医療あれこれ

医療の歴史(78) 養生訓

 養生とは健康増進のことで、人が少しでも健康で長生きしたいと思う考え方は古来よりありました。例えば丹波康頼により著された現存する日本最古の医学書である医心方にも第二十七巻には養生についてのことが記されています。しかし平安時代の末期から戦国時代へと長い間、戦乱の世がつづき、人命は軽視され健康増進どころではなかったことから、養生に関する著作は見られませんでした。

 江戸時代になって平穏な世の中になると、養生について記された書物がいくつか見られるようになりました。医療の歴史(74)でご紹介したように、曲直瀬玄朔が豊臣秀吉から常陸国への流罪となったとき、関東における農村民が病気になっても医療者による適正な治療を受けることができず放置されている実態を体験し、後に「延寿撮要」という養生の大切さを示した書物を著しました。youjoukun.jpg

 最も著名な養生書として貝原益軒(16301714)1713年に著した「養生訓」があります。これは益軒自身の人生体験から得た養生に対する考え方をまとめたもので、寿命長短はすべて養生しだいであることと記されています。さらに健康な身体をそこなうものとして「内欲」と「外邪」があるとしてあります。「内欲」とは、飲食欲、色欲、情眠欲、さらに発言欲であること、「外邪」は風、寒、暑、湿という四つの気候変化をさしています。この「内欲」と「外邪」から身を守ることにより養生が保たれ、さらに精神的な修養や自然療法による無病息災、長寿のための健康法を説いています。

 このようにして江戸時代における庶民の健康生活志向は高まっていき、幕末の動乱期直前にはその頂点を迎えることになるのでした。