させることによって聞き取るものですが、この人工内耳は鼓膜を使わないで直接、内耳の蝸牛を刺激して音を感じる装置です。このため高齢者の難聴だけではなく、生まれながら聴力障害のある子供にも用いることができます。

 人工内耳を装着するためには耳鼻科での手術が必要なうえ、高額医療となることから、日本ではあまり普及しておらず、手術件数は約6000件しかありませんが、海外では32万件の手術例があるそうです。子供の難聴はともかくとして、高齢者では「もう歳なんだから手術をしてまでも・・・」と手術を断る場合も多いそうです。このような治療法がもっと手軽に受けられるようになることが望まれます。

文献:加我君孝:日本医事新報(2014,1)、No.4680P32.



高齢になって運動を始ても効果あり
2014年1月 2日

 身体活動性が高い人は高齢者になっても健康状態が維持されることは以前から知られていました。今回ロンドン大学の疫学・公衆衛生学から、それまであまり体を動かしていなかった人でも高齢に達してから身体活動を始めるのは健康加齢によいことがイギリスの学術雑誌に発表されました。(Hamer H: British Journal of Sports Medicineオンライン版)

 研究は60歳以上の人約11,000人を対象として8年間の追跡調査をしたものです。調査開始時と4年目での対象者自身の報告により定期的な身体活動なしの不活動群、週1回以上中等度の活動をしている群、週1回以上強度の身体活動をしている群の3郡で比較し、認知症になっていないことや慢性疾患がないことなどの健康度を比較したものです。

 その結果、調査開始時に不活動であった人に比べて身体活動のある人の方で有意に健康状態が維持されるという、当たり前のような結果とともに、調査開始時には不活動だったけれど、4年後には週一回以上中等度以上の活動をするようになった人でも、身体活動を全く始めなかった人に比べて統計学的に有意に健康状態が維持されるという結果が出ました。つまり、高齢者になってから運動を始めても健康状態の維持に有効であることを示す結果と考えられます。

 このことは年をとってから、今さら運動を始めても手遅れだろうと考えられがちですが、病気になって不健康状態になる前に少しでも運動を始めると健康状態維持に何らかの効果があるということで、何歳になっても遅くない、少しづつでも定期的な運動を始めることが重要だということができるでしょう。だからといって高齢者になってからマラソンを始めることなどできませんから、できるだけ散歩をするなど身体活動性を高めていくことがよいと思われます。



現代社会の糖尿病発症リスク
2013年12月22日

 2013122日~6日、メルボルンで開催された第22回世界糖尿病会議のなかで、糖尿病発症に関して「現代社会に関連した新たな糖尿病発症リスク」についてのシンポジウムが行われました。これまで糖尿病の発症要因としては、遺伝歴のほか加齢、肥満などが確立した危険因子として知られていますが、現代社会における新たな危険因子が注目されています。

 米国ジョンズ・ホプキンス大学の研究者からは、不適切な時間睡眠、不眠などの睡眠障害が糖尿病発症リスクを高めるというデータが報告されています。睡眠時間が短い、あるいは逆に長い場合どちらも有意に糖尿病発症リスクが高まることが指摘されました。また不眠については特に、なかなか寝付くことができない「入眠障害」や夜中に目が覚める「中途覚醒」で有意に糖尿病リスクが高まるとのことです。(不眠症については、2012519日付けの医療あれこれで少し説明していますので参照して下さい。)

 また米国ワシントン大学の研究者は、ストレスや人格などの心理的特性と糖尿病発症の関連を説明しました。特に男性において心理的ストレスが高まると糖尿病リスクが上昇するけれども、女性ではこの傾向は認められないそうです。また人格と糖尿病との関連では、攻撃的、挑戦的で責任感の強い人は高リスクであることを指摘しています。

 このシンポジウムとは別に、日本の研究者から、睡眠時間が5.5時間未満の人、および8.5時間以上の人では糖尿病による腎障害が有意に増加するというデータが報告されています。つまり睡眠時間が短くても、長すぎても糖尿病になりやすいことを示しているものと考えられます。

 現代社会においては、歴史的にこれまで考えられなかった病気発生の危険因子が増加してきています。ストレスの全くない社会生活は考えられないでしょうが、できるだけ心に余裕を持った生活をして行きたいものです。



医療の歴史(33) 移植医療
2013年12月 9日

20世紀以後、これまでの医学・医療では考えも及ばなかった多くの先進医療が急速な発展を遂げています。

移植医療は、疾患や事故などにより機能しなくなった臓器を、他の人から提供を受けた臓器に置き換えて機能回復を図る医療です。死亡した人から臓器提供を受けるのが原則ですが、生存している健康な人の臓器、あるいは臓器の一部を移植する場合もあり、生体移植といいます。生体移植できるのは、二つある腎臓のうち一つ、6070%提供しても再生する臓器である肝臓、大きく5つの部分に分かれている肺などがあります。一方、一般的な臓器移植といえば、死亡した人からの移植ですが、このうちでも腎臓、角膜、皮膚などは心臓が停止して死亡が確認された人からの移植が可能ですが、心臓などは一度停止してしまうと移植しても機能しないので、心臓死ではなく脳死として判定された臓器提供者を必要とします。

 移植の歴史として、皮膚や眼の角膜移植は19世紀から始まっていましたが、1954年人から人への臓器移植を初めて成功させたのは米国ボストンにあるピーター・ベント・ブリガム病院のジョセフ・マレー19192012)で、一卵性双生児間の移植でした。1963年には世界初の肝臓移植、肺移植が行われ、1967年には心臓移植も世界第一例が報告されています。日本でも1968年札幌医科大学の和田寿郎教授により心臓移植が行われましたが、当時は「脳死は人の死である」とした法整備がなされていなかったため社会的問題となりました。その後、1997年、臓器移植に限って脳死を人の死と認める臓器移植法が施行されました。しかし臓器移植を目的とした脳死判定を実施する例数が少なく、また小児の移植が認められていなかったため、海外で移植を受ける例が後を絶ちませんでした。2008年になって海外でも臓器提供例が不足し、「移植が必要な場合は自国で行うこと」というイスタンブール宣言がだされ、海外での移植が困難になりました。そこで日本では2010年、小児でも移植が可能な改正臓器移植法が施行されています。しかし、日本人の心情的な問題から脳死を人の死とすることが容認されにくいこともあり、近隣諸国に比べて日本の脳死移植例は未だ多くないのが現状です。



日本の糖尿病人口は世界で第10位
2013年11月19日

 1114日はインスリンを発見したバンティング(医療あれこれ:医療の歴史26「インスリンの発見」をご覧下さい)の誕生日で、糖尿病への注意啓発を目的として世界糖尿病デーに制定されています。国際糖尿病連合はこの日に各国の糖尿病人口を発表しました。それによると世界全体の糖尿病人口は38千万人で増加傾向にあり、米国の総人口を上回る多数の患者数です。このままですと2035年には59千万人に達すると予想されています。国別ランキングでみると(下の図)圧倒的に中国に多く、次いでインド、米国の順になります。日本の糖尿病人口は720万人ですが、昨年の第9位から第10位に下がりました。

 社会全体での糖尿病対策への取り組みがなされないと、患者数およびその予備群と呼ばれる人数は増加の一途をたどることが予想されます。世界糖尿病デーが制定された2006年、国連はエイズについで糖尿病は「脅威ある疾患」であると決議しています。糖尿病の多くは予防が可能です。正しい生活習慣を守ることと定期的なチェックが必要となるでしょう。

DM.jpg



医療の歴史(32) DNAの構造解析
2013年11月10日
DNA.jpg

 遺伝子研究においてDNAの構造解析が重要です。初めにDNAの構造解析を行ったのはイギリス・ロンドンのキングス・カレッジにおけるモーリス・ウィルキンス(19162004)です。彼が用いた手法はX線回析といって、結晶にX線を照射すると感光板に影が映し出されるというものです。結果としてDNAは円形で中央に2本の線が交叉するような形をしていました。

 1951年、ウィルキンスがその成果を学会で報告する講演を聞いた若いアメリカ人研究者のジェームス・ワトソン(1928~ )は、もともと遺伝子研究をしていたわけではなかったのですが、遺伝子研究に興味を持ちました。イギリスのキャンベンディッシュ研究所に移ったワトソンは、X線回析が専門のフランシス・クリック(19162004)に出会います。

 当初クリックは、イギリスでは先に他の人が始めた研究の途中結果を先取りして最終結論をだすことは紳士協定に反するとDNAの共同研究にあまり乗り気ではありませんでしたが、ワトソンの熱意に心を動かされ、二人は共同研究を始めます。ウィルキンスの成果を基に試行錯誤を重ねた結果、ワトソンとクリックの二人はついについにDNAの二重らせん構造を解明したのでした。図はワトソンとクリックが1953DNAの構造を世界で初めて学術雑誌ネイチャーに発表したものです。(Watson JD, Crick FH: Nature. 1953 Apr 25;171(4356):737-8.)このDNAモデルは医学上20世紀最大の発見といわれ、その後の遺伝子工学における発展の基礎を作ったのでした。1962年、ワトソン、クリック、そしてウィルキンスはその功績によりそろってノーベル賞を受賞しています。

 DNAの二重らせん構造発見からちょうど50年後の2003年、人間の遺伝子情報(ヒトゲノム)解析が完了しました。これにより今後さらに人の発生や文化など基本的な生命現象の解析、疾患の新しい治療法開発などがますます発展するものと期待されます。




老化物質としてのAGE
2013年11月 3日

 AGEとは、糖化反応最終産物:Advanced Glycation End products の頭文字をとってそのように呼ばれている物質です。この糖化反応は、例えば食品が古くなると茶色に変色してくるなどのことで、食品中に糖化反応が起こっているためタンパク質が変色してくるものです。この反応の中間産物として有名なものが、糖尿病の指標となるヘモグロビンA1cで、糖尿病の人は赤血球に含まれるヘモグロビンに糖化反応が高度に起こるためヘモグロビンA1cが増加してくるのです。この糖化反応の最終産物がAGEに当たるもので、多くの種類の物質があり、それらの総称がAGEです。

 糖尿病以外でも、年齢を重ねると、このAGEが増加してきます。年齢を英語で言うとage(エイジ)ですから、AGEと老化はちょうど語呂があっているので興味深いと思います。それはさておき、血液中のAGEが増加すると、その影響で皮膚のシワやシミが増えたり、動脈硬化が進行したり、アルツハイマー病などの神経疾患が増加したりするなど、まさしく老化物質であることが証明されています。

 これまでAGEは体内のタンパク質が少しづつ糖化反応を起こして蓄積されてくると考えられていました。しかし最近ではAGEを多く含んだ食品を食べ続けたりすることが、体内にAGEを貯め込むことになることが判ってきました。どのような食品がAGEを多く含むのかというと、茶色に変色して古くなったものはもちろんですが、肉製品や脂肪を多く含む食材を急激に高温で揚げたり、焼いたりするとAGEが多く生成されることが知られています。同じ食材でも急に焼くのではなく、ゆっくりゆでたり蒸したりした方がAGEの生成は少ないと思われます。

 また早食いをして、食後の血糖値を急に上昇させるとAGEは生成されやすくなりますから、できるだけゆっくり食べるなどの食生活習慣にすることも重要です。野菜や繊維質のものから食べ始める、丼物の単品より多くの食材が含まれる定食系がよいなどとも言われています。また食後、軽い運動を習慣づけて高血糖の予防をすることも重要です。

 あまり神経質になる必要はないでしょうが、ゆったりしたバランスのよい食事と、たまには焼くより蒸すなど調理法を変えてみてはいかがでしょうか。



脳死膵島移植
2013年10月24日

 新聞、テレビでご存知の通り、京都大学で、脳死者から提供された膵臓から、インスリンを分泌する組織を抽出し、1型糖尿病の男性に移植することに成功しました。

 糖尿病の大部分は、この1型糖尿病ではなく、2型糖尿病といって、糖尿病になりやすい体質であるDNAを親から受け継いでいる人が、食事、運動を始めとした生活習慣の乱れで発症するものです。これに対して、今回移植をうけた男性は1型糖尿病で、自分の免疫が自分の身体を障害する自己免疫などが原因で、膵臓のランゲルハンス島β(ベータ)細胞が破壊されてしまうものです。β細胞はインスリンを分泌して血糖値をコントロールしていますが、1型糖尿病の人はこれができなくなり発症するタイプの糖尿病です。このため1型糖尿病の治療は、毎日インスリン注射が必要になるのです。

 報道によると、今回移植を受けた男性も22歳の時にこの1型糖尿病を発症し、インスリン治療を受けていたそうですが、インスリン量が少しでも過剰になると低血糖発作を繰り返していたそうです。

 膵臓のβ細胞を含む組織は直径が0.10.5マイクロメーター(1 mm11012)で、この抽出液約10 mlを皮膚の上から肝臓内の門脈という血管に留置したカテーテル()を通して点滴のように注入します。そうすると注入された膵臓の組織が肝臓に生着して、膵臓の働きを始めるというわけです。

門脈は、小腸などで吸収された栄養分を肝臓に運び込む血管です。通常は、この門脈を流れる血液中の糖分の変化に応じて膵臓からインスリンが分泌される仕組みになっています。ですから肝臓の中に移植された膵臓組織があると、いち早く門脈の血糖値の変化に反応してインスリンを分泌することになりますから、より効率的に血糖値がコントロールされるというわけです。

 移植といっても、ただ抽出液を注入するだけですから、全身麻酔などは必要ではなく、処置も簡単です。適切な膵臓提供者があれば、1型糖尿病でインスリン注射を受けている人にとっては、画期的な治療法になると期待されます。

医療の歴史(31) 遺伝子の本体 核酸 の発見
2013年10月20日

 医療の歴史(30)でご紹介したように、遺伝という概念を理論づけたのはメンデルですが、これを発展させるためには、その遺伝形質を伝える本体である遺伝子を解明していく必要があります。現在では、遺伝子の本体は DNA (デオキシ・リボ核酸) という核酸の一種であることは一般にもよく知られています。しかし初めのうちは、遺伝子の本体は何らかのタンパク質だろうと考えられていました。

cell.jpg

 核酸を発見したのはスイスの生化学者 フリードリッヒ・ミーシャー(18441895)ですが、彼は遺伝の解明をめざしていたのではありませんでした。血液中に存在する細胞のうち白血球の生化学的構造を究明するため、病院から出る医療廃棄物である包帯に付着した血液から白血球を集めてその構造を研究していたのです。生物体の細胞は右の図のように細胞質の中に核が存在しますが、血液細胞では、核があるのは白血球だけで赤血球や血小板には核は存在しません。その核の構造を調べているうち、タンパク質の他にリンを多量に含んだ物質を発見し、これをヌクレインと命名しました。1869年のことです。彼はこのヌクレインの機能はリンを貯蔵するものだろう程度にしか考えていなかったのでした。しかしこれこそが遺伝学の発展につながる重要な発見だったのです。後にヌクレインから核酸が分離され、その成分の詳細が明らかにされて行きました。

 アメリカにあるロックフェラー研究所のオズワルド・エイブリー(18771955)は、肺炎球菌という細菌が無害の性質を有害なものに変える原因物質、つまり遺伝物質は何かについて研究していました。そして1943年、その遺伝物質はタンパク質ではなく核酸、すなわち DNAであることを世界で初めて報告したのです。その後、遺伝子の本体であるDNA の構造を解明するために、多くの研究者が競い合うことになるのでした。



大腸ガンの早期発見・早期治療
2013年9月23日

 市民健診でも実施されていますが、便検査で潜血反応が陽性になると、早期の大腸ガンや大腸ポリープがある可能性を考えなければなりません。この検査はヒトの赤血球に含まれるヘモグロビンを検出するもので、自分の便中に含まれるごく微量の血液成分を発見します。その原因となる可能性があるのが、早期大腸ガンや大腸ポリープで、これを大腸カメラで切除しておくと、手遅れになった大腸ガンを発見するよりも確実に治療することになるわけです。ちなみに昔の便潜血反応は、ヒトの血液だけでなく、他の動物のそれも検出することから、前日に食べたビーフステーキで陽性となってしまうことがあり、検査も大変でした。しかし現在行われている便検査の結果は鋭敏に大腸疾患の存在を教えてくれます。

 最近、権威ある英文医学雑誌に、この便検査による大腸ガン検診の有効性についての論文が2つ発表されました。一つはハーバード大学からで、約8万人の人について22年間追跡調査した結果です。便検査を行っていると大腸ガン発生の危険性は、4060%低下したそうです。また大腸ガンによる死亡リスクも4168%低下したとの報告でした。

 もう一つはアメリカのミネアポリス退役軍人省保健医療システムというところからの論文で、こちらは4万人の調査ですが、何と30年におよぶ追跡調査が実施された結果が発表されています。それによると、30年という長期間の調査ですから、その間に亡くなった方は、全調査対者4万人のうち33千人いたそうですが、大腸ガンによる死亡数は毎年、検便検査をうけていた人ではわずか200人だったとの結果でした。

 以前にこの項でも触れましたが、病気を早期発見・早期治療するよりも予防することの方がよいことは言うまでもありません。しかし100%予防することは事実上困難なことが多いのが現実ですので、やはり早期発見のために確実な方法を確立していくことも大切です。

文献:New England Journal of Medicine (2013) 369, 1106.



慢性腎臓病(CKD)
2013年8月27日

 腎臓は左右の腰に1個づつあり、ソラマメのような形をした握りこぶしくらいの大きさの臓器です。尿を作って排泄することは腎臓の重要な役割の一つですが、これは体の中の不要な水分を体外に排泄するだけでなく、体内の代謝作用などで発生し血液中に増えてくる老廃物を溶かし込んで排泄しています。ですから腎臓の機能が低下すると、体内に老廃物が蓄積し、いわゆる尿毒症となって生死にかかわる状態となってしまいます。そこで腎臓の機能がすっかり低下してしまった人に対して、例えば機械を使って、この血液中の老廃物や余分な水分を取り除く人工透析療法が必要になってくるわけです。世界的に見て、末期の腎臓病(末期腎不全)となり、人工透析療法が必要となった人の数は増加傾向にあり、これに要する医療費など、経済的にも大きな問題となっています。

 近年、この慢性腎臓病(CKD)が注目されています。なぜかというと、CKDは糖尿病や高血圧などの生活習慣病が原因となって発症する場合が多いからです。糖尿病や高血圧は言うまでもなく、脳梗塞などの脳血管疾患や、心筋梗塞などの心血管疾患の大きな危険因子です。さらに内臓脂肪が蓄積したメタボリックシンドロームは、乱れた生活習慣に基づくことが多く、CKDの発症、進展に関係しています。

CKD.jpg

右の図は以前に医療あれこれでもご紹介した久山町研究で得られたメタボリックシンドロームの有無とCKD発症率をみたものです。明らかにメタボリックシンドロームである人の方がCKDを発症しやすいことがわかります。(引用文献:Ninomiya T, et al. Am J Kidney Dis 200648383--391.

ですから、腎機能の低下した状態、つまりCKDは、心臓・脳などの血管疾患に関連します。ことばを変えると、CKDは脳梗塞や心筋梗塞の危険因子であるということができます。腎機能のわずかな低下、つまりCKD発症の早期を発見し、これを悪化させるメタボリックシンドロームを厳重にコントロールしていくことが重要です。このため生活習慣の改善および、場合によってはお薬による厳重な治療の必要性が生まれてきます。



医療の歴史(30) メンデルの遺伝法則
2013年8月17日

 現在の医療において、遺伝子治療など遺伝学に立脚した医療は先端医療技術の一つになっています。その遺伝についての考え方を最初に解明したのがオーストリアの修道士グレゴリー・メンデル(18221884)です。彼は15年間にわたってエンドウマメの交配実験をつづけて、1865年、有名なメンデルの遺伝法則を発見し学会や学術雑誌に発表しています。しかし当時この重大な発表をを理解し受け入れられることはなく広く認められたのは20世紀に入ってからのことでした。

mendel.jpg

 それまで、子は親に似るという遺伝の概念は当然知られていましたが、両親の性質が入り混じって子に伝わるとしか考えられておらず、系統的な理論はわかっていませんでした。メンデルが明らかにしたものの一つに次のようなものがあります。エンドウマメには丸いマメとしわのあるマメがあるのですが、これをかけ合わせると丸いマメしかできません。しかし同じ世代の丸いマメどうしをかけ合わせると次の世代には丸いマメ3つに対してしわのあるマメが1つできました。右の図のように、双方の親がもつ遺伝要因を子に伝えるためにはAAAaaaなど2つづつの因子が必要で、両親から一つづつAあるいはaをもらって子ができると考えたのです。そしてAが一つでもあると丸いマメになり、aaのようにAが一つもないとしわのあるマメができるとすると交配実験で得られた事実を説明することができると考えました。

 これらのことは今では中学、高校の理科・生物にでてくることで遺伝の基本ですが、これを発見したのは医学や生物学の専門家ではなく、修道院の裏庭でエンドウマメを栽培していた修道士であったことは興味深いことです。そして彼のこの発見は20世紀になって遺伝子という概念に統一され、DNAが遺伝子の本体であること、そしてそのDNAの基本構造が解明され、遺伝技術を用いた医療へと進歩していったのです。



ピロリ菌と胃ガン
2013年8月13日

 ピロリ菌は正式名称をヘリコバクター・ピロリといい、胃の中に生息している細菌です。胃の一番奥、出口の部分を幽門部(ピロルス)といいますが、このピロルス近くにいるヘリコプターのようにラセン状の形態をしたバクテリア(細菌)であることからヘリコバクター・ピロリという名称がつけられ一般的にピロリ菌と呼ばれています。

 食べ物を殺菌するために胃の中は胃酸のため強い酸性になっていますので、昔から胃の中に生息する細菌などいるはずがないと思われていました。しかし1983年オーストラリアのウォーレンとマーシャルが胃に生息するピロリ菌を発見したのです(彼らは後にこの業績によりノーベル賞を受賞しています)。

 ピロリ菌の感染経路は飲み物や食べ物を介して口から感染します。乳幼児に感染することが多く、欧米に比べて日本での感染率が高いことが報告されています。50歳代、60歳代では人口全体の約45%がピロリ菌に感染しているとされています。しかし近年は衛生環境も良くなり、特に若年者の感染率は低くなっています。

 ピロリ菌がいるとどのような病気になるのかというと、胃炎、胃潰瘍・十二指腸潰瘍、胃ガンなどさまざまな胃疾患の発生と関連する以外に、免疫異常で血小板が減少する病気(特発性血小板減少性紫斑病)や慢性じんま疹などとも関連するとされています。これらのうち注意するべきものは胃ガンでしょう。

HPGCA.jpg 胃ガンはかつて日本人に多い悪性腫瘍で、死亡率も高率でした。近年、健診などがきっかけで早期ガンのうちに発見されることが多くなり、治療成績もたいへん良くなっています。さらにピロリ菌検査をして、もし陽性なら抗生物質で除菌することが胃ガン予防になると考えられます。右の図は日本ヘリコバクター学会が発行している冊子から引用したものですが、これからも明らかなようにピロリ菌を除去することが胃ガンの発生を予防することにつながります。

 最近、学校検診でピロリ菌検診を実施し胃ガンを撲滅しようという提唱があります。また胃ガン早期診断ということでは、ペプシノーゲンという胃粘膜の異常を調べる検査とピロリ菌検査を組み合わせて胃ガンの危険度を評価する試みがなされています。もし胃ガンの危険度が高いとなれば、最終的に胃カメラの検査をします。ガンの確定診断はガン細胞を確認することですから、バリウムによるX線検査ではなく、最終的に細胞を調べることができる胃カメラが必要なのです。早期胃ガンなら90%以上治りますが、進行ガンになると50%しか治らないので、早期診断・早期治療がいかに重要かはいうまでもないと思います。



平均寿命より健康寿命が大切
2013年8月 3日

 ご存知のとおり厚生労働省の発表では、2012年の日本人女性の平均寿命は86.41歳で世界第一位、男性も79.9歳でこれまでの最長になったそうです。2011年は東日本大震災の影響で短縮したけれどもそれが回復傾向にある、非常に喜ばしいことであると報道されています。

 しかし平均寿命が延びることが本当に人類にとって単純に喜ばしいことでしょうか。平均寿命は生きている人の全てを対象として算出されていますので、この中には意識がない、人工呼吸器を装着している、あるいは自分で摂食できないためチューブ栄養を続けている、などすべての人を含んでいます。ともかく少しでも寿命を延長させたいなら、あらゆる手段を用いれば平均寿命はさらに延長するでしょう。しかしそれが本当に正しいのか、医療器具を用いて生きながらえさせていることで、その人の人間としての尊厳を保っているのか、と考えるとはなはだ疑問が残ります。

 一方、大病にかからないで普通の日常生活を送ることができる期間のみを示しているのが健康寿命です。これには寝たきりであったり、集中的医療によって生存している人などを含みません。つまり健康寿命は平均寿命プラス病気の期間、ということになります。平均寿命と健康寿命のどちらが人類にとって大切か、というと言うまでもなく健康寿命です。

 ただ健康寿命を算出するにあたって「健康である」というのは、日常生活が自立している、つまり何でも人の世話にならず、もちろん医療器具の世話にならず、日常生活をこなしていることです。つまりその人が「自分は健康である」と自己申告して、その数を集計していくわけです。ですから健康寿命というのは平均寿命のように画一的に算出できるものではないと思います。

 いずれにせよ平均寿命を延ばすより、健康寿命を延ばすことがはるかに大切で、そのためには病気の期間を少しでも短くすることが重要です。高齢者の生活や病気を研究する「老年医学」という学問分野がありますが、この学問の究極の目標は、全ての人が少しでも病気の期間を短くすることです。「健やかに老い、天寿を全うして死を迎える」ことができるように精進することが、全ての医療人に求められていることだと思います。



糖尿病や高血圧の人は熱中症になりやすい
2013年7月27日

 猛暑日が続いています。「熱中症に十分気をつけて」ということはテレビ、新聞等で連日報道されご存知でない方はいらっしゃらないと思います。ところで熱中症になったのは何をしていた時か?というと屋外でスポーツをしていた時や、労働をしていた時に比べて日常生活をしていた時の方が多いというデータがあります。とくに屋内生活が主体の高齢者では、身体が熱に鈍感となり発汗などの体温調節機能が低下していることも想定され注意が必要です。家の中でもエアコンなどで適度に温度を調節し水分補給を十分に行うことが重要です。運動時に発症した熱中症に比べて日常生活中に発症した熱中症のほうが、救急車で搬送された時、重症になりやすいということも言われていますのでご注意下さい。

 一方、慢性疾患を持っている人の場合、糖尿病では一般的に尿の量が多くなりがちで、脱水状態となりやすく、また自律神経障害などがあると発汗機能が低下していることが考えられます。これらはいずれも熱中症発症の大きな危険因子となります。また高血圧の人は塩分のとり過ぎが血圧に悪いということで、塩分を控える食生活にされています。そうすると知らず知らずのうちにおこる発汗の増加で塩分がさらに失われて体内のミネラルバランスが崩れ、脱水症状から熱中症発症に至ることを考えておく必要があります。糖尿病や高血圧の方は、生活のさまざまな場面で特に熱中症発症に注意することが必要です。

 熱中症の症状として、めまい、失神、筋肉痛、大量の発汗などは軽症で、体を冷やす、水分を十分とらせるなどの応急処置で対応できます。しかし、頭痛、気分不良、吐き気、実際に吐く、などの症状は中等症の症状となり病院への搬送が必要になります。さらに意識障害やけいれん、39℃以上の高熱になると重症で即入院のうえ集中治療が必要な状態と考えて下さい。意識障害というと意識不明の昏睡状態を想像してしまいますが、軽度の意識障害では普段に比べて何かボーとしている状態などを含みますのでこのよな時も重症化の徴候を疑わなければなりません。日本神経救急学会では、考えがまとまらない「判断力の低下」といった状態も重症化の初期段階である可能性があると述べています。高血圧、糖尿病の人にこのような症状が出現したら要注意です。



ストレスの多い人は心筋梗塞になりやすい
2013年7月15日

 自分の健康に影響するかも知れないストレスを感じている人は心筋梗塞などの心臓疾患になりやすいというデータが英国から発表されました。

 英国の公務員約6000人を対象として、自分の健康状態や社会的経済的状況を調査し、その後、最長で18年間追跡調査が行われたものです。ストレス度の調査は、「あなたは日常感じているストレスがどの程度自分の健康に影響していると思いますか?」という質問に対して、「全く影響なし」「やや影響あり」「影響あり」「強い影響あり」「非常に強い影響あり」の5段階で回答してもらいました。その結果は「全く影響なし」が全体の39%、「やや影響あり、影響あり」が53%、「強くあるいは非常に強い影響あり」が8%の割合でした。

 ストレスの影響などをみた他のほとんどの論文が、ストレスと健康を何らかの調査法を用いてストレス度として定量したものをデータにしているのに対して、この論文ではストレスに関する本人の意識に焦点を当てて、ストレスに対する個人的な反応性を検討しているところに特徴があると思います。

 結果として、ストレスが自分の健康に「強いあるいは非常に強い影響あり」と回答した人は、「全く影響なし」と回答した人に比べて心筋梗塞の発症が2.12倍多かったそうです。

 ストレスが自分の健康に「強いあるいは非常に強い影響あり」と回答した人は、未婚の女性、非白人、喫煙率が高く、野菜の摂取が少なく、あまり運動をしない、糖尿病の人が多く、仕事上社会的な支援が少ない人でストレスを多く受けているという有意な特徴が認められました。これらはそれだけで心筋梗塞など心血管疾患のリスクが高まる状況を多く含んでいると想定されますが、それをストレスと感じると、さらに危険度が増加することになるようです。

 普通に現代の社会生活をしている人や、特に仕事をしている人は大なり小なりストレスを感じているものです。しかし健康に対するストレスだけ感じて、自分の生活習慣改善がおろそかになっている人は、心筋梗塞を発症する高い危険状態にあるということが言えるのではないでしょうか。

 

文献:Nabi H et al.  Eur Heart J (2013), 26, DOI:10.1093/iurheartj/eht316



医療の歴史(29) ペニシリンの実用化
2013年7月 6日

 前回の医療の歴史でご紹介したように、1928年フレミングにより発見されたペニシリンは、当初傷口の化膿を抑える塗り薬として作られたため、傷口にはよく効きましたが、現在のように内服薬や注射薬として作られませんでした。そのため細菌を死滅させる優れた抗生物質の世界初の大発見は、医学会ではあまり注目を受けていなかったそうです。

 その後、フレミングによって著されたペニシリンに関する論文に注目したのが、イギリスのオックスフォード大学教授であったハワード・フローリー(18961968)です。あたかも第二次世界大戦の真っ最中にあって、ナチスドイツによるヨーロッパの武力制圧が進んでいた時で、フローリーはナチスから逃れてイギリスで研究生活を送っていたユダヤ系ドイツ人のエルンスト・チェーン(19061979)らと、ペニシリンの研究チームを作りました。そしてナチスドイツの空爆をかいくぐって続けられた研究の結果、ペニシリンの注射薬が開発され、1940年、最も権威ある科学雑誌に、ペニシリンは全身に強力な抗菌効果を持つことが発表されました。

 第二次世界大戦で多くの戦傷者を出していた欧米各国は、戦時の政策として、武器の開発とともに、ペニシリンの大量生産技術の開発に力を注ぐことになりました。その結果、それまで戦傷により亡くなっていた多くの人命を救うことになったのです。

 日本の降伏により第二次世界大戦が終結した1945年、ペニシリンの発見者フレミング、そしてそれを用いた治療法を確立したフローリー、チェーンの3人はそろってノーベル賞を受賞したのでした。



高齢者の皮膚のかゆみ
2013年6月30日
shoujou.jpg

 年齢を重ねるにつれて、皮膚のかゆみを訴える人が多くいらっしゃいます。この場合、若い人のかゆみと異なって、抗ヒスタミン剤などアレルギーを抑える塗り薬などはほとんど効きません。加齢に伴う皮膚の乾燥が主な原因とされているからです。

 それでは、高齢者における皮膚の乾燥を招来する要因は何でしょうか。高齢者は、皮膚の微小血液循環が低下して皮膚乾燥が起こりやすいことも考えられます。また性ホルモン分泌が低下して皮膚の保湿に重要な皮脂腺の働きが低下していることが想定され、そのため皮膚をおおう皮脂(あぶら分)が減少しています。また低栄養や脱水の傾向にある人や、運動量の少ない人で発汗量が低下し、さらに暖かい部屋にいる時間が長くなると、この傾向はさらに強くなります。そして皮膚の水分量が低下すると、知覚神経が表皮の中まで延びてきて、かゆみの感覚を増強する影響もあります。

 かゆみの対策として、塗り薬だけで治療を試みても効果が十分でないこともしばしばあります。生活習慣を見直して、冷暖房の使用をできるだけひかえ、熱い風呂に長時間入ったり、皮膚を刺激しやすい静電気が発生するような素材の衣服を極力さけることが必要です。

 一方、皮膚の乾燥が原因で、かゆみがおこる以外に、薬によるもの、肝臓疾患、糖尿病、ホルモンの病気などが隠れている場合もありますので、症状が続く時は一度これらの検査をしてみることも必要になります。

文献: 新谷洋一他 日本医事新報(20134652p64.




糖尿病の人に逆流性食道炎が合併しやすい
2013年6月24日

 逆流性食道炎は、胃食道逆流症(GERD)があり、胃液が食道に逆流して発生します。胃液は食べた物を殺菌するため強い酸性で、胃袋の内壁は酸性でも大丈夫な構造になっていますが、食道の内壁はそうではありません。従って胃液が逆流して食道に流れ込んでくると「胸やけ」や場合によっては胸痛と感じるような症状が出現するものです。

 糖尿病の人はこの逆流性食道炎が糖尿病ではない人に比べて2倍以上多く合併することが報告されています。そして血糖コントロールが良くないほどおこりやすく、また糖尿病が発症してから年数が長いほどおこる確立が高くなりますが、16年以上経過すると発生頻度は低くなるようです。(下の図参照)

これは次第に神経障害がおこり知覚が鈍感になってくるためと言われています。

GERD.jpg

 逆流性食道炎の発症は、自律神経障害があったり、唾液の分泌量が減り胃液の中和ができにくくなることが関係しているとされていますが、いずれも糖尿病にみられる徴候で、糖尿病と逆流性食道炎の関係が理解できるものと思われます。

 いずれにしても、糖尿病ではしっかり血糖をコントロールしておくことが大切で、もし「胸やけ」などの症状があるときは要注意で、胃酸を減少させるなどの薬物治療が必要になってきます。

文献: Nishida T et al.  J. Gastroenterol Hepatol (2004) 19, 258.



脂肪の消費に効果的な運動
2013年6月20日
TH_LIFC006.JPG

 これまでに何度かご紹介してきましたように、内臓脂肪の蓄積はメタボリックシンドロームにつながり、また糖尿病の方にとっては、運動療法は重要です。運動の効果としては、① 運動により血糖、脂肪などのエネルギー源が消費され、② 糖尿病の場合インスリンの効き方を改善する効果が知られています。

 今までは、少し息が切れる程度の運動(有酸素運動)は、最初の10数分は血糖の消費効果があり、さらに運動を続けると脂肪の燃焼が始まるとされていました。つまり、たとえ時間のない人でも、少なくとも15分以上、できれば30分間の運動が必要であると言うことでした。

 しかし、最近の報告によると、軽い運動では、運動開始当初から糖と脂肪の両方が消費されるとされています。従って、時間のない人は短時間でも運動をすると、ある程度は脂肪の消費にも有効であると考えられます。「運動する」という特別な時間がとれない方は、日常生活の中で、エレベーターを使わずに階段を使うなど、体を動かす習慣を取り入れればよいでしょう。歩数計をお持ちの方は、1日1万歩が目標ですが、歩数がそれより少ない場合でも、まず今までより11000歩でも増やすように努めて頂ければよいと言われています。

文献:佐藤祐造:日本医事新報2013年、4651p.68




サルコペニア
2013年6月10日

 75歳以上の後期高齢者において、全身の筋力低下による歩行障害がおこり生活機能に障害が発生するとして最近注目されているサルコペニアについてご紹介します。

 歳を重ねるとともに筋肉の量が若年者に比べて減少し、筋力低下が徐々に進行しますが、同じ年齢の人で比べて明らかに筋力低下が認められるものをサルコペニアと言います。新しい疾患概念で、確立された診断基準などはまだありませんが、概ね、普通の歩行速度が一秒間に1メートル未満であるとか、握力の低下(例えば男性で25kg以下、女性で20kg以下)。また筋肉量を測定した時、健常人の平均値を明らかに下回っているような場合が考えられます。これらを基準として65歳以上の人でサルコペニアの有病率を推計すると男性で約5%、女性では約12%がサルコペニアと考えられるそうです(国立長寿医療研究センター病院)。

 サルコペニア診断となる血液中の特殊なタンパク質の研究が進んでいますが、筋力を何とか維持することが発症を予防するのに重要であることは言うまでもなく、東大22世紀医療センター臨床運動器医学講座によると、片足立ちやスクワットがよいそうです。具体的には片足立ちは左右1分間ずつ1日3回、スクワット5~10回を1日3回行うことが推奨されています。

低炭水化物食は本当に有効か?
2013年5月29日

 516日から18日まで熊本で第56回日本糖尿病学会が開催されました。その中では、516日付けのこのページでもご紹介した「ガン発症のリスクは糖尿病で高い」など多くの興味深い報告がありました。そのうち、今回は、最近、減量法や糖尿病治療として低炭水化物食(糖質制限食)がよいと言われていますが、これが本当に有効なのかという報告に注目してみました。

 低炭水化物食は短期的な減量や動脈硬化のリスクを改善することに有効であることが示されていますが、「長期的に見てこの低炭水化物食が本当に正しいのか」については一定の結論は得られていませんでした。日本糖尿病学会では、「極端な糖質制限は健康被害をもたらす危険がある」とう見解を発表していますが、結論は出ていません。今回の学会では、国立国際医療研究センター病院から、多くの症例を集めた解析(メタ解析)の結果が報告され、低炭水化物食は長期的な効果は認められず、逆に有意な死亡リスクの上昇を認めたとの報告がなされました。

 約27万人の健康な成人を5年から26年間追跡調査したところ、低炭水化物食群では高摂取群に比べて1.31倍死亡リスクが高かったそうです。しかし、心臓血管疾患による死亡リスクをみると両者に統計学的な有意差はなく、死亡に至らない心臓血管疾患を発症するリスクも差はなかったとの結果でした。

 低炭水化物食は血圧を下げ、血糖や脂肪分を減少させる短期的な効果のあることが認められており、これを続けることによって心臓血管疾患の発症を減少させることが期待されましたが、そういった長期的効果はなく、むしろ何らかの原因で総死亡リスクが上昇したという結論です。

 この報告だけで、「低炭水化物食はよくない」と結論づけることには無理があります。この報告は今までの症例を解析したものですが、本当のところはどうなのか?を調べるためには、正しい方法で構築された臨床試験のシステムを用いて、今後、低炭水化物食の人はどうなっていくのかを調べる(長期介入研究といいます)ことが必要であると思われます。



医療の歴史(28) ペニシリンの発見
2013年5月27日
fleming.jpg

 最もよく知られている抗生物質のペニシリンが発見されたのはまったくの偶然でした。イギリス人医師、アレクサンダー・フレミング(18811955)がロンドンのセントメリー病院で働いていた1914年、第一次世界大戦が始まります。病院には多くの負傷兵が運び込まれ、その多くは傷口が化膿してくるのですが、当時の医学ではこれを治すことができませんでした。医療の歴史(22)でご紹介したリスターの石炭酸は消毒薬として手術時の化膿の予防には有効ですが、化膿してしまった傷口を治すことはできません。フレミングは化膿つまり細菌感染を治療する方法はないものかと、細菌の研究を始めます。ブドウ球菌を培養皿で増殖させる実験をしているとき、培養皿の一つをうっかり窓ぎわに放置したまま忘れていたのですが、後で気付いたとき、その培養皿に青カビがはえてしまいました。培養の実験は失敗で、普通ならそれはゴミ箱行きになるところですが、フレミングがその培養皿をよく見てみると、青カビのはえた周囲だけはブドウ球菌が死滅していることに気付いたのです。もしかすると青カビの成分には細菌を死滅させる成分があるのではないかと考えた彼は、青カビの濾過液から細菌を殺す作用のある物質を発見します。青カビの属名であるペニシリウムの名をとって、その殺菌作用のある物質をペニシリンと命名したのでした。1928年のことです。

 フレミングはペニシリンの殺菌作用について1929年に論文を発表しましたが、当時はあまり注目されませんでした。なぜなら彼はペニシリンの塗り薬を作って化膿した傷口にぬると石炭酸よりよく効くことまでしか確かめて発表しておらず、現在のようにペニシリンの飲み薬や注射薬など全身的に投与することまで考えが及んでいなかったのです。優れた、そして世界初の抗菌薬ペニシリンが医学の世界で認知されるまでにはもう少し時間が必要でした。




ガン発症の危険性が糖尿病で高くなる
2013年5月15日

 以前から、糖尿病とガンは共通する危険因子があり、両疾患の関連が注目されていましたが、このほど日本糖尿病学会と日本癌学会が合同でつくる「糖尿病と癌に関する委員会」から糖尿病の人はガンになるリスクが高いことが発表されました。

 この委員会は201110月から、わが国のデータ解析を続けて来ました。発表によると、解析の対象となった335千例のうち、ガン罹患者は約33千例で、糖尿病患者さんにおける全てのガン発症の危険性は、糖尿病でない人の1.2倍であり、男性と女性では差はありませんでした。またガンの種類別にみると、肝臓ガンが1.97倍と最も危険性が高く、次いで膵臓ガン1.87倍、大腸ガン1.40倍の順でした。逆に前立腺ガンや乳ガンなどは糖尿病との関連性は認められなかったそうです。

 これらのことが起こる原因として第一に、糖尿病で生じるインスリンの異常が考えられます。インスリン様成長因子などが細胞の増殖を進展させる可能性があり、ガン細胞が増殖することにつながることが想定されます。また高血糖が続くと酸化ストレスが強くなり、DNAを傷つけてガン発症につながる可能性などが挙げられています。

 糖尿病とガンに共通する危険因子としては、加齢、肥満、運動不足、不適切な食事、喫煙、アルコールの飲み過ぎなどがあります。そこで特に糖尿病の人では、食事、運動療法や禁煙、節酒が、ガンになる危険性を低めることにつながる可能性が示唆されています。規則正しい生活と血糖を良い状態にコントロールすることが、ガン発症を予防すると考えられます。

医療の歴史(27) 化学療法の始まり
2013年5月 6日

 長い医療の歴史の中で、感染症との戦いは医療者の最大の課題でした。これまで見てきたように、パスツールによる生物自然発生の否定やワクチンの開発(医療の歴史1819)、コッホによる結核菌やコレラ菌の発見と感染症発症機序の解明(医療の歴史23)、リスターらによる消毒法の開発(医療の歴史22)などは、感染症の予防法に道を開いたものでした。しかし実際に感染症が発症してしまったとき、これをどのように制御するのか、つまり感染症の治療法を確立する課題が残されていました。

 性行為によって感染する性感染症の一つである梅毒の治療薬を発見したのはパウル・エールリッヒ(18541915)です。梅毒は放置すると全身症状が進行して、最終的に脳がおかされ死亡してしまう恐ろしい病気です。しかしその原因は、スピロヘーターという病原微生物の一つである梅毒トレポネーマが感染して発症するということはすでに判っていました。そこでこの梅毒トレポネーマを死滅させる薬品を創出することができれば、梅毒を治療することができるわけです。化学技術の進歩はさまざまな化学物質を作り出すこととなりましたが、多くの化学物質の中で、人体には無害で病原微生物だけを傷害する物質を選別することができれば、それがその感染症の治療薬になるわけです。

 エールリッヒは自身の研究所に留学していた日本人、秦 佐八郎(18781938)とともに、合成された無数のヒ素化合物を一つずつ動物実験により調べ続けました。そして1910年、ついに梅毒に有効な化学物質を発見したのです。サルバルサンと命名されたこの薬品は、医療の歴史で最初の合成化学療法薬品として、多くの梅毒患者を救うことになりました。化学薬品を使った薬物治療を化学療法と言いますが、エールリッヒは化学療法の創始者となったのです。なお抗ガン剤もほとんどが化学薬品ですから、ガンに対する抗ガン剤治療も化学療法の一つです。

 エールリッヒは免疫学において業績を残しています。病原体つまり抗原を免疫反応により除去する抗体が産生されるのは、白血球の表面に抗原の受け皿つまり受容体(レセプター)があり、これに抗原が結合すると、細胞が刺激されて抗体となるという「側鎖説」を確立しました。これらの業績によりエールリッヒは1908年ノーベル賞の医学・生理学賞を受賞しています。



甲状腺機能亢進症は血栓症の原因になる
2013年5月 3日

 バセドウ病など甲状腺ホルモンが過剰となる病態では、血管内で血液が固まりやすくなる、つまり血栓症をおこしやすいことが知られています。血液成分からみると血栓症は主として次に示す3つの機序が関係して発症します。

  ①血小板という血液中の小さな細胞が凝固して血栓を作る

  ②血液の液体成分のタンパク質である凝固因子が血栓を作る

  ③血栓を溶解する繊維素溶解系(線溶系)の機能が低下する

 甲状腺ホルモンはこれらのうち、凝固因子の一部を活性化させ、線溶系を抑制する別のタンパク質が増加して線溶系が働かなくなることが原因であるとされています。つまり主として②と③の機序が関係しているのです。

 血栓症は2種類あります。心臓から体の各所へ血液を流し込む動脈に血栓ができる動脈血栓と、体の各所から心臓へ血液が帰ってくる静脈にできる静脈血栓の2つです。動脈血栓により血液が通らなくなると、その部分は酸欠になって組織が腐ってしまいます。例えば脳の動脈が血栓で閉塞すると脳梗塞、心臓の筋肉に血液を送る冠状動脈が血栓で閉塞すると心筋梗塞になってしまうといった具合です。それに対して静脈血栓は、心臓へ血液が帰って行かないので体の一部にむくみや痛みが生じます。よくある静脈血栓として、足の深部静脈血栓症がありますが、これは足が痛く腫れるだけでなく、血栓が静脈から流れ出すと突然肺の血管を閉塞させ呼吸困難の状態になってしまいます。これが「エコノミークラス症候群」として知られているもので、飛行機の狭い座席に長時間座って足を動かさないでいると足の静脈に血栓ができてしまうのです。

 上述した3つの機序のうち、①血小板 は主として動脈血栓の原因となり、②凝固因子 は静脈血栓の原因となることが知られています。一方、③線溶系 は理論的には、動脈血栓、静脈血栓の両方に関係すると考えられます。したがって甲状腺ホルモン過剰は、主として静脈血栓の危険因子です。

 さらに甲状腺ホルモン過剰状態で、治療が必要な明らかな(バセドウ病などの)疾患だけでなく、治療は必要ないけれどもわずかに甲状腺ホルモンが増加している場合においても、これらの血栓症発症のリスクは高くなっていると言われます。甲状腺ホルモンの異常はお薬でコントロールすることができますから、状況に応じてしっかりと経過観察し、治療していくことが血栓症の予防につながります。



医療の歴史(26) インスリンの発見
2013年4月21日

 血糖値をコントロールするインスリンは膵臓のランゲルハンス島という他の細胞とは異なる塊で作られます。ランゲルハンス島は1869年、ベルリン大学の病理学教授ルドルフ・ウィルヒョウの指示で研究していた医学生パウル・ランゲルハンスが発見し、その名がつけられています。その後、ランゲルハンス島は糖代謝に関係する物質を分泌しているのではないかということが判り、膵臓を摘出した犬が糖尿病になることから、膵臓から糖尿病を阻止する物質が抽出できないか、という多くの実験が繰り返されましたが、ことごとく失敗に終わっていました。なぜかというと、膵臓は食べ物の栄養分を消化する消化液を分泌しているので、その未知の物質が消化液で壊されてしまっていたからです。

 1920年、カナダで整形外科の開業医だったフレデリック・グラント・バンティング(18911941)は医学雑誌で「膵臓の管がつまると消化液が出なくなってしまう」ことを知り、実験動物の膵臓の管をしばって、膵臓の消化液を分泌する細胞を萎縮させてしまえば、残りの細胞から血糖値を下げる物質が取り出されるのではないかと考えたのです。1921年、バンティングはトロント大学の生理学教授で糖代謝の権威であったジョン・ジェームズ・リカード・マクラウド(18761935)に、この実験をさせてもらえないかと話をもちかけました。しかしマクラウドは、初めのうち素人同然のバンティングに研究ができるわけがないと取り合ってくれませんでした。何度も頼み込んだ末、マクラウドは自分が夏休みの8週間だけ研究室を使うことを許可し、何匹かの実験用の犬と、チャールズ・ハーバート・ベスト(18991976)という医学生を助手としてつけてくれました。

 約束の8週間が過ぎようとした頃、バンティングとベストの二人はついに犬の膵臓から血糖値を下げる物質を抽出することに成功したのです。ただ二人が抽出したその物質は、作用が弱く混雑物が多かったので人に投与することはできません。それを強い作用をもつ物に精製したのが、アルバート大学生化学のジェームス・バートラム・コリップ(18921965)です。そしてその物質はランゲルハンス島から分泌されることから、ラテン語の「島」を表すインスーラ(insula)に由来してインスリン(insulin)と命名されました。1922年、コリップにより精製されたインスリンは、世界で初めて、インスリンが分泌されないタイプの1型糖尿病に苦しんでいた14歳の少年に投与されたのでした。

 最初に未知の物質を抽出したのはバンティングとベストですが、マクラウドやコリップの力がなければ、「インスリンの発見」はありませんでした。後にバンティングとマクラウドの二人がノーベル賞を受賞しましたが、この二人はあまり仲がよくなかったそうです。

insulin.jpg

医療の歴史(25) X線の発見
2013年4月 9日
Xray.jpg

 体の中はどのようになっているのか、切り開かなくても見透すことができれば、病気を診断するための情報としてこれほど有用なことはありません。現代の医療で欠くことのできないX線を発見したのはドイツのヴュツブルグ大学の物理学教授であったウィルヘルム・レントゲン(18451923)です。

 X線の発見は偶然の出来事でした。レントゲンは、陰極線について一人で実験していました。それまですでに、ボン大学のフィリップ・レナルト(18621947)により真空管に電気を通すと陰極線という放射線が発せられることが発見されていましたが、レントゲンは自分の研究を深めるため、レナルトの実験を追試しようとしていました。1895118日金曜日の夜、衝撃の新事実が発見されました。実験室を真っ暗にして、太い真空管を銀紙と黒いボール紙で覆って通電すると、その真空管から少し離れたところに置かれた蛍光物質を塗ったスクリーンが光りだしました。スクリーンの前に鉛の棒をかざすと影ができ、さらにその棒を持った自分の手の骨が影となってスクリーンに映し出されたのです。つまりこの光線は人の体を通して、骨を見透すことができるというのです。このことを確かめるためレントゲンは一カ月半のあいだ、一人で実験室にこもってこれを確かめた後、18951228日にビュルツブルグの物理学医学協会に論文として、発見した事実を報告しました。この光線は今まで知られていなかったもので、未知の光線であることからX線と名付けられましたが、よく発見者の名をとってレントゲン線と言われます。

 この衝撃の事実は、またたく間に世界を駆け巡りました。初めのうちはX線が自分の骨を映し出すことから記念写真のように撮られたり、靴屋は足の骨をX線写真で調べて形のあった靴を作るサービスをするなど、今では考えられないようなデタラメなことがあちこちで行われていました。何がデタラメかというと、言うまでもなくX線が人の体に有害であること、つまり放射線障害が知られていなかったためです。レントゲン自身の体にも、皮膚に腫瘍ができたり、髪の毛がぬけることが起こっていました。X線は便利なものだけれども、適切な使い方をしないと体の細胞に障害されることが後年になって判ってきました。X線のこの細胞障害の性質を病気の治療に使ったのが放射線療法で、悪性腫瘍などに向けてX線を照射すると、腫瘍細胞が死んでしまうというわけです。

 なお言うまでもありませんが、通常、病気の診断や健康診断に使われるX線は、妊婦さんのお腹にいる赤ちゃんに対してという特殊な場合でない限り、人の体に安全な放射線量で管理されています。



先天性風疹症候群
2013年4月 2日

 風疹が大流行しています。国立感染症研究所は、本年の1月から327日までの風疹にかかった人の報告数が2418人で、昨年全体の報告数2,353をわずか3ヶ月で越えたと発表しました。

下の図は国立感染症研究所が公表している風疹の各年頭からの風疹発生数を示したグラフです。黄色で示してある昨年2012年の発生数は後半から急激に増加していましたが、赤色で示した本年の発生数はすでにこれを超えていることがわかります。

rubella.jpg

 風疹は感染者の息などの飛沫に含まれる風疹ウイルスを吸い込んで感染します。23週間の潜伏期間のあと、発熱や皮膚の発疹、リンパ節腫脹などの症状が現れますが、ほとんどの場合、3日程度で治ることから、「三日はしか」と呼ばれています。ちなみに「はしか」は麻疹のことで、治るまでに2週間かかります。

 風疹の経過自体は大したことはないのですが、妊娠初期の女性が感染したときに、おなかの中の赤ちゃんに異常が生じる先天性風疹症候群が問題となります。先天性風疹症候群は、先天性心疾患、先天性難聴、先天性白内障が三大症状で、これ以外にも網膜症、糖尿病、発育遅滞、精神発達遅滞などの症状が新生児に認められるものです。

 一度、風疹にかかった人は免疫ができているので、感染する可能性は低いのですが、かかったことのない人や小児には、ワクチン接種することで予防することができます。インフルエンザのワクチンのように毎年接種する必要はありません。妊娠の可能性がある若い女性は必ずワクチン接種することが必要です。当院でもワクチン接種を行っていますので、お申し出下さい。



古代ミイラの3割に動脈硬化があった
2013年3月24日

 動脈硬化は、その発症機序が生活習慣に関係し、現代人の疾患と考えられています。しかし大昔の動脈硬化有病率は知られていませんでした。この度、4000年以上にわたって世界中4つの地域で作られたミイラのCTスキャンを行い、動脈硬化の有病率が調査され報告されました。4つの地域は、古代エジプト、古代ペルー、アメリカ南西部のプエブロ族、そしてアリューシャン列島の狩猟民族です。

 その結果、76人の古代エジプト人のうち29(38%)51人の古代ペルー人のうち13人(25%)、5人のプエブロ族のうち2人(40%)、さらに5人のアリューシャン民族のうち3人(60%)に動脈硬化病変が認められたのです。調べられたミイラの合計137人中47人に動脈硬化があったことになり、約3割にあたります。さらに年齢が高くなるほど動脈硬化が多くなり、高齢で死亡した人ほど有意に動脈硬化を持っていたことが統計学的に明らかにされました。

 今回の研究対象となったミイラはそれぞれ現代文明化社会以前の一般的集団であったことから、「動脈硬化は現代人の生活習慣に関連した特有の病態と考えられていたが、実はそうではなかった。」と論文の著者は述べています。

 しかし、古代人も魚や肉を食べ、エジプト人などはビールやワインも飲んでいたということですから、かならずしも今回対象のミイラとなった人は現代と比べて質素な生活をしていたわけではないかも知れません。しかも特にミイラにされる人は身分の高い人だったと想像されますので、現代の一般人よりはるかに優雅な食生活をしていたのでしょう。

 また、動脈硬化があり、それに加えて乱れた生活習慣をしていると、脳梗塞や心筋梗塞などの死に至る可能性がある疾患につながります。ですから今回の報告が不健康な生活習慣には大きなリスクがあることを否定しているのではなく、やはり正しい生活習慣を守ることが必要であることに変わりはないと思います。

(文献:Thomposon RC et al.  The Lancet Early Online Publication 11, March 2013.



痛風はなぜ足の母趾でおこりやすいか
2013年3月17日
gout.jpg

 以前にこのページで紹介したように、血液中の尿酸値が高い状態が長時間続くと、尿酸が尿酸塩の結晶となって関節内に沈着します。それが溶け出すことが原因となって、風にあたっても痛いほどの激痛が起こり、これが痛風発作と言われるものです。(201248日付の医療あれこれ)

 ところで、関節は言うまでもなく全身の骨と骨のあいだにあるのですから、この痛風の急性関節炎は全身どこにでも起こる可能性があります。しかし足の母趾の付け根に起こることが最も多いのです。なぜ足の母趾に多いのでしょうか。いくつかの原因が考えられています。

 痛風発作の原因となる尿酸塩の結晶が溶け出すのは、37℃の状態では起こりにくく、低い温度では溶けやすいのだそうです。つまり足の関節は体温(37℃)よりかなり低いことが多いので、沈着した尿酸塩の結晶は、足の母趾でより溶け出しやすいということが一つ考えられます。

 また温度以外にも、尿酸塩の溶解に関与する要因があって、例えばプロテオグリカンという物質は尿酸塩の溶解を抑制しているのですが、母趾関節の変形性関節症があるとこのプロテオグリカンが変性を起こして作用しなくなるのです。その結果、尿酸塩の溶解は抑制がなくなり、どんどん溶解が進むことから、関節炎が増強されてくるという可能性があるようです。

 さらに、足の母趾には歩行などの運動時に大きな荷重がかかります。ゴルフや長時間の歩行は尿酸塩の結晶に影響を与えて溶解しやすくなり痛風発作の原因になると想定されています。


(文献 谷口敦夫:日本医事新報 No.4635 p.48)



医療の歴史(24)外科の革命
2013年3月 9日

 麻酔法が開発され、また無菌手術が可能になり、これまで外科手術の発展をさまたげていた二大要因が解決されるようになると、19世紀後半に外科は現代の姿につながる飛躍的発展をとげて行きました。これまでこのページで紹介してきたように、内科医の先祖は祈祷師、外科医の先祖は刃物をつかう散髪屋さんで、医学という学問的には外科医は少し地位が低いとも考えられていましたが、ここに至って外科は、内科と対等あるいは優位な地位になってきたのです。

billroth.jpg

 19世紀には現代の外科学教科書に名を残す外科医が数多く現れました。私たち内科医にとっても馴染み深い外科医はビルロート(18101887)でしょう。それまで、外科手術といえば、骨折や外傷などに対するものが多かったのですが、消化器外科を確立して行ったのがビルロートです。

1881129日、胃の切除をするという前人未到の大手術がウィーン大学の外科学教授であったビルロートにより行われました。胃を取ってしまうと、食道と腸をつながなくてはなりませんが、その方法が現在の外科学教科書にも記載されているビルロート法です。右の図はビルロートⅠ法と呼ばれる胃切除後の再建術式を示しています。

kocher.jpg

 ビルロートは胃切除だけでなく、卵巣のう腫の切除、食道切除などの大手術を次々と成功させました。また多くの外科医を弟子として育てました。その中で、最も有名な名前はコッヘル(18411917)です。彼の名前がなぜ有名かというと、外科手術の時などに物をはさんだり引っ張ったりする鉗子という医療器具がありますが、先端が針状になっているものをコッヘル鉗子といいます。彼が考案したものですが、今でも医療者がコッヘルというとこの鉗子のことを意味しています。(右の図)



野菜を多く食べると乳ガンの予防になる
2013年3月 7日
kufu_syokuji42.jpg

 乳ガンの多くは女性ホルモンであるエストロゲンの受容体(ER)があり、エストロゲンの影響を受けて乳ガンが発生します。この乳ガンをER陽性乳ガンと呼んでいます。これらの症例に対しては治療法としてホルモン療法が有効なことが多く、抗ガン剤とともに用いられます。一方、一部の乳ガンではこのエストロゲン受容体がなく、ホルモンの影響を受けずに発生すると考えられており、ER陰性乳ガンと呼ばれます。

kufu_syokuji38.jpg

 この度、このER陰性乳ガン、つまりその発生にエストロゲンが関与していない乳ガンの発生リスクは野菜を多く食べる人では低いことが米国ハーバード大学の研究グループが発表しました。5千人弱のER陰性乳ガン症例を調べたところ、野菜の総摂取量と乳ガン発生リスク低下には統計的に有意な関連が認められたそうです。しかし、逆にER陽性乳ガン(つまりエストロゲンの影響を受けて発生した乳ガン)と診断された約2万人弱の症例ではこの関連性は認められませんでした。またER陽性・陰性に関わらず乳ガン全体でみてもこの関連性はありませんでした。さらに野菜ではなく果物の摂取と乳ガン発生リスクも検討されましたが、関連性はなかったそうです。

 詳しい機序は明らかではありませんが、野菜を多く食べていると、少なくとも一部の乳ガンを予防することにつながるようです。

 

文献 J. Natl. Cancer. Inst. 2013; 105: 219-236.



世界最高齢の女性は大阪の方です。
2013年2月27日

 大阪市在住の女性がギネス・ワールド・レコーズ社から世界最高齢の女性として認定されたそうです。特別養護老人ホームに入所中ですが、自分で車イスを動かして施設内を散歩するなどの日常動作をされているそうです。なお現在の世界最高齢は京丹後市在住の男性で115歳ということで、男女とも日本人が世界最高齢ということになります。大阪の114歳女性も誕生日は35日だそうですから、もうすぐ同じ年齢になられるのです。

 ところで平均寿命は、昭和30年ごろまでは男女とも60歳代だったものが、昨年は男性が79.4歳、女性は85.9歳と延びてきています。しかし医学・医療の進歩にも関わらず最高年齢は老年学的に115歳~120歳でほとんど変化していないと推定されます。生物学的に人間を見たとき、やはり限りがあるということでしょう。

 昨年612日付けのこのページでご紹介したように、日本人の死因第一位は悪性新生物(ガン)、第二位は心疾患、第三位は肺炎で、前年まで第三位だった脳血管疾患は第四位となっています。一方で、死亡診断書の死因として「老衰」とされる方は高齢者であって、明確な死因となる疾患がない場合に限られてきます。

 全ての人が病気にならずに、天寿を全うして「健やかに」死を迎えることができるようになることが医療における究極の目的ではないでしょうか。



医療の歴史(23) 細菌学の確立~コッホ
2013年2月24日
Koch2.jpg

 これまでの医療の歴史で見てきたとおり、パスツールによる微生物が自然発生することの否定、ジェンナーやパスツールによるワクチン開発、さらにリスターの消毒法開発など、徐々に細菌などの微生物が病原体となって発生する感染症克服への道は切り開かれて行きました。しかし伝染病にかかった生体には細菌という微生物が確かに存在することが明らかにされても、その細菌が伝染病そのものの原因かどうかということについては明確ではありませんでした。その難問を見事に解決したのはドイツの一地方で医師をしていたロベルト・コッホ(18431910)でした。

 コッホはウォルシュタインというドイツの田舎町の診療所で、医療に従事していました。その地方では羊に炭疽病という原因不明の病気が流行していて、一つの村の羊が全滅するような事態が起こっていたのです。死んだ羊の血液中から糸状の細菌が発見されていましたが、これが炭疽病の病原体であるという証明はできていませんでした。コッホは炭疽病で死んだ羊の血液をネズミに接種してみたのです。するとそのネズミは(コッホの予想通り)死んでしまいました。さらに試行錯誤を繰り返して、その炭疽病で死んだ羊の血液中に存在する微生物を培養することに成功します。そして培養された微生物を別のネズミに接種すると、ネズミは炭疽病に罹患し死んでしまうことが確認されたのです。その微生物は炭疽病の病原菌であることが証明され炭疽病菌と命名されました。

 コッホが実験した一連の手技は「コッホの三原則」として今でも通用する理論です。つまり、①伝染病に罹患した生体には特定の病原体が存在する、②その病原体は生体外で分離・培養される、③その分離・培養された病原体で別の生体にその疾患を再現することができる、というものです。

 コッホはこれらの業績が認められ、ベルリンの国立衛生院研究室の主任に迎えられました。そして次々と感染症の病原体を同定して行きます。なかでも最も衝撃的な発見は結核菌の発見でした。大昔から人類は死の病「結核」に苦しめられていましたが、18823月のベルリン医学会でのコッホによる「結核菌発見」の報告は、人々に世界はこれで結核から逃れることができると期待を与えたのでした。

 しかし、病原体が確認されても、即その感染症が克服されるわけではありません。治療法の開発というさらなる道程が必要なのです。人々の期待に応えようと、コッホは結核菌の培養液から結核の治療薬として「ツベルクリン」を作り出します。ところが残念ながらツベルクリンは結核を治す薬ではないことが判りました。しかしこれはコッホの名声を汚すものではありませんでした。ツベルクリンは今でも結核の診断に用いる「ツベルクリン反応」の試薬として使用されています。

 結核菌のほか、やはり死の病であるコレラの病原体コレラ菌も発見したコッホは、ベルリン大学の教授に迎えられ、ここで多くの弟子たちを育てていきます。日本の北里柴三郎もその一人です。

 これまでご紹介したフランスのパスツールとドイツのコッホ、この二人は「近代細菌学の父」と呼ばれています。そしてこの両巨頭のグループはお互い闘争心に燃えて切磋琢磨しながら医学の発展に貢献して行ったのでした。




糖尿病の発症は皮下脂肪量とは関連しない
2013年2月21日

 生活習慣病としての糖尿病の発症は、肥満と関連していることから、体重や体脂肪量と相関するのではないかと一般に思われます。しかし、米国の研究チームから、糖尿病発症リスクは、体脂肪量、皮下脂肪量、また体重と身長から算出した肥満指数であるBMIなどとは関連性がないことが発表されています(JAMA 2012,308: 1150-1159)。ただし脂肪のうちでも内臓脂肪量と糖尿病発症リスクは統計的に有意な関係があるということです。

naizoshibo.jpg

 メタボリックシンドロームは、内臓脂肪蓄積が源流にあって、皮下脂肪の量とは関係が無いということをお聞きになったことがあると思います。右の図をご覧下さい。これは腹部断層写真(CTスキャン)の模式図です。皮下脂肪は体の表面にありますので、お腹の上からつまむことができます。それに対して内臓脂肪は体の内側にあることから表面からつまむことができません。メタボリックシンドロームはこの内臓脂肪蓄積が問題になるのです。皮下脂肪と違って、内臓脂肪では動脈硬化や血栓症を引き起こす物質を多く作っています。そこで内臓脂肪蓄積があるうえに、血圧が高い、中性脂肪が多い、血糖値が高いなどがあるとメタボリックシンドロームと診断されるわけです。ちなみにメタボ健診で受診者全てに腹部CTスキャンをすることができませんから、内臓脂肪蓄積をお腹周りの測定で判定しているのです。いろいろな問題点も指摘されていますが、臍の周囲径が男性では85 cm、女性では90 cm以上あると内臓脂肪蓄積ありと判定します。なぜ女性の方が長いのかというと、女性では皮下脂肪が多いことを考えるとこれぐらいの差があるというわけです。

 話は戻りますが、糖尿病発症が内臓脂肪蓄積と直接関連するけれど、皮下脂肪や体全体の体脂肪と統計学的に関連がなかったという今回の報告は納得できるものだと考えられます。糖尿病に限らず、一般的に言われる生活習慣帽予防にはこの内臓脂肪蓄積を食事や運動で予防することが大切になってきます。



医療の歴史(22) 無菌手術の始まり
2013年2月 3日

 医療の歴史(18)でご紹介しましたように、ルイ・パスツールにより微生物の自然発生が否定され、空気中の微生物が原因で腐敗が始まることが明らかにされました。それでは、手術などの後、傷口から化膿してくるのは侵入した微生物が原因であるのに違いない、手術時の消毒は術後の感染症予防につながると考えた人が現れました。その人はイギリスの外科医ジョセフ・リスター(18271912)です。

OP.jpg

微生物を殺すには煮沸することが手っ取り早い方法ですが、手術で患者さんの体を煮沸するわけには行きません。リスターは何か消毒剤として有効なものはないか、さまざまな物質を調べていたとき、ゴミの消臭剤として用いられていた石炭酸(フェノール)の存在に気づきました。ゴミからでる腐敗臭も微生物の影響に違いない。石炭酸は消毒剤として用いることができると考えた彼は、石炭酸を染み込ませた布を傷口にかぶせる方法で術後の腐敗を予防することに成功しました。その後、手や手術器具を石炭酸で消毒し、手術中には噴射器を用いて、石炭酸液を噴射しながら手術を行ったのです。その結果、それまでの手術では術後、傷口から化膿することが当たり前であったのに、化膿せずに傷口が治るという画期的なことが発見されたのです。リスターの業績は前回ご紹介した麻酔法の発達と相まって、以後の外科手術の様相を一変させることとなりました。

 その後、ほどなくして毒性の強い石炭酸より優れたヨードチンキなどの消毒剤が発見されました。手術器具の消毒も、高圧・高熱で行うという現代の器具滅菌法の基本となる方法が開発され、消毒したゴム手袋を使用して手術をするなど、現代における無菌手術の基本的スタイルが確立されて行ったのです。



医療のあり方~根拠に基づく医療
2013年1月29日

 病気の診断や治療など医療は何を根拠に行われるのでしょうか。最終的にはその患者さんを担当する医療者が状態を判断して、実際の医療を行うことになるのですが、その判断の根拠が確かなものでなければなりません。

 例えば一人のベテラン医師がある患者さんを診療するとします。その時、「私の長い医療職者としての経験からすると、この症例はこうであることに間違いはない」と考えて実際に医療を行ったとします。ほとんどは、この判断で誤りではないことが多いのですが、中にはその担当医療者の誤った考え方や勘違いなどがないとは限りません。そうすると、その患者さんの病気は最もよい経過をとることはなく、病状が悪くなって治るまでに必要以上の時間がかかったり、場合によっては治らないという結末になってしまいます。また経験の浅い医療者が診療するときには、その「長い経験」がないものですから、いったい何を根拠にすればよいのか迷うことでしょう。昔の医療はだいたいこのようなものでした。患者さんにとっては、これでは本当に適切な治療を受けることができません。

 現代の医療は、「根拠に基づく医療」が基本です。英語で言うと、根拠=Evidence、基づいた= Based、医療= Medicine、つまりEvidence Based Medicine、この頭文字をとってEBM(イー・ビー・エム)といいます。1990年代ごろアメリカやイギリスからこの考え方が普及してきました。

臨床における根拠(エビデンス;Evidence)は理論的な考え方や基礎的実験結果ではありません。実際にあった多数の症例で検証して得られた結果を解析したものです。理屈では予想されることでも、それが本当に実際の症例にあてはまるのかどうかまで検証することが求められます。机上の空論ではだめなのは当然のことです。昔の日本の医療はドイツ医学を基本としていました。ドイツでは実験的理論を中心にした考え方が基本で、臨床的に実際の症例を詳しく観察した考え方のアメリカやイギリスとは少し違っていました。そのため日本においてEBMの考え方が普及するのに少し時間がかかったのです。

 さらにその根拠(エビデンス)は、大多数の症例を対象にしたものでなければなりません。例えば、ある1つの治療法を数人の患者さんに試して成功したとしましょう。しかしその結果は、たまたまその数人の人に有効であっただけかも知れません。10人ぐらいならどうでしょう。たとえ10人全員に有効性が認められたとしても、11人目、12人目には無効であるという結果がでたら、その医療法の有効率はどんどん低下していく結果となってしまいます。百人より千人、千人より1万人を対象にして確かめた方がより確実な結論を得ることができるでしょう。ですからよい根拠(エビデンス)を得るためには大多数の症例を対象とした「大規模臨床試験」が必要なのです。

 ちなみに今流行りの健康食品やサプリメントの多くはこのような「大規模臨床試験」で得られた根拠のもとに生産されたものではないため、効能書の内容が本当に正しいのかどうか解らないこともある点に注意することが必要です。



医療の歴史(21) 外科手術の発展
2013年1月21日

 これまでにふれた外科の歴史を整理しておきます。まず外科と内科の違いは、手術をして体の悪いところを切り取ったりして治療するのが外科で、お薬などにより病気を治すのが内科です。昔は刃物を使って血を浴びて仕事をする外科医は、内科医より身分が低いと考えられていました。その外科医の地位を高めたのは、医療の歴史(13)でご紹介したアンブロアズ・パレ(15171590)です。しかし彼の業績を以てしても、外科に従事する人は医師というより職人という印象で見られていたと思います。

 あたりまえのことですが、刃物で体に傷をつけると大変痛いので、手術はできるだけ手際よく短時間に済ますことが求められました。有名な外科医とは(手塚治虫のブラック・ジャックのように)すばやく手術をする人だったのです。当時の外科手術の様子はおそらく次のようなものだったのでしょう。手術台に乗せられた不安でいっぱいの患者さんは、手術が始まると体を切られる痛みのために絶望的な悲鳴をあげて暴れまわります。それを力持ちの何人かの助手が一斉に押さえつけている間に手術を終わらせるのでした。術者やその助手たちには耳栓が必要でした。患者さんの悲鳴が聞こえないようにするためです。ethelOP4.jpg

 患者さんの痛みをなくした状態で、慎重に手術をする無痛手術ができないものかが、長年の外科医の夢でした。それを実現させたのが、ウィリアム・モートン(18191868)です。彼はマサチューセッツ総合病院でエーテル麻酔の公開実験を行いました。18461016日のことで、外科にとって最も記念すべき日となりました。そしてその公開手術が行われた部屋は「エーテル・ドーム」として今でもマサチューセッツ総合病院に残されています。モートンの無痛手術の成功は、またたく間にアメリカからヨーロッパに伝えられ、麻酔による外科手術が行われるようになりました。

 しかし、これで外科手術の心配事は全て解決されたか、というとそうではありませんでした。麻酔手術により大胆な手術が行われるようになったのですが、手術のあと感染症で体が腐ってくる脱疽が激増したのです。ナイチンゲールが活躍したことで有名なクリミア戦争(18541856)では、戦死者1万人に対して、戦傷により手術を受けその後亡くなった戦病死者が8万人にのぼりました。手足に傷を受け手術をした人としなかった人の死亡率はほとんど同じだったのです。術後感染症の克服というもう一つの難問題が残されたのでした。

 ところで、モートンの麻酔による手術より40年以上前に全身麻酔での手術を成功させた人がいました。その人は日本の華岡青洲(17601835)です。1842年、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を調合した「通仙散」を用いて全身麻酔を行い、彼の妻にできた乳ガンの摘出手術を行ったのです。しかし時は鎖国中の江戸時代。世界に向けて発表することのなかった彼の業績は、西洋医学の歴史に刻まれることはありませんでした。



アメリカの健康度は最下位?
2013年1月20日
heikin.jpg

 今年に入って、米国人がどの程度、健康で長生きできるかを日本やヨーロッパを含む先進17カ国で比較したところ、病気や事故による死亡率や平均寿命などが最も低かったと米国アカデミーが報告しました。日本人では女性の平均寿命は17カ国中1位(85.98歳)、男性は3位(79.20歳)なのに対して、米国人女性は16位(80.78歳)とワースト2、米国人男性にいたっては17位(75.64歳)と最下位でした。

 米国では国民1人当たりの医療費が先進国の中でも最も高いレベルにあるにもかかわらず、平均寿命や健康状態は他の先進国に大きく遅れています。具体的には「乳児死亡率および低出生体重」「外傷や殺人」「未成年の妊娠・性感染症」「HIV感染症/エイズ」「薬物関連死」「肥満・糖尿病」「心疾患」「慢性肺疾患」「肢体不自由」の9つの領域で最悪のレベルだったそうです。

 アメリカでは高カロリーの食生活に基づく肥満の人が多く、健康保険制度への未加入者が多いことが要因として考えられます。さらに最近のニュースでも問題になっているように、アメリカは銃社会で銃犯罪による死亡や交通事故、薬物被害や性感染症など、若年者の健康が損なわれている社会的背景が大きく影響しているようです。

米国医学研究所のレポートは「これは悲劇だ」「結果の重大さに衝撃を受けている」などと述べているとのことです。

iPS細胞の臨床応用
2013年1月14日

 昨年、京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したiPS細胞(人工多能性幹細胞)。以前にも少し述べましたが、これによって今すぐにでも夢のような医療が可能になったと考えられがちですが、実際に一般の臨床で応用されるようになるためには、もう少し時間がかかると思われます。

 まず、傷んでしまった体の臓器を健常な人から提供を受けた臓器で置き換える移植医療です。ほかの人から提供を受け移植された臓器は、移植を受けた患者さんにとって他人のものですから、患者さんの免疫が作用して、この臓器を傷害してしまう拒絶反応が問題となり、これを抑制するために免疫抑制剤の投与などさまざまな工夫がなされています。しかし患者さん自身の体の細胞から作り出されたiPS細胞は自分の体由来のものですから、この拒絶反応の心配が少ないことが理論的には考えられます。そこで無限にさまざまな細胞に増殖していくiPS細胞を用いた移植療法は最も期待される先進的医療になります。国内では数年から10年以内を目標にこの細胞移植療法の臨床研究が計画されています。このうち最も早い計画は、年齢を重ねると眼底にある網膜が変性して失明の原因ともなる加齢黄斑変性症の患者さんに対して、移植する臨床研究が2013年に開始予定だそうです。また糖尿病のうち、インスリンを作り出すはずの膵臓のランゲスハンス島にあるβ細胞が傷害されて、高血糖が持続するタイプの糖尿病患者さんに対しては、iPS細胞によりこのβ細胞を再生させることが確実な治療法として開発に向けた研究が進められている他、パーキンソン病の原因となる神経細胞の再生、肝臓疾患に対する肝細胞、腎臓疾患に対する腎細胞、さらに不足している輸血用の赤血球や血小板などの血液細胞を作り出すなどの研究が進められています。

 これらの細胞移植療法だけではなく、病気の原因を追求するために必要な、疾患モデルの作成に応用することが試みられています。例えば難治性の神経細胞変性疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)は原因不明のまま全身の筋肉が動かなくなってしまう病気ですが、患者さんの皮膚細胞からiPS細胞を作り出して神経細胞へ分化誘導し、病気の原因を究明する試みが5年前から進んでいます。

 その他、iPS細胞から作り出した臓器の細胞を用いて、薬の副作用である薬剤毒性のメカニズムを研究することが考えられます。この方向で最も進んでいるのが、心臓の筋肉、心筋細胞で、人に薬剤を投与してみることなく、心毒性を評価することが可能になります。

 このように多方面にわたって治療法、診断法さらに治療薬の開発が盛んに研究されていますが、これらの研究には資金が必要です。政府もこのiPS関連の研究に多くの予算を付けることを考えているとのことです。



医療の歴史(20) 天然痘撲滅への道
2013年1月 2日

 天然痘は疱瘡あるいは痘瘡ともいわれ、18世紀まで不治で致死的な病と恐れられていました。原因は、天然痘ウイルスが空気中から、あるいは病気の人と接触することにより感染するものでしたが、死亡率は30%40%とされ、もし生きながらえたとしても、皮膚の障害などが一生残るもので、18世紀のヨーロッパでは、全人口の三分の一の人が天然痘の後遺症を持っていたとされています。

Jenner.jpg

 この恐ろしい天然痘を予防し撲滅する道を開いたのが、イギリス人エドワード・ジェンナー(17491823)でした。その当時、天然痘にかかった人でも幸い軽症ですんだ人は二度と天然痘にはかからないことが知られていました。また人に発病する天然痘が牛や豚などの家畜にもみられ、牛痘と言われており、酪農家で牛痘にかかる人もいましたが、人の天然痘のように致死的でもなく、そのあと天然痘に感染することもありませんでした。これらのことに注目したジェンナーは、天然痘や牛痘に一度かかると、今で言う天然痘に対する免疫ができるのではないかと考えたのです。ある時、牛痘にかかった酪農家の女性の皮膚から膿を採取し、人に接種することを決意します。接種を受けたのはジェームス・フィリップスという8歳の少年で、ジェンナー家の使用人の息子でした。少年の皮膚に傷をつけ、そこに牛痘患者から採取した膿を接種しました。そして12ヶ月のち、今度はその少年に天然痘の患者から採取した膿を投与しましたが、フィリップス少年は天然痘にかかりませんでした。1796年、この歴史的な人体実験が行われたのです。医療の歴史(19)で、ルイ・パスツールによるワクチン開発をご紹介しましたが、それより90年も前のことです。ワクチンによる予防接種を確立していったのはパスツールですが、世界で最初に予防接種を成功させたのはジェンナーということになります。ワクチンという言葉は当時、牛痘の事を「ワクシニア」と呼んでいた事から、後にパスツールがジェンナーに敬意をはらって命名したといわれています。

 その後、このジェンナーにより開発された天然痘予防法、すなわち種痘法は初めのうちは世間で受け入れられませんでしたが、次第にヨーロッパ中で行われるようになり、天然痘患者は激減して行きます。1977年、最後の天然痘患者が報告されて以来、世界中で天然痘は完全に撲滅されます。1980年、世界保健機関(WHO)は天然痘撲滅宣言を発表しました。ジェンナーの人体実験から200年余り後のことでした。天然痘ウイルスは今後の研究のためにと、少し前までアメリカとロシアに保管されていましたが、生物テロに使われる危険もあるとのことから、すべて抹消されてしまいました。つまり人類は地球上から天然痘の病原体を完全に消し去ることに成功したのです。

 なお、ジェンナーは自分の息子を使って最初に牛痘ウイルスを接種し、種痘法を開発したと伝記に書かれていることがありますが、実際は自分の息子を使った人体実験は成功しませんでした。最初に人体実験に成功した被験者のフィリップス少年に対して、ジェンナーは深く感謝し、家一軒を贈り、生涯友好関係を持ち続けたそうです。



バセドウ病と不整脈
2012年12月28日

 これまでに何度かご紹介していますように、代表的な甲状腺ホルモン過剰症にバセドウ病という病気があります。甲状腺ホルモンは体の代謝を高め精神神経を調節するホルモンですからバセドウ病になると体がやせてくる、暑がりでよく汗をかく、動悸がする、手が振るえる、イライラするなどの症状が現れます。

 これらの症状のうち、動悸がする(胸がドキドキする)という症状は、甲状腺ホルモンの心臓や血管への甲状腺ホルモンの作用でおこります。甲状腺ホルモンにより心臓の収縮力が高くなることから、上の血圧、つまり心臓が収縮したときの血圧(収縮期血圧)は上昇する一方、全身の血管抵抗性が低下して下の血圧、つまり心臓か拡張した時の血圧(拡張期血圧)は逆に低下します。このことから上下の血圧の差が大きくなり、動悸を感じるようになるのです。

 心臓が収縮したり拡張したりしているのは、心臓の筋肉が電気刺激を受けることによるものですが、この電気刺激の伝導系に対して甲状腺ホルモンは刺激を強める作用があります。そこで甲状腺ホルモンが増加すると、心臓の拍動数が速くなり、頻脈になってきます。さらにこれがひどくなると、心房が細かくけいれんするように震える現象がおこります。これは不整脈の一つで心房細動と言われるものです。最近の報告では、はっきりした甲状腺ホルモン過剰症ではなくても、つまりホルモンが少しだけ多めの状態「潜在性甲状腺機能亢進症」でも、この心房細動という不整脈のリスクが高くなるとされています。(文献:BMJ 2012, 345, e7895

 ところで心房細動では、左心房の中で血液の流れが乱れて固まりを作る、つまり血栓が形成されることがよく見られます。下の図をご覧下さい。この左心房内の血栓は、やがて左心室から動脈に流れ出して血管をつめてしまう塞栓症をおこします。脳の動脈にはこの血液の固まりが流れ込みやすいので、脳血管が閉塞し脳梗塞をおこします。これは心臓が原因で脳の塞栓症がおこったものなので「心原性脳塞栓症」といいます。

Af.jpg

 少し話がややこしくなったかも知れませんが、甲状腺ホルモンがわずかでも多いと、心房細動という不整脈がおこり、さらに脳梗塞を発症してしまう可能性があるといえます。



一日一食では胆石になりやすい
2012年12月21日

 最近、「空腹が人を健康にする」ということで、一日一食を推奨することが流行しているようです。しかしこれが本当に健康にとって良いことなのでしょうか。

 昔(明治時代より以前)は一日の人の活動は、夜明けとともに始まり夜になると終わるという短時間のものでしたから、一日に三食ご飯を食べなくても十分に栄養を補給することができたでしょう。また、大昔、原始時代は、一日一回何らかの物を食べることしかできなかったかも知れません。しかし、それが本当に人が健康な生活をすることにつながっていたのでしょうか。少し疑問が残ります。

GallStone.jpg

 空腹な状態が長時間続くと胆石症になりやすいと言われています。肝臓は脂肪の吸収に必要な胆汁という消化液を作っています。これを小腸に流し出すための管である胆管や、その途中に食べたものが小腸にはいってくるまで胆汁をためておく胆のうという袋の中に、コレステロールやビリルビンなどの成分が固まって結石を作った病気が胆石症です(右の図)。特によく知られているのは胆のう内結石で、これは胆汁が長時間胆のう内に貯留していることが発症の要因とされています。すると、もし一日一食という食生活で、空腹の時間が長く、食べた物が小腸に入ってくる回数が減ると、胆のう内に結石ができる可能性が高くなることが考えられます。病気で口からものを食べることができない人が、点滴で栄養を補給されている時間が長くなると胆石ができやすいことが知られています。

 これらのことから、空腹が人を健康にするという論理は必ずしも全て受け入れることができるものではないかも知れません

(参考文献 日本医事新報 No.4626 2012.12.22)



医療の歴史(19) ワクチンの開発
2012年12月 8日
pastu.jpg

 前回、ご紹介したルイ・バスツールは生物の自然発生説を否定したというだけではなく、多くの発見をしました。ワインを醸造するとき腐らないように55℃以上で熱する方法(低温殺菌法)の発見や、絹の製造業者たちの悩みであったカイコの病気はある種の寄生虫が原因であることを発見するなど、彼の元に持ち込まれるさまざまな難問を解決して行ったのです。

 しかしパスツールの医療における最大の業績は、ワクチンによる予防法に道を開いたことです。狂犬病は、狂犬病の犬に噛み付かれた人が、水を恐れて決して飲もうとはせず、ほとんどが死に至ることから、恐水病などとも呼ばれ、致死的な病気でした。狂犬病の原因は狂犬病ウイルスであることは、その後、明らかにされていますが、パスツールはこれを狂犬病の原因になる毒のようなものと考えました。これを何倍にも薄めて犬に投与しておくと、狂犬病に対する抵抗力がつくのではないかと考えたのです。病原体を薄めて発病しない状態にしたものを投与して病気の発生を予防するということは、今で言う「ワクチンによる免疫」に他なりません。そのワクチンを投与された犬と、投与していない犬の二つの群に、狂犬病ウイルスを投与すると、ワクチンを投与されなかった犬は皆死んでしまいましたが、投与された犬は健康な状態を示すことが判りました。

 ただし、この狂犬病ワクチンを人に投与することは簡単にはできません。もし効かなかったら、投与された人は死んでしまうからです。そんな時、一人の男の子が狂犬に噛まれて運び込まれてきました。そこでパスツールは、その男の子にワクチン注射を行う決心をしたのです。その結果、男の子は命を救われベッドの上ではしゃいでいたそうです。このニュースはヨーロッパ中に広まり、パスツールの所へ野良犬に噛まれた多くの人が押しかけました。1885年のことでした。

 現在では、狂犬病ワクチンは飼い犬には接種が義務付けられており、特殊な場合を除いて人に投与することはありません。しかし、これらの発見は今日の免疫学の基礎を築いていくことにつながっていきました。




高齢者の骨折をどのように予防するか
2012年12月 2日

 先日、「白内障の手術で高齢者の骨折リスクが低下」という話題をご紹介しました。若い人は転倒しても骨折を引き起こさないことが多いのに対して高齢者における骨折のほとんどは転倒が原因で起こっています。これは加齢に伴って骨の強度が低下してきているためであることは言うまでもありません。

 高齢者が転倒する危険因子として、転倒歴が挙げられています。つまり一度、転倒した人は再度転倒しやすいというのです。だからといって転倒を完全になくすことはできません。それでは、骨の強度が多少落ちていても、筋力を強化しておけばよいだろうということが考えられます。筋力が十分にあれば体を支えることができますから、転倒防止になることが想定されます。よく運動をしている高齢者は転倒・骨折の割合が低くなるだろうというのです。

 転倒予防教室が色々な所で実施されており、その主催者の報告では、参加した人の転倒は減少しているといいます。しかし本当にそうなのかどうかは不明です。なぜなら、転倒予防教室に参加するような人は運動しようとする意欲が高く、さまざまな日常生活に積極的であることから、初めから転倒の危険性は低いとも考えられます。

 それでは、歳をとっても骨の強度が落ないようにしてはどうか、ということが考えられます。カルシウムを多く摂取するとよいとよく言われますが、これだけではだめで、食べたカルシウムが胃腸で吸収され、骨の成分になるためには、脂肪に含まれるビタミンDを活性化する必要があります。そのために日光に当たったり運動することが重要になってきます。

 また骨の量が減ってしまう骨粗鬆症の治療薬の中には、骨折抑制効果が証明されているものがあり、このような薬を用いるのも一つの方法です。さらに、お尻を保護する装具(ヒップ・プロテクター)なども転倒・骨折を起こす危険性が高い高齢者には有効だということも報告されています。

 特に閉経後の女性は女性ホルモンの関係で骨の量が著しく減少します。一度は骨量を測定してみてはいかがでしょうか。


参考文献 小池達也:日本医事新報 2012462178-83.)



医療の歴史(18) 微生物学の夜明け
2012年11月27日

 1590年、ヤンセン親子により開発された顕微鏡は、急速な発達をとげ、生命体は細胞が集まって構成されていることや、レーウェンフックにより発見された微生物は何らかの病気を発生させてくるのではないかということが次第に明らかとなってきます(医療の歴史12参照)。しかし、18世紀まで、微生物などの生命は自然に発生するのではないかという説がありました。「汚い物からウジがわく」などという言葉はこれを物語っており、親はなくても自然に生まれる生物もいることが信じられていました。また食べ物が腐敗してくる原因は何らかの微生物のためだろうという推測はなされていましたが、その微生物は食べ物の中に自然に発生してくるのだろうと考えられていたのです。

 19世紀になって、この生物の自然発生説を否定するような色々な実験が行われました。その一つが肉汁の煮沸実験です。肉汁をそのまま放置しておくと腐敗してきます。この原因が肉汁の中に新たな微生物が発生したためかどうかを確かめるため、この肉汁を入れたガラス瓶(フラスコ)を一度煮沸して、ふたを密閉してしまうと腐敗しないという実験結果が発表されました。つまり煮沸することにより肉汁の中に存在する微生物を除去した後、密閉することにより外部から別の微生物が入らないような状態にしておくと肉汁は腐敗しないというものです。しかしこの実験結果には異論が唱えられました。煮沸して密閉すると外部の空気が入らないから、瓶のなかで微生物が生まれるための新しい空気が不足してしまった可能性はないのか?という疑問です。pasteur.jpg

 この疑問を見事に解決したのがルイ・パスツール(18221895)です。彼は鶴首フラスコと言われる実験器具を用いて、肉汁の煮沸実験を行いました。右の絵はその鶴首フラスコをもつパスツールです。フラスコの首を鶴のように伸ばして曲げておくと、空気は出入りするけれども微生物は混入しないようになっていました。その実験の結果、肉汁を煮沸した後、新しい空気が入る環境にしておいても、微生物が発生しないことが明らかになりました。つまり、生物の自然発生説が否定されたのです。

 パスツールのこの実験は、微生物学、細菌学の基礎を作り、その後の感染症克服に向けて医学の発展に大きく貢献する画期的なものでした。



COPDと口すぼめ呼吸
2012年11月19日
TH_TRED024.JPG

 1114日は「世界COPDデー」でした。COPDとは慢性閉塞性肺疾患のことで、肺を構成している肺胞が破壊され、気管支の慢性炎症が進行していく病気です。慢性閉塞性肺疾患の英語名称の頭文字をとってCOPD(シー・オー・ピー・ディー)と呼んでいます。以前は、肺気腫という病気と、慢性気管支炎という病気の二つに分けられていましたが、特徴が共通していることから、COPDという統一した病名になりました。「世界COPDデー」は、世界的にこの病気を知ってもらい、注意を喚起することを目的として設定されました。吹田でも市民病院を中心にさまざまなイベントが開催されました。

 COPDの特徴は、息を速くはき出すことができないことです。「息をどれだけ速くはき出すことができるか」を示すのが呼吸機能検査で「一秒率」という項目で、簡単にいうと、一秒間にどれだけ息をはけるか、を示したものです。この一秒率が低下した状態を閉塞性障害といい、この状態が慢性に進行してくるのが慢性閉塞性肺疾患、つまりCOPDです。原因は喫煙や有毒ガスの吸入などですが、長年の喫煙という乱れた生活習慣が病気を起こすことから、生活習慣病としてとらえられています。

 一方、口すぼめ呼吸は呼吸テクニックの一つで、口笛を吹くように口をすぼめて息をはくと、息をはく時間が長くなり、ゆっくりとした呼吸リズムになります。COPDの患者さんに対して行う呼吸リハビリテーションの一つですが、患者さんは誰からも指導を受けていなくても自然に口すぼめ呼吸が身についていることが多く見られます。口をすぼめてゆっくり息をはくと、呼吸が楽になると直感的に体感し、無意識のうちに口すぼめ呼吸をなさっているのです。

 健康な人でも、激しい運動後や、緊張した時などに無意識に口すぼめ呼吸となっていることがよくあります。理論的には普通の呼吸よりも呼吸への負担は大きいとも思われます。しかし、その代償を払ってもなお、口すぼめ呼吸の方が「呼吸が楽だ」と感じて行うことにより、呼吸困難という不安を緩和している可能性があると考えられています。

 なお、一秒率を調べる呼吸機能検査はスパイロメーターという機器を使います。当院でも必要に応じてこれを使用して検査を行っております。




甲状腺疾患と更年期障害
2012年11月11日

 女性ホルモンの低下によって、生理が止まるころから問題になる女性の更年期障害は、日常生活に支障をきたすようなものも含めて、さまざまな症状が発生します。一方で、甲状腺機能亢進症や甲状腺機能低下症などの甲状腺疾患は女性に多くみられ、しかも更年期に多発します。また具合の悪いことに、更年期症状と甲状腺疾患の症状が類似していることから、両者を鑑別診断することが時に必要となってきます。

 例えば「汗がよくでる」「動悸がする」「不眠」「しびれ」などの更年期症状は甲状腺機能亢進症で見られるものと同じです。また「頭痛」「手足が冷える」「めまい」などの更年期症状は甲状腺機能低下症の症状でもあります。このようなことから、更年期の症状と思っていた女性が、実は甲状腺疾患だったという可能性が無きにしも非らずということになるのです。そこでこれら類似の症状がある時、念のため甲状腺機能の検査をしてみることも必要かも知れません。

 甲状腺機能検査としては、甲状腺ホルモンの遊離サイロキシン(フリーT4)と、下垂体から分泌されて甲状腺ホルモン分泌を促進する甲状腺刺激ホルモン(TSH)の2項目を取りあえず検査します。甲状腺機能亢進症では、もちろんフリーT4は増加していますが、このフリーT4増加を抑制しようとしてTSHは低下していることが特徴です。甲状腺機能低下症では、逆にフリーT4は低下し、これを正常にしようとしてTSHは増加しています。下の図は以前にもご紹介しましたがこれらの関係を示したものです。T3T4.jpg

 もし異常が発見されたとき、さらに精密な検査を追加して診断を確定します。甲状腺機能亢進症の多くはバセドウ病と呼ばれる疾患であり、甲状腺機能低下症は橋本病と呼ばれる慢性甲状腺炎であることがよく見られます。

 末廣医院では甲状腺疾患を専門として診療していますので、もし気になることがあればご相談下さい。



白内障手術で高齢者の骨折リスクが低下
2012年11月 7日

 白内障は年齢を重ねるに伴って増加してくる病気です。カメラでいうとレンズにあたる眼の水晶体が白濁してくるため、周りの物を見ても白くかすんだようになります。最近では、白内障の治療は白く濁った水晶体を摘出して、人工眼内レンズを挿入する手術が行われています。この手術は外来でもできるような手軽なものである上、手術によって術前とは全く違う明るい視野が広がり、手術を受けたほとんどの人は「やってよかった」とおっしゃいます。

Fx.jpg 一方、高齢者になると転倒のリスクが高くなります。この要因として、年齢を重ねるとともに足腰が弱ってくるということ以外に、視力の障害が強く関連しており、中でも白内障は転倒の原因として最も多いものの一つとされています。転倒すると骨粗鬆症など骨が弱っていることもあり、骨折の頻度が高くなります。同じ骨折でも、肋骨が折れたような場合などは、ほとんどは固定して安静にしていると自然に治ってくるようなものもあります。しかし「大腿骨頚部骨折」は最も重大で、太ももの中にある大腿骨という太い骨と骨盤との関節をつないでいる球状の部分の付け根が折れてしまうものです。(右の図)この骨折を起こすと、足がぐらぐらになって歩行することができません。ギプスなどで固定しても治らないので、歩くためには整形外科的に手術をすることが絶対に必要になります。

 この程、米国のブラウン大学の研究者が、「白内障手術で高齢者の大腿骨頚部骨折リスクが低下」という論文を発表しました。(JAMA 2012: 308: 493-501)これによると米国で65歳以上の白内障患者の5%に当たる1113640人の人を対象として調査したところ、41809人(36.9%)が白内障手術を受けていました。手術後1年間と、手術を受けていない人は白内障と診断されてから1年間の大腿骨頚部骨折発生率を比較した結果、手術を受けた人の大腿骨頚部骨折リスクは、手術していない人より16%も少ないことが判りました。さらに白内障でも重症の人に限って調べるとさらにこの傾向は強く、23%のリスク低下があったということです。

 白内障の手術と骨折の手術を比べると、はるかに白内障手術の方が手軽で、医療費も格安です。白内障手術は視力改善だけでなく、高齢者の骨折を減少させる上で費用効果の高いものであることが示唆される報告だと思います。




90歳以上でも運動すれば認知症になりにくい
2012年10月26日

 これまでにご紹介しているように日本は超高齢社会です。高齢者における病気の発症要因を調べることは重要ですが、多くの高齢者を調査対象とした臨床成績の報告は多くありません。

 この度、アメリカのカリフォルニア大学アーバイン校の研究者らが、90歳以上の超高齢者における運動機能と認知症の関係を調べて報告しました。

physical.jpg この調査研究は、2003年から2009年の期間で90歳以上の地域住民を対象として、神経の異常、運動機能、心理学的テストなどを半年間隔で行いました。対象となったのは90歳以上の847人でしたが、途中で脱落した人などを除いた639人について結果が解析されました。平均年齢は94歳でこのうち女性は72.5%、100歳以上の人が31例含まれていました。

 研究方法は、運動機能として、4 m歩行試験、イスからの立ち上がり動作、10秒間静止立位バランスなどを調べ、認知症の診断は  DSM-Ⅳという公式の診断基準を用いて評価しました。

 その結果、調査された運動機能のすべてが認知症発症と関連することが判りました。このうちでも特に、認知症との関連性が最も強かったのは4 m歩行試験で、運動機能が下がれば下がるほど認知症発症の危険度が高いことが明らかになりました。(右の図)

 この研究報告は、多数の超高齢者を対象として、年月をかけて調査されたものとして、医学的に大変有用なものです。そしてその結果は、歳をとっても、できるだけ体を動かしている方が認知症になりにくいことを示すものであると思われます。



医療の歴史(17) 病理解剖学の確立
2012年10月14日

 人体解剖には、医学・医療を学ぶ学生たちが人体の構造を理解するために実習する「解剖学」、原因不明で突然死した人の死因を解明するために行う「司法解剖」あるいは「法医解剖」、さらにある疾患の治療中であった人が不幸にも死の転機をとられたとき、生前に診断・治療を受けていたことの妥当性を調べる「病理解剖」などがあります。このうち「病理解剖」は医学の発展自体に必要不可欠で、これによりさまざまな疾患の原因や病態が解明されてきました。病理解剖することによMorgagni.jpgり生前、臨床医の医療が適切であったかどうかを調査することにもつながり「剖検」とも言われています。この「病理解剖学」を確立させたのが、18世紀イタリアの解剖学者のジョバンニ・バチスタ・モルガーニ(16821771)です。

 18世紀は、医療の歴史(16)でご紹介したオランダのブールハーヴェが医学界の最高峰として注目されていた頃です。モルガーニはひとりコツコツと多くの疾患で亡くなった人の解剖を続け、生前の病状と解剖の所見を詳しく比較検討し、疾患の病態解明をしていったのです。そして1761年、モルガーニが79歳という高齢になったとき、「解剖によって明らかにされた病気の座と原因」と題する18世紀で最も傑出した医学書を著しました。この本は実際のあらゆる疾患について記されており、ある病気は決まった場所に決まった病変として現れることをつきつめています。例えば、脳卒中という病気は、脳の血管が断裂して出血を起こしたか、脳の血管が閉塞して脳細胞が酸素欠乏に陥って発症することはご存知でしょう。これについてモルガーニは、脳卒中はそれまで考えられていたように脳が損傷されるだけでなく、血管が障害されて起こることを初めて述べています。さらに脳卒中による片麻痺(半身不随)の神経症状は損傷を受けた側ではなく、反対側に生じることを明らかにしました。

この本の中でモルガーニは、これまで医療の歴史で紹介してきた物理学的医学、化学的医学、さらにブールハーヴェのような折衷的理論のように、病気の発生がどのような理論的原因で起こるのかについては一切触れていません。ただ単に、臨床症状と解剖所見の事実だけを淡々と記載しているのです。このように、事実だけを述べることは学問的に重要で、医学・医療には注意深い観察が必要であることを説いています。これがその後、臨床医学の世界に受け継がれて、医学という学問を「実証的科学的医学」へと導いていったのでした。



iPS細胞とノーベル賞
2012年10月 9日

 人工多能性幹細胞(iPS細胞)を創出した功績で京都大学の山中伸弥先生がノーベル医学・生理学賞を受賞することが発表されたのはご存知の通りです。大変おめでたいことで、日本人の誇りだと思います。

山中先生がiPS細胞を創られるまでにも、さまざまな体の組織に分化する幹細胞は胚性幹細胞(ES細胞)の研究が行われていました。しかしこのES細胞を作るために受精卵が用いることから生命の原点を使うという倫理的な問題が大きく立ちはだかっていました。それに対してiPS細胞は人の皮膚組織などから作られたもので、ES細胞のような問題も生じません。

 これまでノーベル賞といえば、何十年も前の研究業績などが評価されて受賞するということが多かったのですが、山中先生がマウスでiPS細胞を作ったと発表したのが2006年、人の細胞からiPS細胞を作ったのが2007年ですから、最初の研究成果から56年でノーベル賞を受賞することになりました。異例の速さだと思います。

 ただこの受賞が発表された108日来のマスコミ報道を見ていて、少しだけ気になったことがあります。iPS細胞は再生医療や難病の病態解明、新しい治療法の開発に大変有用であることは事実ですが、これらの新しい医療が今すぐにできるわけではありません。実際の患者さんに対してiPS細胞を用いた医療技術が使用されるようになるには、これから先に長い道程があることが忘れられているようにも感じました。

 それにしても、この受賞は日本人にとって、また山中先生の地元の大阪府民にとっても、大変誇らしいことです。医療のさらなる発展のためにも、この研究が益々発展することを祈念致します。



医療の歴史(16) 新しい医学教育の始まり
2012年10月 7日

 日本で一人前の臨床医になるためには、医学部6年間を卒業後、医師国家試験に合格し、さらに医師として2年間の研修(研修医)が必要です。医学部の低学年では教養教育や基礎医学の教育を受けます。そのあと実際の医療を学ぶ臨床医学教育が始まると、座学として講義を受けることは当然ですが、それ以上に実際に医療を受けていらっしゃる患者さんから学ぶ「ベッドサイド教育」が大切になります。特に近年、この臨床医学教育が重要視され、研修医の期間中でも、内科系だけでなく外科系の研修を受けることが推奨されています。

Boerhaave.jpg この「ベッドサイド教育」の基本を最初に始めたのが、オランダにあるライデン大学教授であったヘルマン・ブールハーヴェ(16681738)という人です。それまで医学の考え方は、医療の歴史(10)でご紹介したパラケルススに始まる化学的医学と、同じく医療の歴史(14)でご紹介したサントリオを筆頭とする物理学的医学の2派閥がありました。18世紀に入り、この両者の考え方を取り入れた「折衷派」という新しい流れが生まれてきましたが、それを代表する医師がブールハーヴェでした。ライデン大学での彼の講義は物理、化学のいずれにも偏らず、ときには化学的に、そしてある時は物理学的に説明を加えて学生に医学を教えたのです。その講義が大変判りやすかったため、ヨーロッパ中から多くの学生が集まりました。

またブールハーヴェは、ライデンにある公立病院に学生たちを連れて行き、患者さんの病態を示しながら医学教育をしました。毎日医学生たちと一人一人の患者さんの記録を調べ、回診したのです。彼は医学生たちに「患者さん」が最も優れた教師であることを示したのでした。これが「ベッドサイド教育」の始まりで、書物による座学と違い、実際の病気を観ることによって医学生たちは生きた医学教育を受け一人前の臨床医に育って行きました。

 ブールハーヴェは独創的な研究をしていたのではありませんでしたが、高潔で魅力ある人を持った優れた医学教育者であり、また18世紀で最も高名な医師であったとされています。



定期的な体のチェックが大切
2012年9月25日

 英国のガン患者は4人のうち1人が、症状が悪化してから救急で病院に運ばれ、そこで初めてガンと診断され、大半の人が数週間以内に死亡しているという調査結果を研究機関がまとめた、と英国の新聞タイムズ誌が報じたそうです。この調査は2006年~2008年のガン患者約75万人について、どのようにガンの診断を受けたか、さかのぼって調べたものです。特に高齢の人では、このように救急で初めてガンと診断されたケースが全体の3分の1を占めているとのことです。

 この調査結果は、日本では考えられない全く驚くべきものです。日本では定期健康診断が一般に行われており、これによって何らかの異常が検出されて、精密検査をすると「ガンが発見された」となります。しかし英国ではこのような健康診断の制度が一般に広がっていないそうで、またイギリス人の多くは、医療機関を受診したがらないことも一つの原因だとのことです。英国の医療制度では、患者さんが専門病院を直接受診することはできず、その病院に登録している家庭医(かかりつけ医)が紹介するのが原則になっているようです。日本では、ある人が何らかの体調変化を感じたとき、かかりつけ医がいれば、そのことを話して何らかの検査を受けることもできます。

 こう申し上げますと、「日本ではガンに対して常に早期発見・早期治療ができている」と思われるかも知れません。それでは、毎年かかさず定期健康診断を受診していたら、あるいは家庭医が細心の注意を払って定期的にガンの検査を行っていたら、ガンが進行してしまった状態で診断されることは絶対ないのでしょうか。残念ながら健康診断の疾患発見率は100%とはならず、一部の健康診断受診者ではガンが発見されないことも可能性としてはあります。しかし定期健康診断を受診していれば、少なくとも英国のように救急搬送されるほど症状が悪化して初めてガンが発見されることはないでしょう。また、もしそのような事があったとしても、その発生率は少なくとも英国のように4人に1人というほど高率ではないと言うことができます。

 生きている人間の体のことですから「完全に、完璧に」は不可能ですが、ガンの早期発見という点では、健康診断の受診など「できる範囲内で」定期的に体のチェックをしておくことが、後になって後悔しない唯一の手段ではないでしょうか。



規則正しい生活が長寿の秘訣
2012年9月24日

 先日、敬老の日を前にした報道によると、長寿世界一、国内最高齢の人は京都府在住の男性で、115歳だそうです。一日3度の食事を欠かさず、「小食で、腹八分目」を心がけていらっしゃるそうです。また毎朝7時過ぎに起床し、午後7時半ごろには就寝する毎日で、新聞を読んだりテレビを見たり規則正しい生活をおくっていらっしゃるとのことです。食事や睡眠を始めとした生活習慣を規則正しくすることが、健康を保つために最も重要であることを改めて認識させられます。

 またこれもご存知の通り、厚生労働省の発表で、日本人の百寿者つまり百歳以上の人は5万人をこえたことが明らかとなりました。調査を始めた今からおよそ50年前の1963年には153人だったそうですが、1998年に1万人をこえ、その後、急速に増加してきたことになります。人口10万人当たりの100歳以上の人数を都道府県別にみると、高知県(78.50)、島根県(77.81)、山口県(67.27)の順で、2009年まで37年連続第一位だった沖縄県は62.88人で第5位になっています。逆に最も100歳以上が少ないのは埼玉県(23.09)だそうです。

 ところで沖縄県については、1990年頃までは都道府県別の平均寿命が、連続して全国第一位で、世界に冠たる長寿地域として知られていました。ところが、その後、急速に平均寿命は短くなり20位以下になってしまったことから、のちに「沖縄クライシス」と呼ばれる現象を引き起こしたのです。この原因は何かというと、ハンバーガーなどのファーストフードが入ってきたのは、駐留米軍などの影響で、沖縄県が最も早く、その結果、肥満の人が増え、動脈硬化に関連する病気が増加したことによるのだとされていました。しかし実際は、沖縄県の平均寿命短縮は、15歳~45歳の人の死亡率が増加したことによるといいます。死因としては、自殺や肝疾患が最も多いそうです。つまり失業率の増加など社会情勢も大きく関連しているということで、「沖縄クライシス」現象は、必ずしも生活習慣の変化が原因で、高齢者の数が減っているのではないようです。

 それはさておき、乱れた生活習慣を続けていると、将来的に「生活習慣病」関連の疾患が原因で寿命に大きな影響を及ぼしてくることは言うまでもありません。いろいろな問題を抱える昨今ですが、できれば「規則正しく」平穏な生活を続けて行きたいものです。



医療の歴史(15) 内科診察法の進歩
2012年9月17日

 前回、体温計や体重計といった診療の基本情報にかかせない機器の開発をご紹介しました。さらに最近の医学・医療は新しい医療機器の発達で、精密に病気の診断ができるようになってきました。

しかし内科の診察で基本となるのは古来の4つの診察手技です。それは、①視診、②触診、③打診、④聴診 の4つで、体の不調を訴えて医院を受診された方だけではなく、健康診断の内科診察でも必ず行う診察法です。

 ①視診については言うまでもなく、診察室へ入って来られた方の顔色を見たり、歩き方や仕草などの他、何か体の表面に色調などの異常がないかを眼で見て診察を始めることです。②触診も当然のことですが、体の表面から触ってみることによって何らかの病気がないか想像をつけることで腹部の診察では必ず用いる手技です。

 ③打診。これは体の表面から軽く叩いて、体の中に異常がないか調べることですが、内科診察法である他、一般的な言葉として、交渉事などで事前に「様子を探る」という意味に使われたりもします。内科診察では体の表面に手を当てて、その中指をもう一方の中指でトントンと叩いて体の中にでき物などがないか、などを調べます。さらに④聴診は言うまでもなく、聴診器を用いて、心臓の音や呼吸音、腹部の腸音や血管雑音などを聞いて診断をつけていく方法です。

Auenbrugger.jpg 医療の歴史でみると、これらのうち打診法と聴診法が相次いで開発されたのは、1800年前後のことでした。打診法を発明したのはレオポルド・アウエンブルッガー (17221809)というオーストリアの医師です(右の図)。アウエンブルッガーの実家は、グラーツという所で旅館をしていました。旅館の外には宿泊客に提供するワインの樽がいくつもあったのですが、そのワイン樽の外側を叩いて、中にワインがどれだけ入っているか調べていたのを見て打診法を見つけたと言われています。ワインがいっぱい入っていると叩いたときドンドンと音があまり響きませんが(これを濁音といいます)、ワインが空になるとトントンと太鼓のように響きます(鼓音)。人の体を軽く叩いてみることで、内側にでき物があったり、肺に水が溜まっていたりする部分は濁音になります。正常の肺は空気が多く含まれていますから鼓音になるのです。心臓の上を叩くと、心臓は筋肉のかたまりの中に血液が満たされた状態ですから濁音になります。もし心臓肥大があると濁音の範囲が広くなることから、打診法でこれを発見することができます。これらのことが正しいかどうかをアウエンブルッガーは亡くなった人を解剖し、体の中の状態と打診所見を比較して確認したといいます。現在では、そんな事をしなくてもレントゲン写真を撮ればすぐ判るというものですが、内科診察法の基本であることに変わりはありません。

Laennec.jpg 聴診法を開発したのは、ルネ・ラエンネック (17811826)というフランス人医師です。ラエンネックが、ある太った女性の胸に耳を当てて呼吸音を聴こうとしましたが、聴き取りにくかったので、ノートを丸めて胸に当ててみました。すると直接、耳を胸に当てるよりはるかによく呼吸音が聞こえたのです。これが聴診器を発明するきっかけとなりました。そして木製の聴診器を作り、それにより得た呼吸音などの所見と解剖所見を比較検討して、病気の症候と病態の関係を次々に明らかにして行きました。しかしこの診察法が一般に定着するまでに50年ぐらいかかったということです。当時は患者さんを裸にして診察する習慣もなかったからだと言われています。

 ところで、これら打診法や聴診法の開発は、医療者と患者さんの関係に微妙な変化を生みました。それまでは病気の診察に当たって入手できる情報は、患者さんの訴えることがほとんどで、医療者は患者さんの話をよく聴かないと診療ができませんでした。しかし打診や聴診を用いることにより、医療者は自分から患者さんの病気についての情報を収集することができるようになったのです。そうすると、患者さんの訴えと関係なく、つまり聴く耳を持たないで、病気の診断が行われてしまうという誤った状態も発生してくることになります。これを元に戻して良好な関係を築いて行くために、また少し時間がかかることにもなってしまいました。



睡眠時無呼吸症候群と高血圧
2012年9月 9日

 728日付の「医療あれこれ」で、「睡眠時無呼吸症候群」をご紹介しました。その中で、「睡眠時無呼吸症候群」は心臓・血管などの合併症を引き起こすことを説明したしたが、このたび、欧米のいくつかの大規模臨床試験で、「睡眠時無呼吸症候群」は高血圧症発症の明らかな原因であることが証明されました。

TH_TREE024.JPG ほとんどの高血圧症は、明らかな原因となる疾患がない「本態性高血圧」です。「本態性高血圧」は原因不明ではなくて、もともと血圧が高くなる遺伝的な素因があって、そこへ塩分の多い食事を食べたり、運動不足・精神的ストレスなど乱れた生活習慣が高血圧を発症させるというもので、典型的な生活習慣病です。血のつながりがある親・兄弟に高血圧で治療中の人がいる場合、生活習慣を正していかないと高血圧になってしまいます。

 「本態性高血圧」とは別に、ごく一部の高血圧ですが、「二次性高血圧」があります。これは明らかな原因となる疾患があり、高血圧を発症するものです。例えば、血圧を上げるホルモンが多くなる内分泌疾患があります。このうち「原発性アルドステロン症」は、副腎皮質というホルモンを生成する臓器からアルドステロンという血圧上昇作用があるホルモンが分泌されておこりますし、「クッシング症候群」という疾患は同じく副腎皮質ホルモンのコルチゾール分泌が過剰になって高血圧となります。また腎臓の病気や、腎臓へ血液を送っている腎動脈が細くなっているような場合にも高血圧をおこしてきます。「腎性高血圧」「腎血管性高血圧」と呼ばれます。これらは、高血圧症と言われている人のごく一部の場合ですが、原因疾患があって、そこから二次的に高血圧となりますので「二次性高血圧」と呼ばれています。「二次性高血圧」は原因となっている疾患の治療ができれば高血圧はよくなります。

 さて「睡眠時無呼吸症候群」は以前にご説明しましたように明らかな病気です。今まで明らかな原因疾患がない「本態性高血圧」と診断されていた人の中にも睡眠検査を行ってみるとかなりの確率で「睡眠時無呼吸」があることも報告されていました。これはしかし、肥満が原因で高血圧となり、一方で肥満が原因で睡眠時無呼吸となっているだけにすぎないとする意見がありました。つまり睡眠不足という生活習慣の乱れで高血圧になっているという考えでした。しかし今回の大規模臨床試験研究は、「そうではない。睡眠時無呼吸症候群は明らかな高血圧の原因疾患である。」ことを証明したのです。そこでアメリカの高血圧合同委員会は「二次性高血圧」の原因疾患に「睡眠時無呼吸症候群」を新たに付け加えました。

 728日付でご紹介したように「睡眠時無呼吸症候群」と診断されると、必要に応じてCPAP治療を行います。そうすると高血圧は改善したという報告がされています。ということになると血圧を下げるお薬が要らなくなる、あるいは服用する量を減らすことができると思われます。



日本は超高齢社会
2012年8月29日

 現在の日本は高齢者の数が増え、新しく生まれる子の数が減っていることが問題で、「少子高齢化」という言葉が使われています。その結果、今の日本は「高齢化社会なのだ」と思っている方が多いのではないでしょうか。

高齢者がどれだけ多くなってきているのか、ということを統計学で見るとき「高齢化率」という割合を使って検討されます。「高齢化率」とは65歳以上の人が総人口にしめる割合のことで、これが、7%を超えると「高齢化社会」ということになります。しかし老年医学的にはまだ先があって、14%を超えると「高齢社会」、21%を超えると「超高齢社会」といいます

over.jpg右の図をご覧下さい。これは日本における65歳以上の高齢者の割合、つまり「高齢化率」の年次推移を1980年から2010年まで示したもので、総務省の統計資料をグラフにしたものです。ご覧になって明らかなように、1980年時点ですでに7%を超えて「高齢化社会」になっています。これ以前のデータは示していませんが、1970年に7%を超えて「高齢化社会」になっていました。それどころか、1994年で14%を超えて「高齢社会」となり、2007年にはついに21%を超え「超高齢社会」に突入してしまいました。つまり「高齢化社会」は40年以上昔の話で、現在の日本は「超高齢社会」なのです。

今後いったいどうなって行くのでしょうか。ある推計によると、少子化の影響で総人口は減り、高齢化率はさらに上昇し続けると言われています。38年後の2050年には35.7%とされています。日本人の3人に1人が65歳以上の高齢者となり、まさに「超超高齢社会」になってしまうそうです。

また先ごろ発表された厚生労働省の推計では、現在の認知症高齢者は300万人を突破したということです。これは2002年の149万人から10年間で倍増したことになります。これに対して、2013年度から実施予定の政府の認知症施策では、看護師や作業療法士でつくる専門家チームが認知症と思われる高齢者宅を訪問し、早期の医療支援に当たる、としています。認知症の診断を実施する医療センター数の目標値を盛り込み、市町村の介護計画や医療計画に反映させる考えのようです。

  ともあれ、私たち医療者の仕事は、在宅医療という生活の場で命と生活を支える医療が根付き、地域で専門職が協同して、最期の時間を支えていくことです。命を大切にする文化を根付かせ、成熟した市民社会を築いていくことが最大の使命だと考えています。

医療の歴史(14)物理学との融合~サントリオ
2012年8月25日

 現在の医療で最も基本的で簡単な検査項目は、体温や体重の変化を見ることです。これらは今当たり前のように体温計や体重計が使えるからですが、医療の歴史上、初めて体温計や体重計を作ったのは中世イタリアの医師で、サントロ・サントーリュ(15611636)という人で、一般的にサントリオと呼ばれています。医療の歴史(9)でもご紹介したイタリアのパドヴァ大学において地動説で有名なガリレオ・ガリレイの同僚でした。

santorio2.jpg 温度が上がると空気が膨張することを利用した温度計はそのガリレオがすでに考案していたのですが、サントリオはそれをそのまま体温計に応用しただけのものです。曲がったガラス管を水の入った容器にたて、ガラス管のもう一方の端についているガラス球を口に加えると、ガラス球やガラス管の中の空気が体温によって膨張し、水を押し下げます。ガラス管に「適当に」目盛りをつけておき、水位の変化で体温を見るというものでした(右の図)。温度自体がいい加減なもので、現在のように、お湯が沸騰するのが100℃、水が凍るのが0℃というように絶対的な基準も何もなかったみたいです。しかし人の体の状態を客観的なデータとして初めてとらえたという画期的な試みであったことには間違いありません。

Santorio.jpg もう一つ、サントリオが作って生理学の実験をしたのが体重計です。自分自身がその体重計の上で生活をしました(左の図)。つまり食事や排尿、排便も含めた日常の生活を大きなハカリの上で過ごしたのでした。何を研究したかったのかというと、食べたものや飲んだものがそのまま排泄されると体重は変化しないはずですが、本当にそうなのかどうかということです。その結果判ったことは、食べたものや飲んだものの重さより、排泄物の重さがはるかに少ないということでした。つまり「口から入ったものの一部は知らない間にどこかへ消えてしまっている」ということです。これが、現在で言う「不感蒸泄」や「基礎代謝」というもので、人の水分は気がつかない間に汗となって蒸発してしまうことや、栄養分が体の中で代謝されるという事実です。これらの現代生理学の基本となる現象を初めて証明したのでした。

 サントリオの業績は大げさに言うと「医学研究に初めて物理学を応用した」ということになります。歴史上の知名度から言うと、同僚だったガリレオよりはるかに知られていないサントリオですが、医学・医療が発達する歴史の中で、彼の功績は多大なものであったと思います。




世界の健康度ランクで日本は第5位
2012年8月15日
map.jpg

 アメリカの大手総合情報サービス会社ブルームバーグが発表した「世界で最も健康な国々」ランキングで、日本は第5位でした。このランキングは幼児の平均寿命や成人の喫煙率など健康に関する各種指標を基にしたものです。実際に用いられたデータは国連、世界保健機関(WHO)および世界銀行の本年5月時点のもので、年齢グループ別の死亡率、喫煙率、飲酒率、血中コレステロール値、大気汚染レベルなどを組み合わせ、ブルームバーグが独自に点数化して比較しています。様々な事情により十分なデータが得られない国は除外されています。

 第1位はシンガポール、第2位はイタリア、第3位オーストラリア、第4位スイスの順で日本はこれらの国々に続いて第5位となっています。おおむね上位を占めるのが欧米諸国で、下位にアフリカ諸国が目立つ傾向にありますが、アメリカが第33位と先進国のなかでは低順位にとどまっています。その他、韓国は第29位、中国は第55位でした。ちなみに最下位の第145位はアフリカ南部のスワジランドという国でした。

 第1位になったシンガポールは世界でも最高水準といわれる医療システムを持ち、誰もが安心して受信できるような安価な診療費の設定と医療サービスの維持が考慮されています。また喫煙率もおおむね15%以下でこれらを考え合わせると第1位になったのも納得できるかも知れません。

 アメリカの第33位は、喫煙率などは高くないものの肥満大国と言われるように、いわゆる「メタボ」の人が多かったり、生活レベルによっては総合的に見た健康度には問題がある部分もあるようです。中国も同様で、地域によっては衛生状態が必ずしもよくない所があることから下位にランクされているのだと思います。

 ところで日本たばこ産業が発表した2012年のわが国の喫煙率は前年より0.6ポイント下がって21.1%だったそうです。健康意識の高まりやタバコ増税による10年の値上げなどの影響で17年連続で低下しています。政府は今後10年間で喫煙率を12%にまで下げる目標を掲げています。喫煙者には申し訳ないですが、喫煙はあらゆる病気の原因となりますので、一度は禁煙を試みられてはいかがですか。タバコ代の節約になりますし、なにより健康度をアップさせる第一の要因です。




医療の歴史 (13) 外科医パレ
2012年8月15日
Pare.jpg

 医療の歴史(11)床屋外科でふれたように、古代から外科医は、医療者というより、刃物を使い人の体に傷をつけて血をあびて仕事をする人として卑しめられ不当に低い身分に見られていました。大学の外科学教授は学生に外科の講義はしますが、自ら刃物を持って手術をすることはなかったそうです。手術は医学に関する教養がない助手に実技をさせ、それを学生に見せるだけの存在でした。それが16世紀になるとそれが少しずつ変わり始めたのでした。この時、大きな功績を残したのがアンブロアズ・パレです。

パレは1510年フランス北西部のブルターニュ地方に生まれ、フランスに出て「床屋外科」に奉公します。大変な努力家で修業を積み腕をみがいたパレは、1537年フランス国軍のモントジャン将軍の軍医に抜擢されます。そして北イタリアの戦地に従軍して負傷兵の手当を行ったのです。その頃の戦争は、以前のように刀で斬りつけ合うのではなく、銃火器という新兵器が主力を占めるようになっていました。銃で撃たれた傷は刀で切られた傷口より大きくすぐに化膿していったのですが、それは火薬に含まれる「毒」のせいだと考えられていました。そこで銃創の治療は、火薬の毒を取り除くため、焼きゴテで焼いたり、煮えたぎる油をかけたりするのが当時の治療法でした。痛み止めなどない時代ですから、銃創を負った兵士はその恐ろしい治療の痛みと苦しみのため七転八倒したのでした。しかし傷口は治るどころかどんどん悪化していきました。

 ある時、パレはその銃創治療に使う油の手持ちを切らしてしまいました。しかし負傷兵はどんどん運び込まれてきます。困ったパレは、油の代わりに卵黄と油をまぜて軟膏を作り、負傷兵の傷口に塗ったのです。すると兵士の傷の痛みは軽く、腫れもひどくなく、いままでの治療では考えられないほど快復していったのです。いままでの治療は、負傷兵を痛めつけるだけで効果はない、軟膏による治療がよいことを知ったパレはその後、「銃創の処置法について」という医学書を著します。

 その頃、パリ大学の解剖学教授であったシルヴィウスは、パレの外科医としての実力を認め、解剖学を教えたのです。それまで基礎的な医学知識がなかったパレは、人体について学び医学者として実力を発揮することになるのです。さまざまな手術法の開発の他、包帯法の改良、義足など装具の開発など外科学にとって多大な功績を残したパレは、最終的にフランス国王シャルルの主席外科医という地位に登りつめたのでした。

このように外科学の地位はパレの昇進とともに徐々に上がっていきました。しかし本当に外科医が内科医と対等な立場になるのは、19世紀になってからのことです。19世紀に外科が画期的に発展するのはどのような事がきっかけになったのでしょうか。




睡眠時無呼吸症候群
2012年7月28日
ts1_seikatsu03.jpg

 睡眠時無呼吸症候群は、一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上呼吸をしない状態が、30回以上ある、または睡眠1時間あたりの無呼吸が5回以上ある病気です。「いびき」をかくことが多く、十分な睡眠ができていないことから、「ぐっすり眠った感じがしない」と感じたり、昼間に眠気をもよおすことが多いなどの症状があります。

 睡眠時無呼吸がマスコミなどで初めて注目されたのは、20032月の新幹線運転手の居眠り運転だったことはご存知の方も多いでしょう。乗客800人を乗せ、時速270 kmで走行中の山陽新幹線の運転手が眠り込んでしまい、岡山駅を通り過ぎようとしたのです。この時は、自動列車停止装置が作動して、自動的にブレーキがかかり、けが人などはありませんでした。そしてその居眠り運転手さんを調べたところ、睡眠時無呼吸症候群で夜間に十分な睡眠ができていなかったことが判ったのです。

 睡眠時無呼吸の原因の一つとして肥満があり、喉など気道が狭くなっていることが多いので生活習慣病と密接に関連しています。また逆に、睡眠障害は心筋梗塞など重大な心臓・血管の病気の原因になります。そこで、夜間に呼吸が止まっている、よく「いびき」をかくなど、睡眠時無呼吸の疑いのある人は、しっかりと診断をつけて適切な治療をしておくことが必要です。

 診断としては、基本的には、無呼吸の専門外来がある病院へ一泊入院して夜間の睡眠状態を検査します。軽症の場合では治療は、生活習慣の改善、体重減少を心がけることから始まります。アルコールを多く飲む人は睡眠時無呼吸になりやすいことから、晩酌を減らすことも重要です。

 中等症~重症では、専門的な治療が必要になります。第一選択の治療法として、持続的陽圧換気治療(CPAP療法)があります。鼻マスクを装着して睡眠し、空気(酸素だけではありません)を一定圧で送り込み、睡眠中に喉の筋肉がゆるんで閉塞してしまうのを防ぎます。このCPAP療法により翌日から早速、昼間の眠気がなくなるなど明らかな結果がでる人もいます。しかし逆に、最初はマスクを着けて寝ることへの違和感など、慣れるのに時間がかかる人もあります。報告されているデータではCPAP療法を継続できる人は5080%と言われていますが、継続できれば、心臓・血管などの合併症が明らかに抑制されるとされています。

 そこで、いかにしてCPAP療法を続けてもらうかが問題となります。CPAPの機器に、使用回数や使用時間が記録されるICカードが付いているものが開発されるなど、できるだけ継続して使用してもらえるような工夫はなされています。また続けて受信しやすい環境をつくることや、専門医とかかりつけ医の連携なども必要になると言われています。




ロコモティブ・シンドローム
2012年7月19日
TH_LIFC001.JPG

 ロコモティブ・シンドロームとは日本語で言うと運動器症候群。手足の機能不全などによる運動器の障害により、介護が必要になる危険度が高い状態になることです。2007年に日本整形外科学会が新たに提唱した概念です。メタボリック・シンドロームが心臓や血管などの病気で要介護になるのに対して、ロコモーディブ・シンドロームは運動器の障害が原因で寝たきりになり要介護状態におちいります。「メタボ」に対して「ロコモ」というわけです。

 ロコモティブ・シンドロームの原因としては、大きく分けて2つのことが考えられます。第1番に、運動器自体の病気がある場合で、例えば変形性膝関節症で膝の痛みがあって体を動かしにくい、あるいは関節リウマチで多くの関節の痛みや変形があり体を動かしにくい、などさまざまな病態が含まれます。2番目の原因は、病気ではなく、年齢を重ねることによって筋力低下や身体を動かす速度が遅くなることです。2番目の場合、たとえ病気ではなくても、体のバランスを崩して転倒しやすい状態で、骨折をおこす原因となってしまいます。

 現在の日本では寿命が延び、いかに健康に老後の生活を送ることができるかが問題となっていますが、日常の生活動作がロコモティブ・シンドロームが原因で制限されると、生活の中で自立度が低下してしまいます。日本整形外科学会では、次の7つの項目のうち、ひとつでも当てはまれば「ロコモ」である心配があるとしています。

            1. 片脚立ちで靴下がはけない

            2. 家のなかでつまずいたり滑ったりする

            3. 階段を上がるのに手すりが必要である

            4. 横断歩道を青信号で渡りきれない

            5. 15分くらい続けて歩けない

            6. 2 kg程度の買い物をして持ち帰るのが困難である

            7. 家のやや重い仕事が困難である

 いかがですか?思いあたることがあれば、ロコモーション・トレーニングを始めるべきだと日本整形外科学会は説明しています。片脚立ちを左右1分間づつ13回行う。椅子に腰かけるように、お尻をゆっくり下ろして立ち上がる動作(スクワット)を56回繰り返す。そのほかラジオ体操やウォーキングをするなどの運動が推奨されています。

(日本整形外科学会のホームページに詳しく説明されています)




久山町研究
2012年7月17日

 福岡県のほぼ中央部、福岡市に隣接した場所で、周囲を山に囲まれた緑豊かな久山町ところがあります。久山町研究とは、九州大学医学部第二内科が、脳出血の原因を究明するため、町民の人全員を対象として臨床研究をし、多くの優れた成果を発表しているものです。

 臨床医学は、理屈では解っていても本当にそれが事実なのかを調べるためには、同じ条件で生活する人たちを対象とした臨床研究が不可欠です。久山町研究は日本においてしっかりとした方法論で成果を挙げている最も有名な臨床研究の一つです。

 1961年にこの研究は始まりましたので、50年経過したことになります。1950年代、1960年代当時は脳卒中は日本人の死因で第一位でした。(612日付けで公開した医療あれこれ「肺炎が死因の第三位んになりました」の記事に厚生労働省が発表している死因の年次推移のグラフを示してありますので、参照してください。)昔は、「脳出血をおこした人は動かしたら危険だ。救急車で病院に運んでもいけない」といわれており、1961年もこんな時代でした。

今のように頭蓋骨の中を輪切りの写真で観察するCTスキャンやMRIがなかった時代ですから、脳出血と診断を確定するためには、患者さんが亡くなった後、死因を調べるための解剖(剖検といいます)をして、生前できなかった確定診断を行ったのです。

 何が原因で脳出血がおきるのかを調べたところ、高血圧が最も関連が深い危険因子であることが判りました。理屈から考えるとこれは当たり前のことのように思えますが、50年前は、今では当たり前の「血圧を測定する」という習慣もなかったそうです。そこで高血圧の治療を徹底して行うと、脳出血は減少する結果が得られ、今では当たり前の事実が証明されたのです。

 その後、高血圧治療は続けられましたが、1980年代の後半になると、脳卒中の発生頻度は減少しなくなりました。九州大学の医学者たちは、さらに他の危険因子を解析し、肥満や糖尿病、さらにコレステロールが多いなどの今で言う「メタボリックシンドローム」に当たる危険因子を究明して行ったのです。これら新たな危険因子は、脳卒中のうち、脳血管が切れておこる脳出血ではなく、脳血管がつまってしまう脳梗塞の危険因子であることが明らかとなりました。統計結果でも、脳卒中のうち脳出血は著明に減少しましたが、脳梗塞は増加しています。このように時代とともに発生する病気は変化していきます。

 久山町研究は、現在も続けられていて、認知症発症の研究や、遺伝子研究などにも発展しているそうです。私たちにおこる病気の原因がこれからも詳しく調べられ、新たな成果がどんどん発表されていくことが期待されます。



生活習慣病 アミノ酸でメタボを診断
2012年6月30日

 アミノ酸はタンパク質の構成成分で20種類あります。この度、血液に含まれるアミノ酸濃度のバランスを調べることによって、生活習慣病のメタボリックシンドロームを早期に発見することができる可能性のあることが、味の素や三井記念病院の研究チームにより発見され、国際肥満学会の医学雑誌に発表されました。

 アミノ酸の濃度バランスの変化から病気を診断する方法は、これまでにも「アミノ・インデックス技術」と呼ばれ、これまでにガンの診断ができるのではないかと研究が進められています。この技術を心臓や血管の病気を発症する最大の危険因子であるメタボリックシンドロームの診断に役立てようとするものです。

TH_LIFD024.JPG メタボリックシンドロームの診断には、内臓脂肪の蓄積があることを調べる必要があります。内臓脂肪面積を測定するには、腹部のCTスキャンなどを撮影する必要がありますが、メタボ検診で簡便に内臓脂肪蓄積をみる方法として、日本では健康飲料のテレビCMによく出てくる、お臍の周囲径を測定する基準が設けられています。男性では85 cm、女性では90 cmが内臓脂肪面積100 平方cmに相当することが多くのデータを基に決められ、これより多いと内臓脂肪蓄積ありと診断します。ちなみにこの男性 85 cm、女性 90 cmは不適切ではないかという指摘も多く見直しが検討されていましたが、今年度は公式にこの基準をそのまま使うことが決まっています。しかしこれで正確に内臓脂肪蓄積が診断されているかというと必ずしも完全ではありません。

 そこで、血液検査によって内臓脂肪蓄積が証明される方法が確立されれば、より正確なメタボリックシンドロームの診断が可能になることから、この臨床応用を目的として今回の「アミノ・インデックス技術」を使った方法の研究が開始されたのです。多くの人を対象として研究が進められ、血中アミノ酸バランス解析により内臓脂肪面積が特定されることが明らかになりました。

 これを実際の臨床に取り入れられるためにはもう少し時間がかかりますが、有用な方法と思われます。とくに明らかな肥満はないけれども実際には内臓脂肪蓄積があり、「かくれメタボリックシンドローム」と言われる人たちの判別に効力を発揮することが期待されています。



その他の病気 めまい
2012年6月25日
TH_LIFD007.JPG

「めまい」を訴える方が、特に高齢者によく見かけられます。一口に「めまい」といってもいろいろなタイプがあります。例えば、体がグルグル回っているような感じになる「回転性めまい」や、体がグラグラ揺れている、あるいはふらつく感じのする「動揺性めまい」などです。


 回転性めまいの原因として最も頻度が高いのは、「良性発作性頭位めまい症」と言われるものです。その名が示すとおり、頭の位置を変えたときにめまいが発生する良性の疾患です。めまいのため気分が悪くなり、吐き気や場合によっては嘔吐することもありますが、横になって安静にしているとすぐに症状が消失します。また、耳鳴りや聴力低下など、耳の症状を伴うことがないのが特徴です。原因として、耳の奥にあり体のバランスを取っている三半規管の異常という説があります。三半規管の中にある炭酸カルシウムでできた耳石がありますが、それが本来の位置からはずれて体のバランスを崩し、めまいという症状を起こすというものです。


 良性発作性頭位めまい症の治療は、「良性」ということば通り、安静にすることによって比較的早いうちにめまいはなくなります。最近では浮遊耳石置換法(エプリー法)といって、頭位を変換することにより三半規管の中で遊離した耳石を元にもどす方法も開発されています。


 同じく回転性めまいが生じる疾患でも、聴力低下や耳鳴り、あるいは耳が閉塞した感じなどを伴う場合は、内耳の病気が考えられます。メニエール病もその一つで、これに対してはステロイドホルモン剤などの薬物療法が行われます。


 また動揺性めまいは主として神経の異常で起こります。例えば小脳の異常です。小脳は身体の平衡感覚を保つ役割をもっています。小脳の働きにより、まっすぐに立っていたり、歩いたりすることができるのですが、この小脳に何らかの異常があると、酔っ払いがまっすぐに歩くことができないような状態になり、体のグラグラ感が出現してきます。


 その他、精神的なストレスから動揺性めまいを生じることもあり、自律神経のバランスが崩れたことによるものと考えられています。また何らかのお薬が原因でめまいが起こる場合や、うつ病などの精神神経疾患が基礎疾患として存在する場合もあります。


 良性発作性頭位めまい症などのように、自然によくなる場合を除いて、めまいの原因を調べることが必要になってきます。




医療の歴史(12) 顕微鏡の発達
2012年6月18日
kenbikyo.jpg

 医療を発展させていくためには、人の体やその周囲で起こっていることを肉眼的に見て観察するだけでは不十分で、新しい機器が必要になってきます。その中で、顕微鏡は感染症の原因となる微生物を発見したり、人体の細部を観察するため必要不可欠なものといえるでしょう。

 顕微鏡を初めて作ったのはオランダの眼鏡屋さんだったハンス・ヤンセンとその息子のツァファリス・ヤンセンとされており1590年のことです。後にイギリスの物理学者ロバート・フックは顕微鏡を使っていろいろな細胞を観察し、「顕微鏡図譜」を発行しています。右の図はそのフックが使ったとされる顕微鏡です。

顕微鏡の技術を使って、人体、動物、植物に関する多くの新しい事実を発見したのが、イタリアのマルチェロ・マルピーギという人です。1661年、マルピーギは、人体構造のうち、組織の毛細血管の中を流れる血液を直接観察しました。医療の歴史(9)で説明したように、1628年、ウィリアム・ハーヴェイが血液循環論を確立して、人の血管には動脈と静脈があることを初めて報告していますが、彼は動脈と静脈をつなぐ細かい網の目状の血管―毛細血管を発見することができませんでした。マルピーギによる毛細血管の発見はハーヴェイの血液循環論に決定的な証拠を付け加えたのでした。

その後、顕微鏡は細菌学の発展に大きく貢献します。細菌学や原生動物学の父とされているのが、オランダ人のアントニー・ファン・レーウェンフックという人です。フレーウェンフックは、もともと医学者でも科学者でもなかった人で、呉服屋さんだったそうですが、微生物や寄生虫などを細かく観察しています。しかし、彼自身は1723年に亡くなるまで、それらの発見を書物として著してはいませんでした。のちの人々が彼の業績を記録として残し今に伝えられています。

顕微鏡により微生物が人に発症する感染症の原因であることまでは判ってきました。しかしそれはバクテリア(細菌)までの発見で、細菌よりはるかにサイズが小さいウイルスはレンズを使った光学顕微鏡では見ることができません。ウイルスを詳しく観察するためには電子顕微鏡が必要で、20世紀になるまで待たなければなりませんでした。ちなみに黄熱病の研究で有名な野口英世は、黄熱病の原因が細菌であると考え、研究を続けていました。しかし実際はウイルスによるもので、光学顕微鏡を用いて研究を続けていた野口英世は黄熱病の病原体を発見することができないまま亡くなってしまったのです。




肺炎が死因の第3位になりました
2012年6月12日

厚生労働省が今月発表した平成23年の調査結果で日本人の死因は、多い順に悪性新生物(ガン)、心疾患、肺炎となりました。肺炎が死因の第3位となるのは昭和26年以来のことです。長年、三大疾患の一つとされてきた脳血管疾患(脳梗塞や脳出血)は、わずかの差で第4位に転落しました。

肺炎は戦前には日本人死因のトップだった時期もありました。しかし衛生環境が改善し、また、よい抗生物質が使用されるようになったこともあり、昭和24年から昭和26年に第3位となった後、一時は第5位以下となりました。昭和50年から平成22年までは第4位でした。厚生労働省の担当者は「高齢化が進み、肺炎で亡くなるお年寄りが増えたのではないか」と推測しています。

平成22年まで第3位だった脳血管疾患は決して減ったのではなく、むしろ数的には増加しています。それよりさらに増加したのが肺炎で、その順位が逆転したのです。脳血管疾患が発症してもそれが直接原因で亡くなる方は増加しなくなったのは事実でしょう。そのかわり以前に脳血管疾患にかかったことのある方が歳をとられて、肺炎をおこして亡くなるという例がかなり増加したのではないかと思います。

death.jpg 図は厚生労働省が公開している日本人における死亡原因の年次推移を示すグラフです。昭和25年まで日本人の死因第1位は結核でした。グラフに示してある年より以前の戦前では毎年の調査結果は不明ですが、やはり結核が第1位の年が多く、先に説明しましたように肺炎が死因のトップだった時期もありました。結核はその後、よい抗結核剤が使用可能となり激減します。

 結核についで第1位になったのは脳血管疾患です。脳血管疾患のうち日本人は塩分の多い食事などで高血圧になる人が多く、これが原因で脳出血が多いという特徴がありました。しかし食生活の改善がすすみ、また健康診断などで高血圧が発見されてこれを治療するようになると脳出血は激減しました。そのため死因としての脳血管疾患全体の数は減少に転じました。

 脳血管疾患に代わって死因第一位になったのは悪性新生物(ガン)です。グラフで明らかなようにガンによる死亡は増加の一途をたどっています。次いで第2位を占めガンと同じく増加傾向にあるのが心筋梗塞などの心疾患です。これらの病気を予防する、あるいは早期に発見し治療することが重要です。

 ところで、これらの死因はすべて病気ですが、本来、病気にはかからない方がよいのは当然です。たとえ病気にかかってもそれが原因で死亡することがないようにしなければなりません。そうすると歳をとっていつか亡くなるときの死因は「老衰」と死亡診断書に書かれるわけですが、老衰は高齢者をのぞいて下位になっています。すべての人が健康に生きるようになると老衰が第1位となるはずで、常にこれをめざすのが私たち医療者の務めなのだと思います。



高齢者の便秘
2012年6月 3日
TH_TRED042.jpg

 便秘を訴えるお年寄りは多くいらっしゃいます。厚生労働省の調査でも、65歳以上の人では、人口千人中、男性で76.5人、女性で96.1人とされていて、65歳以下の人に比べて明らかに効率です。

 疾患としては、明確な便秘の定義はありません。一般的には、排便回数の現象、排便量の減少、便が硬いなどの症状があるものをいいます。しかし腹痛やお腹が張るなどの症状を伴う場合や、排便時に強くきばらないと排便できないような状態、排便が不十分で便が残ったような感じが強い場合などさまざまです。

 分類としては、その時だけの急性便秘と、常に症状が続く慢性便秘の二つに分けることができますが、便秘の発生する機序でみると、腸が閉塞しかかっている腫瘍や炎症などによるもの(器質的便秘)と、腸の動きが鈍くなっているもの(機能的便秘)に分類することができます。その他、神経疾患などの病気の合併症状として便秘がみられることもよくありますし、ある種のお薬(例えばうつ病の薬や精神安定剤など)の中には腸の動きを抑制して便秘という副作用が発生するものもあります。

 いずれにしても、高齢者は、日々の運動不足や日常生活動作が若い人に比べて少なくなっていますから、腸の運動や緊張が低下し、便秘になりやすいと思われます。また、大腸の知覚が低下し、便がたまっているのに便意を感じない。そのため便が固くなりやすいことや、腹圧が弱くなって排便しにくい状態をより悪くすることも便秘の要因として考えておく必要があります。

 便秘の治療ですが、原因となる疾患がある場合はまずこれに対する処置が必要です。またお薬が原因である便秘の場合、このお薬を中止し、ほかのものに変更するなどの対処を考えます。明らかな原因がなく、腸の動きが鈍くなっている機能的便秘の場合は、まず生活習慣を変えてみることが重要です。具体的には、毎日、朝食後に排便をする習慣をつける、食物繊維の多い食事や、水分をしっかり摂る、さらに腹圧を少しでも高めるような腹筋や腹式呼吸などを試みてみることも有効なことが多いと思われます。

 これらの一般療法で、便秘の改善がない場合、便秘薬を用いた薬物療法ということになりますが、先に説明しましたようにいろいろなタイプの便秘がありますので、便秘の状況やその他の症状を考慮して薬剤を選択することが重要です。




医療の歴史(11) 床屋外科
2012年5月28日
miki.jpg

 以前にも少しふれましたが、内科医の祖先は神々の仕業によって発生した病気を「祈とう」によって病気を治そうとする「祈とう師」であったのに対して、外科医の祖先は刃物を使って仕事をする散髪屋さんでした。そこで床屋外科という呼び名が生まれてくるのです。本当のことは定かではありませんが、散髪屋さんの三色のサインポールは理髪師が外科医を兼ねていた名残だと言われたりします。つまり赤は動脈、青は静脈、白は包帯をあらわしているというのです。しかしこの説は少し矛盾があります。血管には動脈と静脈があることが明らかとなってきたのは、医療の歴史(9)で説明したウィリアム・ハーヴェイが血液循環を明らかにした17世紀になってからのことです。一方、三色のサインポールができたのは13世紀のイギリスだとも言われており、歴史的に一致しないことがいくつかあります。

 ところで中世には、理髪師兼外科医が職業化されてきました。当時、病気の原因となる悪い血液を取り去ってしまうという目的で瀉血(しゃけつ)という治療法が行われていました。体から血液を抜き取るためには刃物で体に傷をつけて出血させることが必要で、これは正しく外科医の仕事だったのです。しかし時代の経過とともに、このように内科医の下働きのような仕事だけをする外科医ではなく、次第に簡単な手術をしたり、骨折の治療や出産の介助などをするなど、専門的な外科医が生まれてきます。

 そもそも今の医学・医療を考えると、「外科」と「内科」はその名前の「内」と「外」が逆ではないのかと思われないですか。つまり内科医は自分で刃物を使って病気の人の内側を見ることなく治療を行います。つまり外側から治療をしているにもかかわらず治療法の名前は「内科的」治療といわれます。それに対して、外科医は刃物を使った手術で直接、病気の人の内側を見て、悪い部分を切り取ったりつないだりして病気を治します。内側に直接手を下しているにもかかわらず、その治療法の名前は「外科的」治療といわれているという矛盾があります。これは歴史的な事実によるものだと思います。それは大昔、刃物を使って治療をする治療はとても体の内側の病気に対応できなかった。刃物は体の外側にできた腫瘍を切り取ったり、傷の治療にしか使うことができなかったのです。体の内側から発生したと「診断された」病気は、外科医ではなく内科医の担当でした。昔は、ほとんどの病気治療は内科医の仕事だったと思われます。

 いずれにしろ、手術という外科医の仕事が科学的、安全に行われるようになり、外科と内科が対等になるのは、もう少し時代が下ってからになります。




甲状腺クリーゼ
2012年5月24日

thyroid.jpg 甲状腺クリーゼとは、基礎疾患に甲状腺ホルモンが過剰になる甲状腺機能亢進症があるのに、治療されていない場合や、病気のコントロールがあまりよくない時などに体に強いストレスがかかると、突然起こる難病です。甲状腺機能亢進症の治療が突然中止された時にも起こります。また、甲状腺のコントロール不良な状態で外傷や手術を受けたり、妊娠・分娩などを契機に発症することもあります。

 症状として、38℃以上の発熱、けいれんや意識障害などの神経障害、1分間に脈拍が130回以上になる頻脈、不整脈、心不全などの症状が出現します。治療が遅れると死に至る重症の状態です。

 過剰な甲状腺ホルモンの作用に対する体の代償機能が破綻してしまい、いろいろな臓器の障害が起こるのですが、詳しい機序は不明で、厚生労働省は難病の一つに指定しています。これまで全国で約1500人の患者がいると言われていましたが、詳しい実態は明らかにされていませんでした。

 今回、和歌山県立医科大学の赤水教授らのグループ(内分泌学)が、大規模な調査を行い、発症実態を明らかにしたことが5月17日付の新聞で報道されています。それによると、2004年から全国の医療機関を対象とした調査が5年間かけて実施されました。その結果、国内での発症数は年間150人以上で、死に至る率は10パーセントを越えることがわかりました。また、発症の要因として、甲状腺疾患の治療中断や感染症の発病が引き金になるほか、強いストレスも関係していることが突き止められました。

 バセドウ病などの甲状腺機能亢進症で治療を受けている人は、しっかり甲状腺ホルモンをコントロールして、独断で治療を中断しないようにすることが重要です。



不眠症
2012年5月19日

sleep.jpg 仕事が忙しいなど、十分な睡眠時間がとれない人が増加しています。一方で、時間的余裕があって、床に着いているのに寝付けなかったりして調子が悪いと訴える人がいます。両方とも睡眠不足ですが、通常「不眠症」と言われるのは、後者の方、つまり床に着いている時間は長いのに、十分な睡眠ができず、昼間の眠気や脱力感などがある人の状態のことです。右の図でも明らかなように近年、ストレス社会の影響があるのでしょうか、不眠症の発症は増加傾向にあります。

 不眠症のタイプは大別して、① 床に着いているのになかなか寝付けない「入眠障害」、② 一度は寝付いてしまっても23時間で目が覚めてしまう「中途覚醒」、③ 朝早くに目覚めてしまう「早朝覚醒」、さらに、④ ぐっすりと眠れない「熟眠障害」の四つに分類されます。「睡眠はできていますか?」とお聞きしたとき、睡眠時間つまり床に着いている時間が十分あることから「大丈夫です」と返答される方でも、実はこれら四つのタイプのうちいずれかの不眠症であることも意外に多いと思われます。

 不眠症の原因は、暑さ寒さや部屋の明るさなどの環境的要因や、悩みごとやイライラなどの精神的要因、また痛みやかゆみなど実際の身体的要因、さらにコーヒーなどのカフェインやアルコールが原因である薬理学的要因が考えられます。前回と前々回にご紹介した「むずむず足症候群」や「概日リズム障害」(次の記事参照)の他、少し前から鉄道の運転手さんなどで問題になっている「睡眠時無呼吸症候群」は明らかな不眠症の原因疾患です。ちなみにゴールデンウィークに長距離バスで大事故になった事例のバス運転手さんは「不眠症」ではなく、「睡眠時間の不足」だろうと思われます。

 不眠症は「うつ病」の主要症状の一つですが、逆に不眠症があると「うつ病」発症のリスクが高まるという報告もあります。また、高血圧や糖尿病、メタボリックシンドローム発症率とも関係することが明らかにされています。不眠症を放置すると問題となる病気が発症する誘因となることは明らかで、適切な治療が望まれます。生活習慣改善とともに、先に説明した不眠症のタイプに応じて睡眠導入剤や抗不安剤を服用してもらうことが大切です。



むずむず足症候群
2012年5月12日

TH_LIFD026.JPG 夕方や夜になると、足が火照る、足に虫がはっているような違和感を感じる、しかし足を動かすとこれらの症状が改善するといった症状はありませんか? このような方は「むずむず足症候群」、正式病名として、下肢静止不能症候群(レストレス・レッグス症候群)といわれる病態である可能性があります。

 「むずむず足症候群」の症状は、①足を動かしたいという異常感覚がおこる、②安静にしていたり、横になったりすると症状が増悪する、③足を動かすと症状がよくなる、④症状は夕方や夜になると増強する、などがあります。日本人では3~5%の発症率で、男性より女性の方がやや多く、年齢を重ねるにつれて増加してきます。

 原因には、ドーパミンというホルモンが作動する神経経路の障害や、鉄分の不足が関連するとされています。このため、同じくドーパミン不足によって発症するパーキンソン病や、鉄不足が原因の貧血患者さんにも同様の症状が見られることがありますが、これらの原因疾患がない人の場合の方が多いようです。

 夜間、足の症状で睡眠の障害がおこることから、昼間の眠気や、疲れた感覚があり、日常生活に支障がでることが大きな問題となります。そこで「むずむず足症候群」に対して、睡眠障害への対策と日常生活を改善することを大きな目的として治療が行われます。

 ドーパミン関連の新しいお薬があり、これの服用を開始してから1週間目でも症状が改善するという治療成績が発表されています。当院でもご相談をお受けしますので、もし気になる症状があるようでしたらお申し出ください。



体内時計~生活リズムの調節
2012年5月 3日

time.jpg 人の体の中には時計があり、一日の生活リズムをコントロールしています。といってももちろん本当に機械の時計がセットされているのではありません。その機能の中心は脳内にあって、時計遺伝子と呼ばれるタンパク質の量が増減することにより、一日の生活リズム(概日リズム)が刻まれています。

 体内時計は脳内に存在するだけでなく、体中のいろいろな臓器に存在することも解っています。一日の生活リズムにおいて、食事をすれば消化管が働き、運動すれば筋肉を使うといったように、その人の活動にあわせて体内時計が効率的に働いているのです。

 概日リズムの乱れが不眠症の原因にもなります。例えば海外旅行での「時差ぼけ」や夜勤で交代制勤務をしている人の睡眠障害がこれにあたります。

TH_TREH021.JPG さてこの度、膀胱にある体内時計が、排尿のリズムを調節していることが、京都大学や兵庫医科大学の研究チームにより解明されイギリスの科学雑誌に発表されました。腎臓で作られた尿は袋状の膀胱にたまり、これが一杯に膨らんだとき人は尿意を感じてトイレに行きます。しかし排尿の回数を日中と夜間とで比べると、夜間の排尿は多くなりません。これは体内時計の作用で、昼間は膀胱が縮んで、尿をあまりためないため排尿回数が多いのですが、夜間は膀胱が縮まず尿を多くため、排尿回数が少なくなり十分に睡眠ができるようにしているということです。このリズムが崩れたとき夜尿症(おねしょ)や夜間の頻尿がおこると考えられます。報道によると、研究チームの兵庫医科大学泌尿器科学の兼松准教授は「新しい薬や治療法の開発につなげたい」と話しているそうです。



医療の歴史(10) 錬金術と化学療法
2012年4月29日

 錬金術とは、どこにでもある金属から、さまざまな手法を用いて、金などの貴金属を作ろうとするものです。中世のヨーロッパでは、これが盛んに行われ、科学というより魔法に近い意味や、お金儲けのからくりのようにも考えられています。ある技術を用いると、人間が不老不死になるなどといったことが信じられていました。

PA0001.jpgしかしその試行錯誤の過程から、硫酸や塩酸などの化学薬品が発見されてきたことは、学問的に大きな科学的発展ということができます。錬金術師の中でも医学的発展に貢献した人がパラケルスス(1493~1501)でした。パラケルススとはあだ名で、本名はフィリップス・アウレオルス・テオフラトス・ボンバストス・フォン・ホーエンハイムという大変長い名前だそうです(右の写真)。それまでの医薬品といえば、ほとんどが草根木皮であったものが、パラケルススは水銀、アヘン、砒素、銅、硫黄など多くの化学物質を病気の治療に用いました。現在ではこれらの物質のほとんどが、有害物質や毒物のたぐいですが、化学物質を治療薬に取り入れた最初であったことは医療の発展に大きく貢献したことになります。そこでパラケルススのことを「医化学の父」などと呼んだりしています。

パラケルススはさらに、人体には水銀、硫黄、塩の 三大要素が重要であり、体内に塩が沈殿した結果、病気が発生すると考えて、この沈殿した塩を溶かすために、さまざまな鉱物を用いることをすすめたので した。この考え方は、ギリシア、ローマから受け継がれた古典的医学とは大きく異なり、現在の臨床内科医としての姿勢でした。実際彼はすぐれた臨床家であったそうで、多くの著書や講演記録が残されています。

 ちなみに「化学療法」は文字通り化学物質を使った治療法ということですから、現在の化学物質を薬剤として用いた治療法はすべて化学療法ということになります。しかし私たち医療者は「化学療法」という言葉を、抗ガン剤という化学薬品を使ったガン治療の意味で使うことが多いように思います。

 

ガンの予防
2012年4月22日
gan.jpg

 日本人の死亡原因第一位で年々増加し続けているガン。すべてのガン死亡率では、50歳代から徐々に増加し、男性では60歳、女性では70歳を超えると急激に上昇します。つまりガンは高齢者の病気であるといえるでしょう。

 ガンの予防はどこまで可能か?ということですが、その前提としてガンの原因を考えておく必要があります。ガンの発生は生活習慣に関係するものと、感染症に由来するものの二つに大きく分けることができます(右の図)。

 生活習慣関連では、言うまでもなく喫煙は最大の危険因子です。他の人が吸っているタバコの煙を吸う「受動喫煙」も大きな原因で、禁煙推進と同時に完全な「分煙」が求められます。

大量のアルコールも発ガンに関係します。毎日、日本酒に換算して3合以上の飲酒をしている人のガン発生率は飲まない人の1.6倍にもなり、飲酒と喫煙の両方が重なると倍増するとされています。例えば、一日30本以上のタバコを吸い、3合以上のアルコールを飲み続けて30年後には、食道ガンの危険性は約50倍になるそうです。肉類ばかり食べている肥満の人が、飲酒を続けていると大腸ガンの危険を上げる要因ということもはっきりしています。

 生活習慣由来のガン予防には、①禁煙、②アルコールは飲みすぎない、③運動などにより肥満を予防する、といった生活習慣の改善が必要となります。ただ言うだけなら簡単ですが、なかなか実際問題として難しい部分もあります。さらに自分では完全に良好な生活習慣をしていると思っていてもガンの発生を100%予防できるとは言い切れません。

 一方、感染症由来のガン発生を予防することは、理論的に、はるかに簡単です。感染源を断ち切る治療や、ワクチン接種により抑制ができるからです。感染症由来のガンとしては、①肝炎ウイルスによる肝臓ガン、②ヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)による子宮頚ガン、③ピロリ菌による胃ガン、などが考えられます。B型肝炎やC型肝炎ウイルスに対する治療をする、若年女性にHPBのワクチンを接種する、ピロリ菌の除菌をするなど明確な対応が可能です。

 これらのガン予防は「一次予防」と言って、ガンの発生そのものを予防することです。これに対して、ガン検診などによる早期発見・早期治療は、ガンという病気にかかってしまったけれど、それが重症化し死亡の原因になることを防ぐ「二次予防」と言われるものです。一次予防をしておいて、検診で二次予防をすることが大切なことだと考えられます。

(文献 浅香正博:日本医事新報、201247日号、P.28




医療の歴史(9) 血液循環の発見
2012年4月15日

 今では血管の中を流れている血液が心臓から送り出されてまた心臓へ帰ってくる「血液循環」を知らない人はいないと思います。しかし1628年、ウィリアム・ハーヴェイが血液循環論を確立するまで、世の医療者たちはこのことを知りませんでした。

 医療の歴史(4)でご紹介したローマ時代の医師ガレノスが唱えた血液の流れについての生理学が17世紀になるまで信じ続けられていたのです。ガレノスの考えは、口から食べた食物の栄養分は腸で吸収され、それが肝臓で血液として調整され(つまり肝臓で血液が作られ)血管を通って全身へ運ばれるというものです。そして全身に運ばれた血液は「精気()」となって全身の生命活動に利用される・・・つまりその血液がまた心臓や肝臓へ戻ってくるとは考えていませんでした。しかし16世紀になって、前回ご紹介したヴェサリウスの詳しい解剖学(医療の歴史8)からすると、ガレノスの説はやはり矛盾する点が多いことが徐々に分かってきていました。しかしこれを実証し意見を述べた画期的な報告は、ハーヴェイの血液循環論が登場するまでありませんでした。

 ハーヴェイは1578年、イギリスの裕福な商人の家に生まれました。ケンブリッジの専門学校を卒業した後、その当時、繁栄の絶頂にあったイタリアのパドヴァ大学に入学します。ここで彼は数学や天文学を、地動説を唱えてローマ教会から火あぶりに処せられたガリレオ・ガリレイから学び、科学的な思考を身に着けていきました。またパドヴァ大学は16世紀にはヴェサリウスが解剖学を教えていたところで、ハーヴェイはヴェサリウスの流れをくむ解剖学を直接学んだことになり、このことが後の血液循環論につながっていきます。

vein.jpg 心臓のポンプ作用で送り出された血液は、動脈を通って全身へ運ばれます。そして静脈を通って心臓へ帰ってきます。動脈は心臓から全身へ高い圧力で血液が送りだされます。その圧力を測定したのがご存じの「血圧」です。一方、静脈は動脈に比べて非常に圧が低くなっていて、心臓に帰り着く手前には0になります。このため静脈には血液が逆流することがないように所々に弁がついていますが、このことを証明したのもハーヴェイです。(右の図)しかし彼は、動脈と静脈がどのようにつながっているのかは明確に解らなかったようです。毛細血管という非常に細い網目状の血管が動脈と静脈の間にあるのですが、これを直接確認するのは肉眼では難しく、ハーヴェイの生きた時代からもう少し時間が経って、顕微鏡が発達してから確認されたのでした。



高尿酸血症・痛風
2012年4月 8日

 痛風は足の親指の付け根などが腫れて痛む、その痛みは風に当たっても痛いほど激しいことから「痛風」と呼ばれます。その原因は血液中の尿酸値が高くなることで、尿酸塩が針状の結晶となって関節に沈着して、炎症を起こしたものです。つまり尿酸値が高い高尿酸血症は痛風の原因になるけれど、厳密に言うと高尿酸血症イコール痛風ではありません。関節の激痛が出現する痛風発作(関節炎)がおこった状態が痛風です。

TH_LIFC022.JPG痛風は昔からアルコールと美食が原因で発症することから「ぜいたく病」などと言われてきました。血液中の尿酸はプリン体という物質が分解されてできます。アルコール、特にビールにはプリン体が多く含まれていますので、飲みすぎると尿酸値が上昇します。それだけでなく、アルコールは尿酸の合成を促進し、尿酸が腎臓から尿へ排泄されるのを阻害することから、さらに状態を悪くしてしまうのです。また肉など美味しいものにはプリン体が多く含まれており、これらの食物を多く食べると尿酸が高くなります。

 プリン体を食べたり飲んだりして尿酸が高くなるだけではありません。プリン体は筋肉を動かすときのエネルギーを伝達する物質であるATP(アデノシン3リン酸)のもとになる物質です。そこで激しい筋肉運動をすると尿酸値が上昇することになります。(ただしジョギングや水泳などの有酸素運動では尿酸値の上昇はないと言われています。)また血液の病気で白血球が血管の中で壊されたりすると、白血球細胞から尿酸が血液中に放出され高尿酸血症の原因になります。

 また尿酸はこれら身体活動の結果生じる言わば老廃物で、体にとって必要なものではありません。そこで腎臓から尿中にこしだされて排泄されるのです。そこで腎臓の機能が低下した状態では尿酸値は上昇します。さらに悪いことに尿酸の結晶は腎臓に沈着して腎臓の機能を低下させてしまいます。

 このように、高尿酸血症は、①プリン体摂取の過剰、②体内での生成過剰、③腎臓からの排泄低下、という三つの原因でおこると考えられ、それぞれのタイプに応じてお薬などの治療法が選択されています。

TH_TRED042.jpg ところが、今月、イギリスの科学雑誌に、尿酸は腎臓から排泄されるだけでなく、腸から便の中に排泄されるという新しい事実が発表されました。発表したのは東京薬科大や防衛医大などの日本人チームです。発表者によると、「今までの治療法だけでなく腸の動きを対象とした生活習慣を検討することも必要で、遺伝子関連の新しい治療法の開発につながる可能性がある」ということです。高尿酸血症や痛風治療の新時代が見えてくることも期待されます。



生活習慣病に対する運動の効果
2012年3月31日

TH_LIFC005.JPG 多くの生活習慣病は肥満、内臓脂肪の蓄積が誘因となって発症することはよく知られていることです。またこれを予防し、治療するために、①食事療法(食生活を改善する)、②運動療法(適度の運動を続ける)、そして③薬物療法(検査値などをお薬で補正していく)の三つがあることもご存じの通りです。これらのうち、高血圧や糖尿病などに代表される病気を持っている方には、適切なお薬を処方し、栄養指導を通じて食生活の改善を図ることは当然の事として行われておりますし、もちろん当院でも実施していることです。しかし、②の運動療法については専門施設において以外では、系統だった指導が行われていない現状があります。具体的にどれ位の運動量を実施すればよいのか、つまりどのようなトレーニングプログラムを実践するのかという点があいまいであることが多いように思います。

 本年1月に東京で開催された第46回日本成人病(生活習慣病)学会では「職域における生活習慣病の予防・改善と運動療法」というシンポジウムが企画され、様々な報告がありました。たとえば、同じ運動を続けても十分な効果が得られる人とそうでない人がいるがこれには体質の遺伝的要因がある、しかし遺伝的に病気になるリスクが高くても計画的に運動をするとそのリスクをある程度軽減できることが明らかにされました。また具体的な事項のうち、一日の歩行時間が長い人ほど高血圧や糖尿病になる危険度や低下したことが明らかにされています。厳しい運動をするより息の切れない程度の有酸素運動がよいことも具体的なデータとして報告されています。

 以前私たちは、日本内科学会において、日常の運動をどのようにすれば効果的に体重コントロールができるか、というテーマで発表したことがあります(末廣美津子他:自主的な生活習慣改善目標設定による体重コントロールの有用性:第104回日本内科学会講演会、平成194月、大阪)。その概要は、日々の運動は他の人から指示されてするのではなく、自主的に目標を立てて実施するほうがより効果的であるというものでした。さらにその目標も、ただ「毎日、運動をするように心がける」「体重を減らすよう努力する」といった抽象的なものでは得られる効果は少なく、「毎日何時間以上歩く」や「毎日何の運動を何回する」など具体的で数値目標の含まれた計画を立てた人の方が確実に体重コントロールできたという結果でした。

 何事もそうですが、毎日継続することや、自分から進んで行うことが大切です。ぜひ無理のない体を動かす計画を考えてみて下さい。疑問に思われることがあればご相談に応じます。




医療の歴史(8) 近代解剖学の夜明け~ヴェサリウス
2012年3月24日

 人体解剖学の研究は16世紀になって盛んになりました。その中心人物が解剖学の歴史上最大のビッグネームであるアンドレアス・ヴェサリウスです。

ヴェサリウスは1514年ベルギーのブリュッセルで代々医師であった家に生まれました。幼少の頃から動物の体の構造に興味を持ち、身の回りにいる動物を勝手に解剖していたそうです(現代では動物愛護法で許されることではありませんが・・・)。

成長してパリ大学医学部に進学したとき解剖学の講義を体験しました。ところが、前回、医療の歴史でも少し紹介したように、当時の解剖学は古代のガレノスが著した解剖学を何の疑いもなく解説するだけのものでした。実習は解剖学教授が直接行うのではなく、実習助手が形式的に内臓を取り出し、学生たちに指し示すだけのものだったそうです。当時、刃物を使って死体を切り開くことは下賤な作業と思われていました。ヴェサリウスはこれにがまんできず、子供のころからの動物解剖の体験を生かして、手際よく解剖してみせました。これが評価され、すぐに解剖学実習の助手に採用されたのです。

 彼はすぐに解剖の名手としての名声を得、23歳の若さでイタリアの名門パドヴァ大学の解剖学教授に就任することになりました。自ら解剖を行って学生たちに講義するとともに、解剖学を探求し、古代からのガレノス解剖の多くの誤りを指摘して行きました。どうもローマ時代のガレノスは猿などの解剖は自ら行っていましたが、人体解剖の経験はあまりなかったのですが、弟子たちや後世の人々がガレノスを解剖学の神様として祭り上げ、その理論が何百年も盲信されていたようです。vesalius.jpg

 1543年、ヴェサリウスは写実的なイタリア絵画を多く取り入れた大著「人体構造論(ファブリカ)」を出版します。(右は今でも解剖学書の序章などで紹介されているファブリカの挿し絵です。)正確な人体構造の知識を得た西洋医学はこの後、飛躍的な発展を遂げていくことになるのです。

 しかし、いつの時代も新しい真実を最初に述べた人は周囲から冷たい視線を浴びせられることが多いのですが、ヴェサリウスも例外ではなく、最後は不遇な生涯を43歳という若さで閉じてしまうことになりました。



糖尿病と認知症
2012年3月18日
CNS.jpg

 高齢社会が進行して、認知症患者さんの急増が問題となっています。日本では、アルツハイマー病と呼ばれる脳細胞が変性して発症する疾患が約半数を占め、残りは脳梗塞などが原因となる脳血管性認知症およびアルツハイマー病と同じく脳細胞が変性するレビー小体病が多いとされています。

 日本のアルツハイマー病の患者数は約100万人とも言われ、65歳以上の10人に1人が発症の危険性を持っています。アルツハイマー病に罹患していて亡くなった人の脳細胞を調べると、アミロイド・ベータという異常たんぱく質が蓄積していることが解り、これが10年以上の時間をかけて脳細胞を死滅させていくことが、アルツハイマー病発症原因の主要な機序と考えられています。

 そこでこのアミロイド・ベータに対するワクチンがアルツハイマー病の予防接種として用いられないか現在、研究・開発が進行しています。またこれまで一種類しかなかったアルツハイマー病治療薬に加えて、昨年新規の治療薬が発売され、新たな薬物治療の展開が期待されています。

 ところで、高齢社会でもう一つの問題となる疾患に生活習慣病である糖尿病があります。糖尿病は血管を障害して、さまざまな合併症を発症させていくことはご存じの通りです。糖尿病と認知症との関係を考えるとき、糖尿病は脳梗塞の危険因子の一つですから、脳梗塞の後遺症による脳血管性認知症の誘因になることは容易に想像できます。

一方で、以前から糖尿病はアルツハイマー病発症の重要な危険因子の一つであることが解っていました。このことは昨年の11月に開催された日本認知症学会でも「糖尿病と認知症」という主題のシンポジウムとして取り上げられ、多くの新しい知見が報告されています。糖尿病発症前の糖代謝異常がある段階から認知症発症リスクが増加するという疫学的研究や、血糖値の高値が持続すると血液中の終末糖化産物の形成が進み、身体の酸化ストレスがアミロイド・ベータの沈着を促進するなど多くの報告がなされました。

 乱れた生活習慣が誘因で発症する糖尿病では、血糖をコントロールするインスリンが効きにくくなる「インスリン抵抗性」という状態が起こります。このため初期の糖尿病では血液中のインスリン量は増加している時期があるのですが、このインスリンの異常状態がアミロイド・ベータの沈着を促進することも解ってきました。またインスリンはアミロイド・ベータ除去にも関係している可能性も示唆されています。

 いずれにしても糖尿病におけるアルツハイマー病発症機序は複合的で一つの事象から説明できるものではありません。しかし糖尿病は認知症の大きな危険因子でもあることに間違いはなく、生活習慣改善を含めた適切な治療を続けていくことが重要です。




トマトダイエット
2012年3月12日
tomato2.jpg  トマトやトマトジュースがスーパーなどでバカ売れして品薄になっているそうです。2月の始めに「トマトにメタボ改善成分発見」というニュースが流れたためですが、これは京都大学の研究グループがアメリカの科学雑誌に報告したもので、ネズミにリノール酸の仲間であるトマトの一成分を4週間与えたところ、中性脂肪や血糖値が下がったという内容です。

 この報告は「以前からトマトには中性脂肪を下げる効果があることは分かっていたけれど、何の成分が原因でその効果が現れるかが不明であったが、今回それが解明された」というものであって、「トマトを食べ続けたら中性脂肪が下がってメタボリック症候群が解消される」ことまで証明されたわけではありません。

 最近、テレビのある番組で、メタボ体型のテレビ局関係者がトマトを食べ続けたら、体重が減った・・・という企画が放送されていました。その人がたとえダイエットに成功したのだとしても、そのようなことをした全ての人に当てはまる証拠がないことはいうまでもありません。以前に「バナナダイエット」が話題になって、この時はスーパーからバナナが無くなってしまったことがありましたが、今回も同じようなことだったと思います。

 メタボリックシンドロームを改善する、体重を減らす、中性脂肪をさげるためには、何か特別なものを敢えて大量に摂取するより、規則正しくバランスよく食事をして、運動をするなど一般的な生活習慣改善が第一であることはご存じの通りです。もちろんトマトは栄養豊富な食品ですから、バランスよい食事のなかに取り入れて頂ければよいのだと思います。

 当院では毎月一回、管理栄養士による栄養相談を実施しておりますので、もしよろしければ一度受けてみて下さい。




医療の歴史(7) レオナルド・ダ・ヴィンチと解剖図
2012年3月 4日

 古代ギリシア、ローマ時代の文明発展の時代が過ぎ、その後のおおよそ67世紀のヨーロッパはキリスト教のカトリック教会隆盛の影響を受けて、芸術や文化がすっかり停滞してしまった時代が続きました。暗黒時代などと呼ばれていますが、教会の精神に反するような新しいことを試みることが許されなかったのです。医学の世界も同様で、医療の歴史 (4) で紹介したローマ時代のガレノス医学が神聖で侵すことができない絶対的なものとされていたため、新しい医学研究などは全く行われませんでした。たとえば人体の内部構造についての知識は教会が人体解剖を許さなかったものですから、ガレノスの述べたことを盲目的に信用していく他に道はありませんでした。

 しかし13世紀を過ぎたころからカトリック教会は少しずつ人体解剖を認めるようになりました。この頃の(あるいはこれより以前からという説もありますが)新しい時代を「ルネサンス」と呼ばれているのはご存じの通りです。「ルネサンス」という言葉は復興、再生という意味だそうですが、暗黒時代に別れを告げて、古代ギリシアやローマの活気にあふれた学研精神を取り戻そうとする意識ととらえることができると思います。

leonardo.jpg ルネサンスを代表する最大の芸術家の一人であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(14521519)は「ミロのヴィーナス」や「最後の晩餐」など有名な絵画の作者であることはいうまでもありませんが、芸術家だけではなく 工学や医学・生理学の改革者でもありました。真実を自分の眼で確かめてそれを正確に表現しようとしたのです。彼が残した人体解剖図(右の図)は、ただ詳細に描かれただけでなく、それまでの解剖書とは全くことなり、人体の構造を遠近法を取り入れた立体的な図として描写してあります。

 ただ残念なことにレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図は医学的発展に寄与した部分は多くありませんでした。彼は事実をありのままに表現することに興味があり、詳細な人体構造が、人の身体機能や病気の発生にどのようにかかわってくるのかという点にはあまり興味がなかったようです。

 ルネサンス以後の医学の発展に最大の貢献をした人はダ・ヴィンチより後に活躍したヴェサリウスという人です。このことは次回の医療の歴史で紹介します。




アスピリンの抗ガン作用
2012年2月26日

ASA.jpg アスピリン(薬品名はアセチルサリチル酸)という薬があります。昔から鎮痛薬や解熱薬として用いられてきましたが、服用している人のなかに出血症状が出現することがありました。その後よく調べてみると、アスピリンには止血に必要な血液細胞である血小板にあるシクロオキシゲナーゼ(COX)という酵素を阻害する作用があることが分かりました(右の図)。COXは血小板が固まって止血作用を発揮するのに必要なトロンボキサンという物質の生成に必要な酵素で、これがないと血小板は正常に機能しないため止血に作用しなくなることになり、アスピリンを大量に服用すると出血傾向がおこるという機序が明らかになったのです。話がややこしくなりましたが、アスピリンのこの副作用ともいうべき血小板機能抑制作用を逆に利用して、今では少量のアスピリンを、血管の中で血液が固まらないようにする、つまり血液をサラサラにする目的で投与するようになり、脳梗塞や心筋梗塞など血栓で血管が閉塞して起こる病気の予防に用いられています。

 このアスピリンが大腸ガンの発生を予防することが数年前から報告されていました。詳しい機序は明らかになっていない部分もありますが、どうも大腸ガンの中には先に説明したCOXを作っているものがあり、これをアスピリンが抑制して大腸ガンを予防しているようです。さらに昨年になって、アスピリンは大腸ガンだけではなく、食道ガン、胃ガン、膵臓ガン、肺ガン、前立腺ガン、さらに脳腫瘍の発症も減少させるという報告がなされ話題になっています。ただし詳しいことの解明はまだまだこれからですし、初めに説明したアスピリンによる出血という作用もありますから、むやみに服用することは避けるべきです。

 ところで、「頭痛にバファリン・・・」というCMで有名なバファリンという薬。これは市販薬で、医師の処方せんがなくても薬局で購入することができますが、バファリンはもともとアスピリン製剤です。現在発売されているいくつかのバファリン製品にはアスピリンの代わりにアセトアミノフェンなど他の物質が主成分になっているものがありますが、アスピリンが主成分のものもあります。もし痛み止めとして薬局で市販薬のバファリンを購入されるのでしたら、薬剤師さんによく相談して適切なものを選んでもらって下さい。もちろん最初から市販薬を購入されるのではなく、まず医院を受診して下されば診察をして適切な処方せんを作成するご相談をさせて頂きます。



もう一つの甲状腺ホルモン:カルシトニン ~ カルシウムの話
2012年2月16日

 前回、甲状腺ホルモン(T3T4)の話をしましたが、これとは全く別に甲状腺のC細胞という場所から分泌されているホルモンが「カルシトニン」です。カルシトニンは血液中のカルシウム濃度が上昇すると分泌され、カルシウム濃度を下げるように働きます。「カルシウムが減ると大変!」と思われる方もいるかも知れませんが、カルシウム濃度が下がるのは血液中のことであって骨のカルシウムが減るのではありません。血液中のカルシウムを下げる機序は、一つは腎臓から尿へカルシウムが排泄されるのを抑制することですが、もう一つ骨にカルシウムを取り込んでいく作用が重要です。つまり骨の形成を促進し骨を強くする作用を持っているのです。

 カルシトニンとともに血液中のカルシウム濃度や、骨のカルシウム量を調節する重要なホルモンに「副甲状腺ホルモン(PTH)」があります。副甲状腺は上皮小体ともいい、基本的には甲状腺の上下左右に4つ存在します。ここから分泌されるのが副甲状腺ホルモンで、血液中のカルシウム濃度を上昇させる作用があります。カルシトニンとは逆に腎臓から尿へカルシウムが排泄されるのを抑制し、骨から血液中にカルシウムを汲み出してしまいます。副甲状腺ホルモンが過剰に作られる副甲状腺機能亢進症では、骨からカルシウムが抜け出してしまい骨折しやすい状態になります。

CaPTH.jpg 右の図のようにカルシトニンと副甲状腺ホルモンはカルシウムの動きに対してお互いに拮抗的に働いているのです。骨からすると、カルシトニンのほうがカルシウムを増やしてくれて、骨を強くしてくれるので強力な味方になります。骨の量が減ってしまう「骨粗鬆症」という病気がありますが、この治療薬としてカルシトニンをお薬にした「カルシトニン製剤」が作られています。

 ところで歳をとるにつれ骨のカルシウムが減ってくるので、牛乳を飲んだり小魚をよく食べるなど、カルシウムを補給する必要があることはご存じの通りですが、いくら口からカルシウムを食べたとしてもそれが腸で血液中に吸収されなければなりません。ここで重要になるのがビタミンDです。ビタミンDは皮下脂肪などの脂肪を原料として生成されますが、この作用を活性化するために日光の紫外線が必要になります。最近、アメリカの白人は皮膚ガンになることを恐れて、日光に当たることを避ける人が多くなってきたそうですが、この人達は普通に日光に当たる人に比べてビタミンD欠乏症の発症が2倍であるという報告がありました。

 話の主題がずれてしまいましたが、骨粗鬆症の予防には、食事に気を付けること以外にできるだけ外出することが必要であるのは間違いありません。



医療の歴史(6) ペスト大流行、デカメロンと検疫
2012年2月10日

PST2.jpg 「ペスト」は、ペスト菌が原因でおこる病気です。現在の日本では感染症法で最も危険な一類感染症に分類され、感染者を隔離して治療することと定められています。もともとはネズミに流行するものですが、感染したネズミの血を吸ったノミに刺された人に感染が広がります。かつて感染者は皮膚が黒くなり死に至ったことから「黒死病」と呼ばれていました。現在では抗菌剤の投与が有効で、適切に治療を行えば後遺症を残すことなく治癒しますが、抗菌剤がなかった昔は致死性が高く恐れられていました。そもそもペスト菌が原因で流行するということも解らなかったわけですから、多くの人が「ペスト」で命を落としました。14世紀のヨーロッパでは流行を繰り返し、おおよそ2500万人が死亡したことから、全人口の半分近くを失ってしまったのです。ヨーロッパ各地にはこのペスト大流行の記念碑があります。写真はウィーンにある「ペストの柱」です。

 ペスト流行の原因は解らなかったけれど、人は大勢の患者がいる場所から逃れようと考えるのは当然のことです。「デカメロン」はボッカチオが1348年に著した物語集です。この時のペスト大流行から逃れようと男女10人が邸宅にひきこもり、その退屈さをまぎらわすため、毎日10人が10話ずつのおもしろおかしい物語を語り合い、百話ができたという設定になっています。題名の「デカメロン」はギリシア語の10日という意味の言葉に由来するそうで、「十日物語」などとも呼ばれています。ボッカチオはペスト流行という当時の最新ニュースに引っかけて文芸作品「デカメロン」を作り上げましたが、その中で悲惨な流行のようすが今に伝えられているのです。

 ところで、このペスト流行が医学の発展に与えた影響には大きいものがありました。それはペストといった伝染病をどのように予防するか、という防疫法が確立されていったことです。イタリアでは患者の発生を届け出させ、患者の隔離、使用した物品の焼却処分、さらに港の封鎖が始まりました。入港した船の船員の上陸や荷物の陸揚げをすぐにさせず、40日間停泊して発病する人がいないことが確認されたのち初めて上陸が許可されました。現在、空港などにある検疫所で行われている「検疫」は英語でquarantineといいますが、これはラテン語の40という意味の単語からできたもので、14世紀イタリアでの港の封鎖が語源となっています。



肥満の人は胸やけがよく起こる?
2012年2月 3日

「逆流性食道炎」という病気がありますが、これは胃液が食道に逆流して食道の粘膜に炎症をおこすものです。胃液は食べた物が胃にたまっているうちに消毒をするため強い酸性になっており胃酸といわれます。胃袋の壁はこの胃酸に耐えられるような構造になっています。しかし食道内壁の粘膜は本来、胃液が流れ込むことはないので、強い酸性の胃液にさらされると粘膜が傷害され、胸やけなどの症状が起こるのです。

esophagus.jpg

 普通は胃液が食道に逆流することがないように下部食道には括約筋があり、飲み込んだ食物が通るときやげっぷが出るとき以外は通路が閉じているしくみになっています。しかし何らかの原因でこの括約筋作用が低下すると「逆流性食道炎」が発症する要因となります。この現象を「胃食道逆流症(GERD)」といいます。構造的な問題でこの「胃食道逆流症」が起こるものの一つに「食道裂孔ヘルニア」という病気があります。食道裂孔とは胸部と腹部を隔てている横隔膜のうち食道が通る穴のことで、ヘルニアとは体の中の臓器が本来あるべき位置から脱出することです。「食道裂孔ヘルニア」は食道に続く胃の一部が食道裂孔から胸部の方に脱出している状態で、年齢とともにこの状態になっている人が多いといわれています。この状態になると下部食道の括約筋が作用しにくく、逆流がおこってしまいます。ちなみに「食道裂孔ヘルニア」に対しては手術などの外科的治療が必要になるようなことはほとんど無く、もしこれが原因で胸やけなど「逆流性食道炎」の症状が強いとき、胃酸を抑えるお薬による内科的治療が通常行われます。

 前置きが長くなりましたが、太っている人は「逆流性食道炎」による胸やけがよく起こるのでしょうか。太っている人は腹部の脂肪組織が胃を圧迫して逆流がおこりやすい、あるいは逆流の原因になる「食道裂孔ヘルニア」が起こりやすいということが欧米では報告されています。しかし日本人での疫学研究では肥満が逆流の原因になるという結論は得られていません。欧米人に比べて日本人では高度の肥満者が少ないことも影響しているかも知れません。

 しかし日本でも「逆流性食道炎」の人に食事指導など生活改善を行うようにすると胸やけなどの症状が改善したという報告もあります。また脂肪分の多い食事を続けていると食道粘膜の感受性が高まり、胸やけ症状が出やすいとも言われています。

 いずれにしても規則正しい生活などで、肥満をなくしていくと胸やけなどの症状がなどの症状がよくなることが期待されると思います。



医療の歴史(5) 中世の医療
2012年1月26日
PA2.jpg

 ローマ時代における医学・医療の偉人ガレノスの死から1世紀後、ヨーロッパはキリスト教の広まりが著明となってきました。それまではギリシア神話に登場する神々が人々を癒す象徴でしたが、紀元300400年頃になるとイエス・キリストが苦しむ人々を癒す神となったのです。なかでも修道院は病気の人に治療をほどこす医療施設になりました。ヨーロッパにおける病院の始まりです。(右の図)貧富の差なくすべての人々を救うというキリスト教の精神はそのまま修道院における医療の精神でした。初めは看護や介護が主体でしたが、次第に修道院の中に独自に造られた薬草園で生産された医薬品を使ったり、手術のような治療も試みられるようになったのです。

 しかし、修道院での医療者の功績は、それまでの医学的知識を後世に伝えていったことです。古い医学文献を収集し、忠実に書き写して保存するという医学図書館のような存在となって行きました。これによりヒポクラテスの精神が現在でも知られ、ガレノス医学が千年以上にわたって実践の医療として伝承されていったのです。さらに彼らは、自分たちの医療を受け継ぐ後輩たちを育成する使命を負っていると考えており、この精神が医学校の始まりにつながって行きます。

 10世紀ごろ、南イタリアの保養地サレルノという場所に医学校ができました。ここでは修道院で収集され整理された古代ギリシアやローマの医学が講義されていました。そしてサレルノ医学校の名声はヨーロッパ中に広がり医学全体を支配するようになります。さらに時代は下って12世紀になるとボローニャ、パリの大学にそれぞれ医学部が作られ、医学教育がさらに拡大していきます。しかしここで講義されていたのは、相変わらずガレノス医学のような古代の医学でした。中世の医学・医療は他の科学領域と同じく古い知識の盲信であり、中世は停滞の時代であったといえます。近代医学が大きく発展するのは、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるルネッサンス期まで待たなければならなかったのです。

 



甲状腺ホルモン分泌調節と脂肪
2012年1月22日

 気管の前でのどぼとけの下に蝶ネクタイのように存在する甲状腺。このホルモン産生臓器から分泌される主要なホルモンが甲状腺ホルモンです。甲状腺でチロシンというアミノ酸分子にヨウ素が結合したものですが、ヨウ素の数によってT3T4という2種類のホルモンがあり、臨床的に血液で検査するときは体内で直接作用するフリーT3、フリーT4として測定します。その分泌は下の図のように脳下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモン(TSH)によって調節されています。もしT3,T4が多くなると、フィードバック機構によって下垂体からのTSHが減少してT3,T4を減らすようになります。

T3T4.jpg 甲状腺ホルモンが異常に増加している病気にバセドウ病がありますが、このフィードバック機構によって甲状腺刺激ホルモン(TSH)が減少していることが特徴的に観られます。

 甲状腺ホルモンの作用は、体の中の代謝を維持し、活性化させるものです。全身の組織でエネルギー産生量を増加させ、細胞の呼吸を促進するため酸素の消費が増加します。エネルギー源として血液中のブドウ糖、つまり血糖値が上昇しますが、それに関連して脂肪の分解が進みます。その結果、血液中のコレステロールは減少してきます。このためバセドウ病などで甲状腺ホルモン(T3,T4)が増加しているとコレステロールは低下し、逆に甲状腺ホルモン(T3,T4)が低下している甲状腺機能低下症ではコレステロールは増加するのです。

 それでは脂質異常症で血液中のコレステロール値が高くて、お薬での治療が必要な人の甲状腺ホルモンは減少しているのでしょうか。ほとんどの脂質異常症は甲状腺ホルモンと関係なく、小腸での脂肪の吸収や、肝臓での脂肪合成が高まっていることが原因で起こりますが、一部の高コレステロール血症には甲状腺ホルモンが関係していることがあります。

 実際、甲状腺ホルモン(T3,T4)の値には異常はないけれど、甲状腺刺激ホルモンがわずかに増加している潜在性甲状腺機能低下症では、高コレステロール血症が認められることもあると報告されています。潜在性甲状腺機能低下症は人口の1割以下ですが、年齢を重ねると増加すると言われています。



医療の歴史(4) ローマ時代の医療
2012年1月19日

 ローマでの医療の特色は、病気がおこった時これを治すより、病気の発生を予防することに重点をおいたことです。つまり健康法や公衆衛生のような考え方が一般に普及していたのでした。具体的には、今でも遺構が残っている上水道・下水道の整備、公共浴場の建設、さらに集中暖房設備や公衆トイレの設置などローマはまさしく健康都市をめざして発展していったと考えられています。

Galenos3.jpg ところでローマ時代の医学・医療を語るとき外すことができない人物がガレノスです。(右はギリシアで発行されたガレノスが描かれた切手です。)16世紀、近世の医学が確立されるまでの千年以上にわたって、彼の理論が医学を支配していました。130年頃、現在のトルコにある古代都市ペルガモンに生まれたガレノスは、ギリシア各地で医学を学び、一度故郷に戻った後、ローマに移りました。彼はローマで名医としての頭角を現し、宮廷の典医にまでのぼりつめたのです。

 前回までにご紹介したヒポクラテスの四つの体液理論などが今に知られているのは、ガレノスが残した多くの著作の中に体系化された理論として紹介されているためだとされています。また解剖学や動物実験などにも力を注ぎました。水分を多く摂取すると尿量が増加すること、豚の脊髄神経を切断すると麻痺がおこること、さらに大脳を傷つけると体の反対側に障害がおこることなど、今では当たり前のことを実験的に発見していったのです。これらのことからガレノスは実験医学の創始者といわれています。

 16世紀になってヴェサリウスという人が「人体構造論」を出版し、現代の解剖学に通じた近代医学の夜明けが訪れるまで、ガレノスの解剖学・生理学が医学の理論を支配していました。今では誰もが知っている血管の中を流れている血液は循環していることさえ、16世紀になるまで医学者の誰もが知りませんでした。ガレノスの名声はある意味で当時の腕利きの医療者というより長年にわたって医学の世界に与えた影響の方が大きかったと言われています。



医療の歴史(3)ヒポクラテスの誓い
2012年1月 1日

 ヒポクラテスが自ら医療者としてどうあるべきかを示した「ヒポクラテスの誓い」は20世紀の半ばまで、医療者の道徳律とされていました。

(1) 患者さんの利益を第一にする

(2) 自殺や安楽死に加担しない

(3) 患者さんの身分や貧富の差なく医療をする

(4) 患者さんと職業上の関係を悪用しない

(5) 患者さんの秘密を守る

(6) 自分の師や同業者に礼をつくす

などですが、これらはすべて現代では当然のことばかりです。特に「(5)秘密を守る」については、我が国で一般に「個人の秘密は守られるべきである」ことをしめした「個人情報保護法」が施行されたのが2003年ですから、それより2000年以上前から医療者にとっては当然の義務だとされていたのには興味深いものがあります。

 一方で、ヒポクラテスは「医療において、これからおこる事態や、現在ある状況は何一つ患者本人に明かしてはならない」「素人である患者にはいかなる時も、何事につけても決して決定権を与えてはならない」と述べたとされています。この二つのことは、すでにお気づきのように、現在の考え方とは全く逆です。現在では患者さんが自分の病気のことはすべて知る権利がありますし、これに対してどのように医療をするのかは患者さんと医療者が話し合って決めていくことが当たり前なのはよくご存知の通りです。

この二つのことに代表されるヒポクラテスの考え方を「親権主義」あるいは「家父長主義」(パターナリズム)といいます。つまり親が子を思う気持ちで、子供のことは親にまかせておきなさい、ということと同じだということからこのように呼ばれているのです。現在の医療の在り方とは正反対であることから、ヒポクラテスの考えは過去のもの、とも言われたりします。しかしヒポクラテスが本当に言いたいことは、「医療のことは医療者にまかせておけ」ではなくて、「医療者は常に患者さんから信頼されるように修養をかさねることが大切だ」ということではないかと思います。

 「自分の身を律して常に修養・努力する」そして「愛情を持って医療を行うべし」というヒポクラテス思いは医療者の心の中に生き続けているのです。エーゲ海のコス島のプラタナスの木の下でヒポクラテスは弟子たちに医学を講義したと伝えられています。そのプラタナスは今もコス島に「ヒポクラテスの木」として残されており、さらにその苗木は世界中の医療施設や医療系大学に移植されています。

hippocratesHUHS3.jpg また「ヒポクラテスの誓い」は1948年、ジュネーブで開かれた第二回世界医師会で、医療専門職のあるべき姿として「ジュネーブ宣言」という形でまとめられました。現在でも「医療の倫理」の原点と考えらえれ、国際規定として引用される機会が多くみられるものです。

 

日本でも 「ヒポクラテスの誓い」を記した場所を医療施設や大学などで見かけます。写真は兵庫医療大学のホールの壁に書かれたものです。



日本の糖尿病人口が一千万人を超えました
2011年12月24日

今年11月に国際糖尿病連合が発行した資料によれば、20歳~79歳の成人における糖尿病人口は全世界で約36,600万人とみられ、今後も増え続けると予想しています。最も糖尿病人口が多い国は中国で9,000万人、次いでインドが6,130万人とみられており、日本は第6位の1,070万人と報告されています。このまま推移すると2030年には世界中の糖尿病人口は約55,200万人に達するという予測がなされています。

 我が国における20歳~79歳の成人人口は約9,500万人ですから、糖尿病人口1,070万人は一割以上、11.2%いることになります。

 

 DM.jpg

 年齢別に見ると、グラフに示すように年齢に伴って糖尿病人口は明らかに増加する傾向がわかります。またこれらの糖尿病の人がいる地域別では都市部が農村部に比べて1.7倍多いことがわかりました。

 問題は糖尿病の人が大勢いるのに、このうち適切な治療を受けている人は半分以下であると推定されることです。糖尿病は体のどこかが痛いなどあまり自覚症状のないことが多く、健康診断などで糖尿病の疑いがあると指摘された人でも、ついついそのまま放置してしまうことが多いのだろうと推定されます。

 いうまでもなく糖尿病の治療目的は、自覚症状を改善することではありません。合併症として腎症で腎臓の機能が悪くなって最終的に人工透析を受けなければならなくなったり、網膜症で視力障害が起こったり、足の感覚がなくなって足が腐ってしまったりします。もっと問題なのは心筋梗塞や脳卒中といった死に直結する怖い病気を合併する場合が多いことです。これらのことを予防するため糖尿病を治療して、血液中の糖を適切にコントロールしておくことが大切になるのです。



医療の歴史 (2) 医聖ヒポクラテス
2011年12月20日

hippocrates.jpg 古代ギリシア時代の医師、ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」などと呼ばれています。それは彼が人々の病気を迷信や呪術、また宗教のような扱いから切り離し、科学的な医学を最初に発展させた人だからです。(写真は兵庫医科大学の玄関ホールにある「ヒポクラテスの像」です。)

ヒポクラテスは紀元前460年頃、エーゲ海の南東にあるコス島という小さな島で、世襲制の医師の子として生まれました。各地で医学を学んだ後、生まれ故郷のコス島で多くの弟子たちに医学を教えたのです。

彼は健康と病気を自然現象として客観的に観察しました。また環境の変化が人々の健康におよぼす影響なども調査研究したとも伝えられています。これは今でいう公衆衛生学や環境予防医学の始まりとも考えられます。

その業績の中で、病気の発生は人間の体の中にある水分である体液には血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁と四種類あり、これらのバランスが乱れることによって発生すると考えたのです。現代医学の理屈で考えると、血液はわかりますが、粘液や肝臓で作られる胆汁で黄胆汁と黒胆汁の二種類が何のことか理解しにくい部分があります。しかし、これらのことが述べられたのが今から二千年以上昔の紀元前であったことは驚くべきことです。

さらに病気の治療にあたっては、人の体の自然治癒力を重視しました。病気を回復させるためには、適切な食事、新鮮な空気、十分な睡眠、さらに適度の運動と休息が必要であると説いたのです。これらはすべて現代病の代表である「メタボリックシンドローム」の予防・治療につながる画期的なことであったことはいうまでもありません。

ヒポクラテスはこうして医学的現象の観察と分類を通じて、医学が科学として発展していく基礎を作った人です。しかし彼が真に医療の歴史の中での重要人物として語られているのは、二千年以上の長い年月、医療者の道徳律とされてきた「ヒポクラテスの誓い」を書いた人であったことです。このことは次回の医療の歴史で説明したいと思います。



生活習慣が乱れていたら生活習慣病になる?
2011年12月 2日

今、「生活習慣病」と言われている病気を、以前は「成人病」と呼んでいました。「成人病」は中年以降に発症することが多いので、その名前になったのですが、病気は大人になってから発症するだけではなく、子供にも見られることがあるので「成人病」という名前は適当ではないということになって「生活習慣病」と呼ばれるようになったのです。「生活習慣病」は食事、運動、睡眠、飲酒などの乱れや、喫煙習慣が病気を引き起こしてくることから、「成人病」より「生活習慣病」の方が適切な呼び方だと考えられます。糖尿病、高血圧、脂質異常症などの病気、またこれらの病気が引き金となって発症する心筋梗塞や脳卒中、さらにガンなどは典型的な「生活習慣病」です。

 それでは同じように乱れた生活習慣をしている人達が皆同じ病気になるのでしょうか。現実にはそうとは限りません。たとえば、タバコを吸い続けている人が皆、肺ガンになるとは限りませんし、運動をしないで油の多い食べ物をお腹いっぱい食べて肥満になっている人達が皆、糖尿病になるとは限りません。同じような乱れた生活習慣をしている人のうち、病気になる人とならない人の違いは何でしょうか。それは体質の違い、つまり病気になる遺伝的な素因があるかどうかによるのです。さらに生活環境の違いも影響してきます。特に糖尿病はこの遺伝的素因が関わって発症することが多いと言われています。つまり親兄弟など血のつながりがある人に糖尿病の人がいると、その人の遺伝子(DNA)を引き継いでもともと糖尿病になる体質があると考えられます。そこへ乱れた生活習慣が加わると糖尿病になってしまうという事です。

 ただし糖尿病は遺伝病ではありませんから、病気になる体質があったとしても生活習慣をできるだけ正していれば糖尿病にはならない、あるいは病気になることを遅らせることができます。

 いずれにしても規則正しい生活習慣を続けることが大切であることは言うまでもありません。

生活習慣病.jpg

医療の歴史 (1) 医療の始まり
2011年12月 1日

  医療、つまり病気やけがの人を手当することは人類の歴史の中でいつから始まったのでしょうか。原始時代から、病気やけがで苦しんでいる人がいれば、まともな医療ができなくても、何とかその人を何とか助けたい、あるいは少しでも楽にしてあげたいと周りの人は思うでしょう。それが医療の始まりです。そうすると「医療はいつから始まったのか」という疑問は、「人間の病気はいつ頃から発生してきたのか」と同じことになります。その答えは、今から約300万年前、人類の誕生と同時だったのです。このことは多くの考古学的発掘調査でも示されています。例えば、ピテカントロプスという原始人の骨には、結核という病気が悪くなって膿を持った塊の跡が証明されています。

 旧石器時代、人間の主な死因は「自然の猛威」と「暴力的行為」でした。時代は下って新石器時代になると、人間は農耕生活を始めるようになり、集落を作って集団生活するようになりました。するとその集団のなかに疫病が流行することもたびたびあったことでしょう。人間はこのような疫病は、神々の仕業に違いないと考えるようになり、神官が「祈とう」して何とか疫病を抑えようとしました。これが今の内科の始まりです。つまり内科医の祖先は「祈とう師」ということになります。後で述べますが、外科医の祖先は刃物を使って外傷の治療をしたことから古代の「散髪屋さん」でした。おなじ医師でも内科医と外科医の祖先は違うのです。

 さて記録に残る医療ということになると、紀元前2000年ごろのメソポタミア文明の遺跡には、粘土板医書がありこれは最古の医学書といわれています。さらに紀元前1700年ごろのエジプトには古代の紙パピルスに医術の教科書と思われるものが残されています。人名として医師が登場するのは紀元前1200年、ギリシア時代のアスクレピオスです。アスクレピオスはギリシア各地にお籠もり治療をおこなう保養所を作りました。ギリシア神話では彼はどんどん病気の人を治して、最後には死んだ人まで生き返らせたため、神の怒りにふれゼウスに殺されてしまったとなっています。

 アスクレピオスから少し時代が下ったギリシアに登場するのが有名なヒポクラテスです。このことは次回の医療の歴史で述べてみたいと思います。

アスクレピオス.jpg



甲状腺の病気
2011年11月16日
甲状腺とは
のどぼとけのすぐ下で蝶々のような形をした臓器が甲状腺です。食物中のヨードを材料にして甲状腺ホルモン(T3、T4)が作られます。甲状腺ホルモンの産生量は脳の中にある下垂体という臓器から分泌される甲状腺刺激ホルモン(TSH)によって調節されています。甲状腺ホルモンは体の新陳代謝を活発にし、神経・精神活動や身体活動を調節するためにはたらいています。
甲状腺ホルモンが多くなる
何かの原因で甲状腺ホルモンの産生量が多くなった状態を「甲状腺機能亢進症」といいます。このうち最も頻度の高いのが「バセドウ病」です。甲状腺ホルモンは体の代謝を高め精神神経を調節するホルモンですからバセドウ病になると体がやせてくる、暑がりでよく汗をかく、動悸がする、手が振るえる、イライラするなどの症状が現れます。さらに甲状腺が腫れ(甲状腺腫)、目が大きく飛び出してくる(眼球突出)という典型的な所見を認めるようになります。
バセドウ病の治療
甲状腺ホルモンの産生を抑えるお薬を服用します。そのとき血液中の甲状腺ホルモン(T3、T4)や甲状腺刺激ホルモン(TSH)の変化を観察していくことが大切です。場合によっては手術療法も考えられます。いずれにしても悪性の病気ではありませんから経過は良好です。
甲状腺ホルモンが少なくなる
バセドウ病とは正反対に甲状腺ホルモンがへる病気が「甲状腺機能低下症」で、最も頻度がたかいのが「橋本病」と呼ばれる甲状腺の慢性炎症です。症状もバセドウ病とは正反対で、寒がりで皮膚が乾燥し、無気力や集中力低下など精神活動性の低下があります。新生児の甲状腺機能低下症は「クレチン病」と呼ばれています。
橋本病の治療
甲状腺ホルモン(T3、T4)や甲状腺刺激ホルモン(TSH)の血液中の濃度を観ながら、甲状腺ホルモン剤を服用します。適正にコントロールしておけば恐ろしい病気ではありません。
甲状腺腫瘍
甲状腺にできる腫瘤の多くは「結節性甲状腺腫」という良性腫瘍です。甲状腺ホルモンが増加する場合と甲状腺機能が変わらない場合があります。悪性腫瘍もあり、中には進行が早く悪性度の高いものも含まれます。治療としては良性でホルモンに影響のないときはそのまま経過観察する場合から即刻、手術により摘出する必要がある場合までさまざまです。





ご挨拶
診療案内
医院の写真
アクセスマップ
リンク集
HOME