医療あれこれ

医療の歴史(71)日本医学中興の祖 曲直瀬道三

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 医療の歴史(68)で述べたように、李朱医学を拡めた曲直瀬道三(15071594)は、その医療者、医療教育者として日本医学中興の祖と呼ばれています。道三は幼少時に仏門に入っていましたが、関東で足利学校にて修学中、中国から李朱医学を学んで帰国した田代三喜[医療の歴史(68)参照]に学び、1545年、京都で還俗して医業を専門とするようになりました。室町幕府の足利義輝の病を治し、以後、細川晴元、松永久秀、三好長慶などの重臣からも重用されました。さらに織田信長が天下を取ったのちも多くの戦国武将と交友関係をもったといいます。

 さらに後進を指導するため啓迪院(けいてきいん)という医学校を開設したのですが、その門弟は800人とも3,000人とも言われています。よく弟子の面倒をよくみましたが、各々の弟子の能力に応じた合理的な指導をしたそうです。

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 多くの医学書を著しましたが、なかでも1571年に書き上げた「啓迪集」(けいてきしゅう)8巻は彼の代表作です。その内容は内科、小児科、薬物、鍼灸、養生など多岐にわたり、その根拠として中国の医書64部を引用しています。1574年にはこれを正親町天皇に献上し、翠竹院の院号を下賜されています。

 1566年、毛利元就の病を治療するため出雲へ出向いた際には、元就に家門繁栄の方策について意見を述べるなど多くの大名と親交があり、また茶人としても有名であり、これまでに例を見ないスケールの大きな医師であったそうです。