医療あれこれ
医療の歴史(27) 化学療法の始まり
長い医療の歴史の中で、感染症との戦いは医療者の最大の課題でした。これまで見てきたように、パスツールによる生物自然発生の否定やワクチンの開発(医療の歴史18、19)、コッホによる結核菌やコレラ菌の発見と感染症発症機序の解明(医療の歴史23)、リスターらによる消毒法の開発(医療の歴史22)などは、感染症の予防法に道を開いたものでした。しかし実際に感染症が発症してしまったとき、これをどのように制御するのか、つまり感染症の治療法を確立する課題が残されていました。
性行為によって感染する性感染症の一つである梅毒の治療薬を発見したのはパウル・エールリッヒ(1854~1915)です。梅毒は放置すると全身症状が進行して、最終的に脳がおかされ死亡してしまう恐ろしい病気です。しかしその原因は、スピロヘーターという病原微生物の一つである梅毒トレポネーマが感染して発症するということはすでに判っていました。そこでこの梅毒トレポネーマを死滅させる薬品を創出することができれば、梅毒を治療することができるわけです。化学技術の進歩はさまざまな化学物質を作り出すこととなりましたが、多くの化学物質の中で、人体には無害で病原微生物だけを傷害する物質を選別することができれば、それがその感染症の治療薬になるわけです。
エールリッヒは自身の研究所に留学していた日本人、秦 佐八郎(1878~1938)とともに、合成された無数のヒ素化合物を一つずつ動物実験により調べ続けました。そして1910年、ついに梅毒に有効な化学物質を発見したのです。サルバルサンと命名されたこの薬品は、医療の歴史で最初の合成化学療法薬品として、多くの梅毒患者を救うことになりました。化学薬品を使った薬物治療を化学療法と言いますが、エールリッヒは化学療法の創始者となったのです。なお抗ガン剤もほとんどが化学薬品ですから、ガンに対する抗ガン剤治療も化学療法の一つです。
エールリッヒは免疫学において業績を残しています。病原体つまり抗原を免疫反応により除去する抗体が産生されるのは、白血球の表面に抗原の受け皿つまり受容体(レセプター)があり、これに抗原が結合すると、細胞が刺激されて抗体となるという「側鎖説」を確立しました。これらの業績によりエールリッヒは1908年ノーベル賞の医学・生理学賞を受賞しています。