医療あれこれ
ナイチンゲールと慢性疲労症候群
ナイチンゲール(1820~1910)は、イギリス富裕貴族の両親がイタリアを新婚旅行中、フィレンツェで生まれました。フィレンツェの英語名フローレンスを名前にしてフローレンス・ナイチンゲールというのがフルネームです。両親のぜいたくな養育によって多くの語学、数学などの理系科目、芸術などの教養を身に着けた後、博愛の精神に目覚めロンドンの病院で看護師をしていました。
そんな中、聖地エルサレムの領有をめぐってロシアとオスマントルコの間でおこった争いに、イギリス、フランスがオスマントルコに加担して、クリミア戦争(1853~1856)が勃発します。ナイチンゲールは戦場で傷病兵などの救護のために従軍したのです。当時は戦いで負傷したことによる戦死者も多かったのですが病死者も多く、兵舎や病院の衛生状態が不良で、これを清潔にすることが必要と考えたナイチンゲールは衛生状態の改善、清拭を徹底し、戦病死者数を激減させたのでした。自ら進んで前線で看護にあたったナイチンゲールのことを「白衣の天使」などと呼ばれています。
しかし彼女が看護師として実務にあたって業績をあげたのはこの戦争中の2年間だけで、その後は病魔に苦しみ、死亡するまでの約50年間はベッドから出ることができず、床上でひたすら著述によって看護の道を説いていたといいます。その病気が慢性疲労症候群でした。
慢性疲労症候群は、単なる慢性的な疲労ではなく、外出・歩行などの日常生活が極端に制限されてしまうものです。重症になるのにつれて、全身の筋肉痛、関節痛、咽頭痛が出現し、さらに抑うつ症状などの精神症状も出現してきます。原因は完全に解明されているわけではありませんが、その可能性の一つとして細菌、ウイルスなどの感染症が考えられています。ナイチンゲールの場合も、クリミア戦争中に山羊や羊の生乳を飲んでいたため感染症が発症した「ブルセラ症」という説もあります。
ブルセラ症は、ブルセラ菌によって引き起こされる人畜共通の感染症です。現在でも感染症法で三類感染症に分類され、発症者がいると届け出が必要です。確定診断には抗体検査や病原体の分離・同定が必要ですが、診断がつけば抗菌薬の長期服用が有効とされています。経過が長く重症であればこのようにまだコントロール可能ですが、軽症の場合、普通の慢性疲労と考えられてしまい逆にブルセラ症と診断がつくことが少ないともいわれています。
生活環境の衛生状態を良好に保ち、感染症の予防に努めたナイチンゲールの場合は、その病態の真相はどうだったのでしょうか。