医療あれこれ

医療の歴史(103) 戦後の医療

 日本において戦後とはふつう第二次世界大戦後のことで1945年ポツダム宣言受諾以後、アメリカを中心とした連合国の占領が始まった時からの時期をさします。いつまでが戦後なのかは明確ではありませんが、ようやく日本の経済状態が回復し始め「もはや戦後ではない」などといわれた1956(昭和31)頃をさすのでしょうか。いずれにしろこの間1952年のサンフランシスコ講和会議まで日本は連合国の占領下にありました。

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1945814日、日本は連合国が日本に降伏をせまったポツダム宣言受諾を通告し、翌815日正午に当時日本で唯一の放送局であったNHKから天皇陛下の玉音放送が全国に流されたのでした。その後830日になってフィリピンのアメリカ軍最高司令長官であったダグラス・マッカーサーが専用機でアメリカ軍の厚木飛行場に降り立ち、92日、東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で日本の全権・重光葵らがイギリスやアメリカ、中華民国やオーストラリアなどの連合国代表を相手に戦争終結の調印式が行なわれ、正式な降伏へ至りました。日本の占領政策は、連合国軍が接収した皇居前の第一生命に置かれた日本の占領は連合国最高司令部(GHQ)により全てが執りおこなわれました。

日本の保健医療政策については、GHQに置かれた公衆衛生福祉局(PHW)は日本全国の衛生状態向上を企てましたが、荒廃したわが国土の完全な復活は簡単ではありませんでした。終戦直後からの伝染病急増とともに食糧不足が大問題となりました。現実的に餓死者が増加するほど危機的状況が進行し、占領目的が脅かされることを危惧したGHQは食糧緊急放出をおこなうと同時に米国政府に対して食糧供給を要請しています。

医療施設の問題もありました。多くの病院は空襲により被害を受け、医療資材も不足した状態がしばらく続いたのです。GHQにとって病院の整備は日本国民のためという点ももちろんあったでしょうが、医療施設は連合国の人間も利用する施設であることから重要案件として整備を進めることされました。しかし実際に医療施設整備が完成してくるのは連合国の占領が終わってしばらく経ってからの高度成長期になってからのことではないでしょうか。