医療あれこれ

医療の歴史(112) 湯川秀樹博士の反核精神

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 京都大学の湯川秀樹は戦後間もない1949年、日本人で初めてノーベル賞を受賞した人として有名です。先日の新聞報道で、湯川秀樹 反核の一歩 という記事がありました。

 湯川博士は1934年から1954年まで、自身の研究の事や日常生活のことなどを日記に残しています。1934年は、後のノーベル賞受賞対象となった原子核内部において陽子や中性子を互いに結合させる中間子の存在を理論的に予言した頃です。そして1954年は今回の新聞報道で大きく取り上げられているアメリカの核実験によりマグロ漁船の第五福竜丸がビキニ環礁で被爆した年でした。1945年には日本海軍の依頼で原子爆弾の研究に関わっていたことや、アメリカにより広島と長崎に原子爆弾が投下されたことなどが事細かに書かれているそうです。

 毎日新聞によると第五福竜丸事件が発生した2週間後に「原子力と人間の転機」というタイトルで寄稿があり、その中では原子力の脅威について詳しく述べられています。その書き出しには「未開時代の人類は野獣を家畜にすることに成功した。20世紀の人類は自分の手でとんでもない野獣をつくり出した」とあります。さらに文末には「私は科学者であるがゆえに、原子力対人類という問題をより真剣に考えるべき責任を感じる。」と述べられています。晩年には原子力発電所の計画に反対するなどと伴に、平和運動に生涯情熱をささげたそうです。

 科学の発展により作り出された「核」は医療分野においても人類に多大な貢献をしています。その一方で、医療が発達すれば人間の病気は全て克服されるのか、という事に思いが及びます。最終的に人類は最先端の医療により、あらゆる病苦から逃れ永遠の健康状態を手に入れることができるのでしょうか。医療技術の大いなる進歩は、科学技術の飛躍的な発展の賜物であるようにも考えられます。しかし実はそうではないかもしれません。例えば人類と感染症との戦いの歴史をみると、フレミングによるペニシリン発見以後、次々とあらゆる病原体に有効な抗生物質が開発され、人類は感染症との戦いに勝利することが期待されました。しかし現実には、抗生物質の使用が原因で薬が効かない耐性菌が出現してきました。あらたな病原体も出現してきています。当分の間、医療技術の進歩だけで人類が疾病を完全に撲滅することなどできないでしょう。医療だけでなく、あらゆる分野において人類の敵との戦いに勝利することができない原因の一部には現代における科学技術の進歩そのものがあるのかも知れません。

引用:毎日新聞2018511日付